~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~

饅頭喰人形の問いかけ

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photo credit:la_obscura_camera via Flickr (license)



白色の自己主張 ~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~



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老舗和菓子屋 虎屋の菓子資料室「虎屋文庫」で連載されている

歴史上の人物と和菓子
https://www.toraya-group.co.jp/toraya/bunko/historical-personage/

甘党なのは今も昔も同じなんだなぁなんて思いながら
ぼくも甘党で毎回楽しみに読んでいたところこの度大幅に加筆修正され

『和菓子を愛した人たち』
https://www.toraya-group.co.jp/toraya/bunko/activity/media17-06-02/

として刊行。



その表紙に描かれている川崎巨泉(かわさき きょせん)さんの画
饅頭喰人形の謂れにこうありました。




これは「お父さんとお母さんのどちらが好きか」と聞かれた子どもが、持っていた饅頭を割って、「どちらがおいしいか?」と聞き返した(両親とも同じように大切である)、という教訓話を元にした人形です。

饅頭喰人形より
https://www.toraya-group.co.jp/toraya/bunko/historical-personage/095/




姉とぼく(弟)。
同じ親から産まれた子どもはどうなんだろう。
母亡き今、親父はどう答えるんだろう。



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生きてるだけで OK の子どもとして産まれたかった。



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鬱で苦しんでいたとき手にしたデビッド・D・バーンズさんのご著書

いやな気分よ、さようなら
自分で学ぶ「抑うつ」克服法
http://www.seiwa-pb.co.jp/search/bo05/bn798.html

分厚い本で
気がつけば睡魔に襲われ
何度枕にして挫折したことやらの本ではあったけれど

それでも毎日ちょっとずつ読み進め
ちょっとずつ実生活に活かしていくを繰り返して

ご著書のシリーズに助けられ
ぼくは鬱の長い長いトンネルを抜けた。



同じように鬱に悩む友人に出逢って
万人向けではないと断ったうえで本を勧め
彼は今あの頃のぼくと同じように読み進めている。



ぼくは両親から

365日虐待
365日全否定
幼少期を皆勤賞で過ごしてきたから

批判されることに
否定されることに
過度に感情的に反応してしまうところをどうにかしたくて

【第二部】応用
言葉の柔道:批判を言い返すことを学ぶ

この表現も気に入っていて随分救われたが
先日うちを訪ねて来てくれた友人は

【第四部】予防と人間的成長
いつも認められたい(承認中毒)

を読み進めていて、ふとこんなことをぼくに問いかけた。



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友人:

ヒロもさ、承認中毒のところない?育ちのことを悪く言ってるんじゃなくて、だから怒んないで聞いてほしいんだけど。ヒロのやってるライフワーク見てて思ったんだけど、逢う度に増えてる気がして。あれって、必要とされたいとか認められたいとかっていうのがあってどんどん広げてきてるの?

ヒロ:

それはあるよ。もともとは両親に理想の息子像ってのがあって、ぼくを見る目っていうのはいつも理想の息子像かどうかってただそれだけで、それが嫌でたまらなくて。ぼくは、っていうか『人間は』だけど、平面じゃなくて、多面的で、奥行きも深みもあるのが人間だと思ってるからね、誰しも。

だから、理想の息子かどうかだなんてひとつの面からじゃぼくのことなんてなにひとつ判んないだろう?って反発もあって、きっと一生かかっても判んないぐらい奥深いもんだと思ってるから。じゃあどんなじぶんにぼくは出逢えるんだろうって、好きなことよりもさらにパワーアップした気がついたらやってるような夢中になれるものをどんどん思いつくままにやってったら、今みたいに18ものライフワーク手がけるまでになってて。

でも根っこには、やっぱり幼少期に両親に否定されつづけて育って、物心がまだつくかつかないうちにアニメのタイトルみたいだけど実力至上主義を求められてね、子どもなのに。とにかく目に見える結果を出さないと生きていけなかったからさ、出来の良い姉と常に比較されてたし。結果を出さないと理想の息子からは外れてしまうわけで、そうなるとぼくの存在意義はなくなるわけでね。

実際「おまえは居るだけでカネがかかる。会社で言うならコストなんだよ」って言われたことがあって。だから見放されたくないからって、幼い子どもだから大した成果なんて出せるわけがないのに、必死にすがりついてた。必要とされたいって、認められたいって、良い子でいたいって。それがずっと根っこにあるんだろうね、おとなになった今も。まぁ、それに気がついてるってことが大事でさ、あること自体が悪いわけじゃなくて、要は塩梅。自覚してれば「あっ、今行き過ぎてるぞ」って判るからブレーキを掛けられて、共依存とか、相手にじぶんを犠牲にしてまで尽くしたりとかはなくなるからね。

この夏に始まった『ごめん、愛してる』ってドラマでね、主人公の律(=岡崎律 おかざき りつ http://www.tbs.co.jp/gomen_aishiteru/chart/)は、ピアニストの母親が人気絶頂期の頃に著名な指揮者と不倫関係になって宿した子どもなんだけど、どちらも自分の立場やキャリアを守りたい一心で、律は産み落とされてすぐに付き人の手によって秘密裏に養護施設に捨てられた。

その後律はまだドラマだと詳しくは描かれてないんだけど10歳で小学校を中退して韓国へと渡って、でも日本人の、それも子どもが独りで生きていくなんて想像を絶するものだったと思う。もちろん似た境遇でも立派に生きてる人もいるだろうけど、律は生きてくためにレストランの厨房、建設現場の作業員をしたりして地を這うような生活を経て裏社会、韓国マフィアの運転手、そしてボディガードになってた。「律」ではなく、「リュウ」と名乗って。

でもある日、律のことをアニキと慕ってくれてた跡取り息子の誕生日パーティーの席で、敵対するマフィアから銃撃された彼を守ろうと盾になって何発も撃たれた。幸い命に別状はなくて助かったけど、撃たれたときに手術では取り除けないところ、脳の中枢に関わる部分にね銃弾が残ってしまって、それがじわじわと中枢神経を侵していって、じきに身体が動かなくなって、やがて死へと至るって医者から告げられる。

マフィアからは最初こそ跡取り息子だけがお見舞いに来てくれたけど、その後は病状を知ってすぐに用済みと判断されて、多額の手切れ金を渡されてそれっきり。律は残された人生をどう生きるか考えて、日本に帰り母親を探そうと決める。

手がかりは育った養護施設と、捨てられたときに一緒に置かれていたお守り袋に入った「律」と書かれた紙片、そして母親が身に着けていたであろう宝石の付いた指輪。探し始める律に、ピアニストの母と指揮者が不倫関係の末子どもを捨てたことを掴んで記事にしようとしてるフリージャーナリストが近づいてきた。

居場所を教えられた律は早速会いに出かけたものの、家は見上げるほどの大豪邸。お金持ちであること、何不自由なく暮らしてることはすぐに想像できた。母親だから自分のことに気づいてくれると思って本名の「律」ではなく「リュウ」って名乗ったけど、母は自分のことなんて腹立たしいほどきれいに忘れてて、律を見てもなにも感じない。もうひとりの、自分の知らない息子サトルを溺愛してる姿を目にして激しい憎しみを憶える。ジャーナリストにそそのかされて秘密を暴露して、復讐してやろうとまで。

でも母が不倫関係の清算で自殺を図って、そのときの後遺症でピアニストとしては致命的な右手に障害が残ってしまって、人気実力共に絶頂期だったのに事実上の引退に追い込まれたことを知ったり、捨てられた自分と違って溺愛されて幸せに映ったサトルも、夢絶たれた母の夢の代わりにされて、すべてはママの言う通り。操り人形のようになってる。

男の子がするような遊びは指を怪我するからってすべて禁止されて、おまけに心臓の持病があるから出掛けることもままならない。そんなんでいつも家に居るから、母親の愛情もエネルギーもすべてがサトルにのしかかって四六時中ピアノに打ち込まされて、友達はいない。部屋で他にすることといえば、ゲームだけ。

母親にとってはサトルがすべて、サトルが人生の中心。息苦しいだろうなって思った。でもサトルは母親に見捨てられたくないから、必死で良い子でいようとしてる。

それぞれの事情を知って律は、出逢ったときに抱いた印象も、感情も、変わっていくのね。

捨て子として一切関わるつもりがないなら「律」って名付ける必要もないし、紙片もいらない。指輪も後々接点が判ってしまいかねないから持たせてしまうことはリスクがある。それでもお守り袋に入れて一緒に置いたのは、この子のことをどうか守ってほしいって母心っていうのかな、願いがあると思ったし、いつか律が自分のことを探して会いに来てくれることを期待してたんじゃないかなって思って観てた。今のところは気付いてないし、ぎくしゃくしてるけど。

事情をもし知ることがなかったら、律は自分のこと捨てただけでなく、きれいに忘れてもうひとりの息子と幸せに暮らしてることをただただ恨んで、ジャーナリストにそそのかされて復讐してたと思うのね。でも事情を知って、一度は乗った暴露にブレーキを掛けた。

サトルが韓国に公演で出掛けたとき、見に来てくれてた好意を寄せるサックス奏者の塔子(とうこ)とデートするからって付き人の凜華(りんか)を先に日本へ帰すんだけど、街ナカでパスポートやスーツケースを奪われたのを律が助けたことが縁で、日本に帰ってきたときに橋渡しをしてくれて、サトルの運転手として母親の傍で働く機会を得るのね。

ただある日、サトルが恋人として塔子を紹介する席に例のジャーナリストがやって来て、レストランで大勢のお客が見てる前で、わざと大声で、母親がひた隠しにしてきたスキャンダルを匂わせる発言をするの。律に、あとは暴露記事を出すだけの段になってドタキャンされた鬱憤もあってね。律は母親が大勢の前で辱めを受けることが我慢ならなくなって、運転手だから母親、サトル、塔子、凜華の居るテーブル席からは離れた場所にひとり居たんだけど、席を立つとジャーナリストを殴り倒す。

そんな姿を見て凜華は、律が母親を探しに日本に来て、サトルの母親が実は律の母親でもあることをまだ知らないから、どうしてただの雇い主なのにそこまで熱くなるのか、律に尋ねるの。


律:

捨て子だからだよ。
捨て子ってのは、人の役に立たなきゃ生きてる意味がねぇんだ。
そうだろ?
親にとって子どもは無条件に可愛い。
生きてるだけで OK(オッケー)だ。
でもオレはそういうわけはいかねぇ。

凜華:そんなこと思いながら生きてきたの?今まで。
律:あぁ。


そんな律の知られざる思いを知って「えらいね」って頭をなでなでして、「よくここまでおおきくなったね」って労う凜華に母を重ねて想いが溢れたのか、唐突に膝枕を頼んだかと思えば、子守唄を歌ってくれってせがむ。目を閉じて聴く律の目からは、涙が流れ落ちてた。

ぼくね、パートナー(=結婚した連れ合い)と一緒に観てたんだけど、彼女に言われてぼくも涙がつぅっと出てたのに気がついたの。ドラマみたいにぼくも母親にはしてもらえなかった膝枕頼んで、律と同じく歌い聞かせてもらうことが叶わなかった子守唄は・・「あきほさん(=パートナーの名前)、音痴だからいいや」「オイ!」ってなったけど、律の気持ちが判る。生きてるだけで OK って、そんな子どもに産まれたかったなって。虐待そのものへの恨み辛みは、赦すでもなく 赦さないでもなく(http://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-289.html)って心境に今は至ってて、もう心の置き所が出来たって思ってたけどね。まだ言いようのない淋しさみたいなのが残ってたんだなって思った。

ぼくには二親いたし、捨て子じゃないし、施設で育ったわけでもない。でも、実質は家庭内で捨てられてたも同然だったし、だからいつも理想の息子に近づけるようにって、それは両親の期待に応えて人の役に立つことで存在を認めてもらいたいっていう、幼い子どもながらに必死に身に着けた生きる術だったんだと思う。役に立つ人間になれなかったら、親から見放されちゃうからね。それじゃ生きていけないから、子どもは。必要とされたいから、家事も進んで担ってたな。

律を観てたらさ、今やってる(ドラマ)『コードブルー(ドクターヘリ緊急救命)』の「藍沢耕作(あいざわ こうさく)http://www.fujitv.co.jp/codeblue/chart/index.html」思い出した。

フライトドクター候補生「フェロー」として他の救命で研鑽を積んだあと翔北救命センターに赴任してきた藍沢は、「同期のフェローの誰よりも先に名医になる」って宣言して、とにかく症例をひとつでも多く経験しようって躍起になってた。頭の中はそればっかり、患者に寄り添うとか意味あんの?みたいに。

フェロー初期の頃に工場の事故で患者さんが右腕を切断するしか助かる方法がないってなったとき、藍沢はなんら躊躇することなく切断をその場にいた指導医に進言して腕を切断した。後で「まだ若いのに切断なんて」って動揺する同期からどう思ったか聞かれて「楽しかった」なんて答えたりして、腕は誰もが一目置くけど、人間的に難ありって感じが気になってた。「医者は必要とされないと意味がない。だから腕を磨く」その信念ってどこからくるんだろうっていうのも。

それは、藍沢の祖母が入院して判った。両親は藍沢が6歳のときに離婚して、祖母から父は死んだって聞かされ、母は胃がんで亡くなったって聞かされてたけど、ある日死んだはずの父が祖母を訪ねてきてほころびが出る。本当はどうだったのか知りたい藍沢の想いに、父は応えるのね。

両親共に大学の研究者だったけど、母は優秀な人で、父は落ちこぼれ。父は一歩先を行く母を自分のところまで引きずり下ろしてでも傍に居させたいと子どもをつくった。でも当時、今もなのかな、研究の世界は10年研究しても、一秒でも先に研究成果を論文で発表されたら一瞬で水泡に帰すシビアな世界。子どもを産み育てながらの研究なんて到底無理だった。

そうしたこととも相まって父や祖母が喜ぶ中逡巡しながらも藍沢を産んだけど、出産時に出血して子宮を摘出することになって、産むことを悩んだ罰だと精神的に不安定になった。父は自分の顔を見てると辛いだろうからって「死んだことにしてくれ」って祖母に伝えて、妻からもまだ子どもだった藍沢からも逃げるように家を出て、母はその後ちょっとずつ良くなってきてるって父に連絡した後、マンションの給水塔から落ちて亡くなった。

「自殺したんじゃないのか?」藍沢は問いかけるけどまっすぐには答えずに、母は雲を見るのが好きな子どもみたいなところがある人で、いつもマンションの給水塔に登っては見ていたけど、柵が古くて、そこに寄りかかったせいで落ちて亡くなった事故としか言わない。

でも、回想の場面は壊れた柵の下に母の靴が揃えて置いてあって、否が応でも自殺を連想させた。「間違いないんですか?離婚して家を出ていたのに」なんでそう言い切れるんだってさらに問いかけられても「あぁ」とだけ答えて、自殺じゃないって思い込もう、思い込ませようとしてた、祖母もね。

母の死の真相を語る前、亡くなるその日に投函した父宛の手紙を持参して病院を訪ねたものの藍沢に会うことを躊躇して、帰ろうとしたところを応対した同僚のフェロー白石(しらいし)にアイツへ渡してほしいって託してた。その手紙にはこうあった。


一つだけ言えるのは、耕作は悪くはありません。
今はただ、お互い未熟だった二人が子供をつくってしまったこと。
そのことに、ただただ自責の念を感じるばかりです。


母の死の真相を知ったことと併せて、胸が張り裂けそうだった、観てて。母を引きずり下ろすために子どもをつくったのかって。給水塔から落ちて亡くなったって聞いた後の手紙だから、「自殺は俺のせいか」「俺が産まれたせいで」って思うよなって。そうでなくても祖母に育てられてるとき、「僕は良い子?」が口癖で、良い子じゃないから捨てられたって思いながら今の今まで生きてきたんだから。それが必要とされることへの執着の原点だったんだなって。

藍沢にじぶんを重ねて観てて、ぼくが産まれたせいで家庭内がこんなにもギスギスしちゃったんだろうかって思い悩んだ。虐待するような親にしちゃったのかなって。だから息苦しい家を出て、両親から解放されて、じぶんで働いて生きていける高校卒業後。18歳になることが、ぼくにとって生きる希望だったよ、ずっと。そうすれば、ぼくの居ない家族は円満になるんだろうって。

でも、結局虐待の後遺症の呪縛がすごくて、人の役に立つことでしか生きてる意味が見いだせなかった。認められたいって・・承認中毒だよね。生きてるだけで OK の子どもとして産まれたかった、いたかったなって。だから、『そんなこと思いながら生きてきたの?今まで。』なんだよな、多くの人にとっては。想像もつかないんだろうなって。

同情してくれとか、そういうのじゃないんだけどね。羨ましいなって思ったよ、『捨て子だからだよ。捨て子ってのは、人の役に立たなきゃ生きてる意味がねぇんだ。そうだろ?親にとって子どもは無条件に可愛い。生きてるだけで OK(オッケー)だ。でもオレはそういうわけはいかねぇ。』って思わずに生きていけるなんて。条件付きじゃなくていいなんて。

今更感はあるっていうか、言ってどうこうなるってもんでもないけど、それでもさ、夢見ることぐらいはあってもいいと思うんだよな。




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饅頭喰人形の問いかけを思う。

姉とぼく(弟)。
同じ親から産まれた子どもはどうなんだろう。

母亡き今もしも問いかけたら
親父はどう答えるんだろう。



命に関わるわけではないが手術を控える親父を前に
問いかけてみたい衝動と葛藤している。