-

痛み、ごはんがおいしい、寄り添うということ

11962976265_8bc9fcd504_z.jpg
photo credit:takasuii via Flickr (license)



白色の自己主張 ~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~



                    *



                  309通目



                    *




医者の重要な仕事のひとつ、痛みを取り除くこと。
そのために医者は勉強し、あらゆる手段を講じる。
しかし、患者の痛みを正確に理解出来る医者は、この世に一人もいない。
痛みとは、その人でなければ決して判らないものだから。

フライトドクター 藍沢耕作(あいざわ こうさく)の語り
コード・ブルー ~ ドクターヘリ緊急救命 ~ THE THIRD SEASON #5「寄り添う人」から
http://www.fujitv.co.jp/codeblue/story/index05.html




                    *



災害拠点病院

翔陽大学附属北部病院救命救急センターを舞台にした医療ドラマ
(ドラマ内の病院呼称:翔北救命センター)

コード・ブルー ~ ドクターヘリ緊急救命 ~ THE THIRD SEASON
#5「寄り添う人」に、こんな場面があった。
http://www.fujitv.co.jp/codeblue/index.html



                    *



フライトドクター候補生「フェロー」として
各地の救命で研鑽を積み赴任してきた

藍沢耕作(あいざわ こうさく)
https://www.youtube.com/watch?v=xnmw8-xvbhQ

緋山美帆子(ひやま みほこ)
https://www.youtube.com/watch?v=VE9cLEwX6zY

白石恵(しらいし めぐみ)
https://www.youtube.com/watch?v=YA7UCUY2HQY

藤川一男(ふじかわ かずお)
https://www.youtube.com/watch?v=oxri5U2uvXw

4人は困難なミッション
厳しい現実に打ちのめされながらも

同期の絆
互いの存在
命の現場を巡る人間ドラマを支えに

フライトドクター養成課程を修了。



赴任から9年が経ち今では

彼らをサポートしてきたフライトナース
冴島(さえじま)はるか
https://www.youtube.com/watch?v=5NY1a3GpJv0

と共にフライトドクターとして現場に出ながら
自身の背中を見つめるあらたな候補生

名取颯馬(なとり そうま)
灰谷俊平(はいたに しゅんぺい)
横峯(よこみね)あかり

フライトナース候補生
雪村双葉(ゆきむら ふたば)
http://www.fujitv.co.jp/codeblue/chart/index.html

を育てる立場となっていた。



                    *



父は医学部教授
兄と姉も医者という家庭に育った冴島は

末っ子であることから
両親の期待も上二人でもう済んだのか軽んじられて育ち

意地で医学部を受験するものの不合格になり
その後看護学校へと進学し看護師となった。



そんな学生時代を家庭教師として支え

失意の中に居た冴島に光をもたらし
看護学校進学へと後押ししたのが

当時医学部生で
後に恋人となる田沢悟史(たざわ さとし)だった。



優秀な心臓外科医だったが
ALS(=筋萎縮性側索硬化症)を発症。

全身が徐々に弱り動かなくなる難病で
効果的な治療法は未だ確立されておらず

発症すれば3年から5年で死に至る。



田沢は冴島の重荷になりたくないという思いから
冴島は仕事が一番面白い時に田沢に時間を奪われたくないという思いからすれ違い

田沢は自殺未遂を起こし
冴島はそんな田沢を避け

同僚には「死んだ」と伝えていた。



距離を置き

田沢の母親から「会ってもらえないか」
連絡をもらっても鬱陶しく思ってしまっていた折

冴島が働く病院で
障害や難病と向き合って生きる人たちの集いがあり

母親を伴って田沢が来院した。



田沢は

「ここに来ればひょっとしたら会えるかも」

ほのかな期待を冴島に語ったが

見捨てられることへの怖れ
心の弱さ故に病院の敷地内で自殺を図り

たとえ嫌がられたとしても冴島の傍に居られることを選んだ。



からめとられるようで困惑する冴島ではあったが

一時の迷いから自殺を図ったものの
ALS 発症時から自殺未遂後も

自暴自棄になったり醜態をさらしたりしながらも
思うようには動けない身体ながら小さな目標を見つけ

それに向かって懸命に生きる姿を見るうちに
懸命に生きていた日々を思い出すうちに

田沢が学生時代の冴島を励ましてくれていた時と
なんら心根では変わっていないことに気づき

わたしを必要としてくれる人
わたしの光となって導いてくれる人

想いが溢れ
死期を迎えるその時まで共に生きていくことを選んだ。



                    *



別離の日



死期が迫ったことを悟ると
田沢は自身で延命を拒否する書類にサインしていたため
両親や友人らに見守られながら息を引き取った。



田沢が亡くなった時冴島は
田沢のように自分を必要としてくれる人が居る所へと
病室を後にしドクターヘリで向かっていた。



それが自分の仕事であり
今自身がすべきことであり
医師である田沢もきっとそう望んでいたと思うから。



                    *



クールで勝ち気な性格に見える冴島ではあったが

「もうわたしを必要としてくれる人はいない」

田沢の死を受け入れることが出来ず
生前彼が携帯電話に遺してくれた留守番電話のメッセージを
折に触れては幾度となく再生し

なんとか心のバランスを保っていた。



そんな冴島にフェローとして赴任してきた時から好意を持っていた藤川は

失意の今では下心があるのではと受け取られるかもと距離感に悩みながらも
冴島のために「おれに出来ることがあれば言ってくれ」と申し出たり

お調子者の底抜けな明るさで
毎日多くの哀しみが生まれる職場に明るさをもたらして
冴島だけでなく沈みがちな職場のみんなを励ましたり

無理に忘れなくてもいい
乗り越えなくてもいい

そっと言葉を掛けたりしながら
陰日向に寄り添ってきた。



藤川の想いや存在
同期のフェローたちの想いや存在にも支えられた冴島は

消せずにいた田沢のメッセージを消し
前を向いて歩み始めた。



                    *



藤川と冴島

この一件だけではなかったが
互いに人間性に惹かれる出来事を重ねる中で意識し
いつしか交際する仲となったふたりは

多忙な職場であることからすれ違いばかりで
まともに会話できるのは家から病院までの車の中という有り様ながら

同棲を始めていた。



ある日

当直を終えて家に帰り
泥のように眠ろうとした藤川。

帰ってきたことに気づいて寝ぼけながら起きてきた冴島を
まだ寝かしておいてあげようと部屋へと戻した時

床に置いてあった冴島のバッグに足が当たってしまう。



中身が散らばり
慌てて戻そうとしたら

手帳に「妊娠7週」と書かれた
検査結果の用紙が挟まっているのを見てしまった。



藤川としては喜ばしいことこの上ない。



誰かに話したくて仕方がなく
嬉しさ余って職場で口を滑らせてしまい

耳にしたスタッフリーダーの白石は

「どうするにしても早めにヘリは降りたほうがいいと思う」

冴島にスタッフリーダーとしても
友人としても気遣い
良かれと思って言葉を掛けるのだが

白石らには自分の口から伝える前に
藤川から伝わったことに機嫌を悪くしただけでなく

父親となる藤川には

「今仕事が面白いからまだ産むかは悩んでいる」

と告げた。



                    *



そうして悩みながらも仕事を続けていたある日

ドクターヘリ要請があって白石らと
自殺未遂を起こした患者を搬送していた時

カプセル状の猛毒シアンで自殺を図ったと知らないままに搬送していたために
嘔吐した吐瀉物を足元に浴びた冴島は

ヘリ内でシアン化合物中毒の巻き添えとなり意識不明に陥ってしまった。
http://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-353.html



幸いにも原因物質がシアンと特定され一命は取り留めたが
未だ意識は戻らない。



一時は植物状態もと思われたが
藤川らが不眠不休で付き添うなか目を醒ました冴島は

まっさきに思ったのが自分自身ではなく
父親となる藤川でもなく

赤ちゃんのことを思ったその想いを抱きしめていた。



仕事よりも
産む産まないよりも
赤ちゃんの存在をまっさきに思った。



自分が本当はどうしたいのかに気づいた。



後任のフライトナース雪村も育ってきていることから冴島は
地上の救命スタッフとしてヘリを降りることを決めた。



                    *



出産の準備に入るまで
ここで仕事を続けていたいと思っていたある日

ヘリ搬送された患者の処置をサポートしていた冴島は
耐え難い頭痛に襲われたかと思いきやその場に倒れ込み

下腹部から血を流して苦しみ始めた。



その場に居合わせた
フライトドクター養成課程修了後
産科医となった緋山が処置に。



まだ13週にも関わらず
胎児が顔を出してしまっていた。



今出てきたら助からない。



緋山は持てる技術をすべて注ぎ込み
なんとしても赤ちゃんを助けたいと懸命に処置に当たるが

技術を超える事態が相次ぎ
緋山の経験と腕をもってしても助けることは叶わなかった。



                    *



ベッドで説明を受ける間
冴島はずっと天井を見つめたままだった。



「助けられなくて」

謝る緋山に

「まだチャンスはあるから」

冴島は気丈だった。



                    *



2日後
冴島の病室を訪ねたくても訪ねられなかった藤川は
意を決していつものお調子者のキャラクターで病室へと入っていった。




(冴島は病院の食事をぱくぱく食べていた)

藤川:おっ!ちょうど昼飯かぁ。
冴島:そっちは?まだ?
藤川:まだ。きょう、外来多くてさ。

(目の前のお膳に並んだごはんを見つめて)

藤川:

ほぉ~、いい匂い。
腹減ったなぁ。
うまそうだなぁ。
ちょっとくれよ!

冴島:

ダメ!
これ、すごくおいしい。

藤川:

うちの病院って、メシうまかったのか。
へぇ、デザートまで付くのかぁ。

(いつものキャラで元気づけようとするが違和感を覚える)
(泣けるほどおいしいのか?いや、違う)

冴島:

ねぇ、おいしいよ。
すごく・・おいしい・・
ごはんが・・おいしい・・
つわりで何食べても不味かったのに・・
早くおいしくごはん食べたいなぁって・・ずっと思ってたのに・・
今は・・全部おいしい・・

(あれほど進んでいた箸がぴたりと止まり)

赤ちゃん・・居なくなったんだね・・

(箸が手から転げ落ちお膳には涙が滴り落ちた)

ごめんなさい・・
もっと早くヘリを降りればよかった・・
あの日、白石先生の言う通りにすればよかった・・
あたしが悪かった・・
あたしのせいで赤ちゃんは死んだ・・

藤川:違う・・

冴島:(頭(かぶり)を振り)

まだ13週なのに・・
たった13週で・・あの子の命は終わった・・
あたしは・・ちゃんとおかあさんじゃなかった・・




                    *



「はるか・・」

嗚咽する冴島を前に
そう言葉を絞り出すだけで精一杯だった。

なにをしてあげることも
なんて言葉を掛けることも出来なかった。



                    *



冴島の病室を後にした藤川は
エレベーターで一緒になった同期の藍沢に
怒りや哀しみが綯い交ぜになった想いをぶちまけた。




なんなんだよ・・
はるかの人生ってなんなんだよ・・

好きだったやつに死なれて、子どもにも死なれて・・
そんなのないよ・・
なんではるかばっかり・・こんな目に遭うんだよ・・

おれ、なんにも言ってやれない。
力になってやれない。

おれ、あいつ幸せにしてやれるかな。




問われた藍沢もまた言葉がなかった。



                    *



幼いころ

「甘えるな」の自己責任
「頼るな」の自助努力
「正社員で家族を養って一人前」の男らしさ・自立

この3点セットを両親から厳しく躾けられ
出来の良い姉といつもいつも比べられ

どう頑張っても3点セットからかけ離れるぼくは
やれることはやり尽くすほど努力しても出来の悪いぼくは

いつもいつも両親から否定されつづけて育った。



否定されるときはきまって問答無用で大声で叱責され

頬を何度も往復させて強烈な平手打ちを食らったり
耳やもみあげを上に引っ張りあげられたり

この頃はまだ丸刈りになる前だったが
(敏感肌で髪が伸びると皮膚が痒くなるので)

髪の毛を引っ張られて
右に左に引き倒されるなどしていた。



当時は躾の範疇だったろうけれど
今の感覚で言えば虐待で通報されるだろう。

よく死ななかったなと思うし
よく両親を殺さなかったなと思う。



幼いころの両親との記憶は

正座して下を向き
じぶんの太ももが涙で滲んで見えないくらいに泣きに泣き

顔を真っ赤にしながら

「ごめんなさい」
「ごめんなさい」

決して許してもらえないのだが
なんとか許してもらおうと何度も謝りつづける。

そんな記憶しかない。



                    *



そうした叱責に怯える日々に加え学校では

敏感肌で色白
生まれつき目の下にくまがあることで
「パンダ」とからかわれる見た目を理由にしたいじめに遭っていて

家でも学校でも苦しむサンドイッチ状態。

二重苦のストレスから
いつもぼくはお腹の調子が悪かった。



さらに幼少期から

顔の骨格が変わるほどに平手打ちを食らったせいで
あれほど頑丈な両奥歯がぐらついたり欠けたり

折れたり
抜けてしまってボロボロに。

ストレスからくる睡眠時の歯ぎしりや

おとなを前にしたときの緊張からくる
無意識の歯の食いしばりが顎に負担をかけたりして

歯の状態をますます悪化させていた。



学校の健康診断で歯の検診もあるのだけれど

前歯以外にまともな歯がないことが恥ずかしいのと
奥歯の欠損の原因が親にあると思われるとあとが怖いから

お医者さんの前で口を頑なに閉じたままなにも見せず
なにも語らずを貫くほどだった。



歯医者さんに行けば行ったで
(というか行かせてはもらえなかったのだけれど)

当時はこうした認識は
歯医者さんにも世間にもなかったけれど

虐待だと疑われ事情を聴かれかねない。

そうなれば親の報復が怖い。
だから治療に行くことも叶わない。

それくらい異様な親子関係の中にいた。



そうしてごはんを食べても

奥歯でよく噛んで食べるということができず
消化不良のまま飲み込むしかないままに食べていたので胃腸に負担がかかり

それもお腹の調子を悪くする要因となっていた。

平手打ちを食らった衝撃で口の中を切り
頬の内側は四方八方傷だらけ。

水さえまともに飲めない
始終そんな痛みを我慢しながら食べる苦痛も上乗せされて。



食べればものの数分でお腹でごろごろと雷が鳴り
数十分でお手洗いに駆け込むのが日常茶飯事だった。



生きるために食べたというか飲み込んだけれど

切った口の中に充満する血の味がするごはんなんて
辛い以外の何物でもない。

だからぼくにとって
ごはんがどこかおとなになってからも苦痛だったのは

この記憶が舌にもこころにもあるからなのだ。



                    *



高校卒業後就職を機に

厳しい躾で着苦しかった
虐待で逃げ出したかった実家を出て

ぼくは一人暮らしをはじめた。



じぶんで汗水たらしてはたらき手にしたお給料で
新生活に必要な物を買い揃えていった。



なにもなかったがらんとしたじぶんの城。



一年ほど経って部屋を見渡したとき

「これは初任給で買ったんだよなぁ」
「これは毎月のお給料からちょっとずつ貯めて買ったもの」
「これはボーナスから奮発して買ったやつ」

ひとつひとつの物に物語があって
じぶんの力でこうして生活を築けたことが誇らしかった。



あまりに部屋を見渡しすぎて目が回った。



食器も買い揃えた。
まっさきに揃えた。

プラスチックじゃない。

幼少期両親が適当に選んだ食欲が減退するような
いかにも身体に悪そうな色の着色料のような

どぎつい原色のカラフルなものじゃない。

料理が映える白い器。
憧れだった。



箸も買った。

幼少期ぼくの箸と言えば
家族の中で唯一人割り箸だった。

もちろん替えはない。

割り箸を何度も洗って
水で腐って折れるまで使った。

でももう使い捨てじゃない。

量産品ではなく
職人さんが丹精込めて手掛けた一品を。



そうして揃えて自炊したごはんはちゃんと味がした。
ごはんって、素材の味がするんだなって初めて思った。



もう血の味がするごはんではなかった。



おいしかった。
初めてごはんをおいしいと思った。



                    *



両親を棄てたからだった。



                    *



27405605821_ca3c5e27d5_z.jpg
photo credit:takasuii via Flickr (license)



父がそけいヘルニアを患い
手術することになったと前日に連絡してきた。
http://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-355.html



手術は

全身麻酔
局部麻酔

二通りの方法があり

高齢のため術前検査でどれくらいの麻酔に耐えられるか調べるため
負荷をかけての心電図やレントゲン検査などを事前に行い

その検査結果を踏まえて翌週の診察日

手術方法の選択
手術日程

ふたつを決めるはずだった。



ところがレントゲンに

ビリヤードの玉か
野球ボール大くらいはあると思われる巨大な腫瘍が

異様な姿でくっきりと映っていた。



こんな形で見つかったのはラッキーだったが

その場ですぐさまそけいヘルニアの手術は後回しでも問題ないと
肺の腫瘍の検査を最優先させることとなリ

CT 検査を受けた。



上がってきた画像には
左肺の9割を塞ぐほどの巨大な腫瘍が映っていた。



外科から呼吸器内科へとバトンタッチとなり

【1】 腫瘍が転移していないか
【2】 腫瘍の状態を内部から探ることと組織検査

二本立てで検査を進めることが先生から提案され

今週17日は MRI 検査(【1】頭部のみ)
18日は一日入院して気管支鏡検査 → きょう19日退院(【2】)

週が明けて24日は東名古屋画像診断クリニックにて
画像診断 PET(ペット)検査(【1】首から下)
https://www.nagoya-pet.or.jp/higashi/celeb/pet.html

検査予定が立て続けに入った。



このとき初めてぼんやりしたキーワードではなく
肺癌の可能性に具体的に言及され

50年以上タバコを吸い続けてきて
いつかはこうなると判っていたはずの父ではあったが

後ろに座って一緒に先生の説明を聴きながら
うなだれる父の背中が目に焼き付いて離れなかった。



子どもの頃あんなにおおきかった父の背中がちいさく見えた。



診察
検査を受ける度に

あらたな診察日時
検査日程が追加され

その度に実家にあるびっしり予定が書き込まれた父のカレンダーに

ひとつ
またひとつと斜線が入って

国内外の旅行
ボランティア活動
趣味の写真
各地イベントへのお出掛けの予定など諸々が

「あれも出来なくなった」
「これも駄目か」

消されていった。



                    *



痛みをパーフェクトに理解することなんて出来っこない。
本人に成り代わることでもない限りは。

痛みは、相手とイコールにはなりえない。
似た経験をしていても、やっぱり違う。

でもだからといって寄り添えないとは思わないし
寄り添うことをやめたくはない。



「どうせ判りっこない」とはなからあきらめるのではなく

判ろうとすること
歩み寄ってみること。

パーフェクトは難しくても
限りなく Best に近い Better なら出来ると思うから。



医者にしか出来ないことがあるように
家族にしか出来ないことがある。

親子だから出来ることがある。
男親と息子だから出来ることがある。

長男だから出来ることがある。
男だから出来ることがある。

人間だから出来ることがある。
共感力に長けた日本人だから出来ることがある。

紆余曲折あって家族をやり直した親子だから出来ることがある。
幼少期よりこころに深いあまたの傷を負ったぼくだから出来ることがあると思うから。



                    *




人は、他人の痛みは判らない。
医者と患者に限らず、夫婦、親子、友人、どんな間柄でもそれは同じだ。
しかし、痛みは教えてくれる。
自分の傍に、その痛みを分かち合いたいと思ってくれる人が居ることを。
その存在に、気づかせてくれる。

フライトドクター 藍沢耕作の語り
コード・ブルー ~ ドクターヘリ緊急救命 ~ THE THIRD SEASON #5「寄り添う人」から
http://www.fujitv.co.jp/codeblue/story/index05.html



隧イ蠖薙・險倅コ九・隕九▽縺九j縺セ縺帙s縺ァ縺励◆縲�