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永遠の二番手

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photo credit:Nick Fuentes via Flickr (license)



白色の自己主張 ~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~



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                  310通目



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8月26日土曜日午前3時20分

肺がんの治療を待つ間に肺炎を併発し
救急搬送された父が病室へと運ばれ
薄明かりに照らされながら姉の名を何度も口にする姿を見ながらぼくは

虐待を受けて育ち
親子関係に悩みながらも生き抜いてきた日々を振り返って友人に話した

とあるドラマのことを思い出していた。



                    *




日曜劇場『ごめん、愛してる』ってドラマでね、主人公の律(=岡崎律 おかざき りつ http://www.tbs.co.jp/gomen_aishiteru/chart/)は、ピアニストの母親が人気絶頂期の頃に著名な指揮者と不倫関係になって宿した子どもなんだけど、どちらも自分の立場やキャリアを守りたい一心で、律は産み落とされてすぐに付き人の手によって秘密裏に養護施設に捨てられた。

その後律は里親に引き取られて、10歳で小学校を中退して父親の仕事の関係で韓国へと渡るんだけど(岡崎姓はこの里親のもの)、里親との折り合いが悪くて親元を逃げ出した。日本人の、それも子どもが独りで異国の地で生きていくなんて想像を絶するものだったと思う。もちろん似た境遇でも立派に生きてる人もいるだろうけど、律は生きてくために街の外れの掘っ立て小屋で寝泊まりしながらレストランの厨房、建設現場の作業員をしたりして地を這うような生活を経て裏社会、韓国マフィアの運転手、そしてボディガードになってた。

「律」ではなく、「リュウ」と名乗って。

でもある日、律のことをアニキと慕ってくれてた跡取り息子の誕生日パーティーの席で、敵対するマフィアから銃撃された彼を守ろうと盾になって何発も撃たれた。幸い命に別状はなくて助かったけど、撃たれたときに手術では取り除けないところ、脳の中枢に関わる部分にね銃弾が残ってしまって、それがじわじわと中枢神経を侵していって、じきに身体が動かなくなって、早晩死へと至るって医者から告げられる。

マフィアからは最初こそ跡取り息子だけがお見舞いに来てくれたけど、その後は病状を知ってすぐに用済みと判断されて、多額の手切れ金を渡されてそれっきり。律は残された人生をどう生きるか考えて、日本に帰り母親を探そうと決める。

手がかりは育った養護施設と、捨てられたときに一緒に置かれていたお守り袋に入った「律」と書かれた紙片、そして母親が身に着けていたであろう宝石の付いた指輪。探し始める律に、ピアニストの母と指揮者が不倫関係の末子どもを捨てたことを掴んで記事にしようとしてるフリージャーナリストが近づいてきた。

居場所を教えられた律は早速会いに出かけたものの、家は見上げるほどの大豪邸。お金持ちであること、何不自由なく暮らしてることはすぐに想像できた。母親だから自分のことに気づいてくれるものと思って本名の「律」ではなく「リュウ」って名乗ったけど、母は自分のことなんて腹立たしいほどきれいに忘れてて、律を見てもなにも感じない。もうひとりの、自分の知らない息子サトルを溺愛してる姿を目にして激しい憎しみを憶える。ジャーナリストにそそのかされて秘密を暴露して、復讐してやろうとまで。

でも母が不倫関係の清算で自殺を図って、そのときの後遺症でピアニストとしては致命的な右手に障害が残ってしまって、人気実力共に絶頂期だったのに事実上の引退に追い込まれたことを知ったり、捨てられた自分と違って溺愛されて幸せに映ったサトルも、夢絶たれた母の夢の代わりにされて、すべてはママの言う通り。操り人形のようになってる。

男の子がするような遊びは指を怪我するからってすべて禁止されて、おまけに心臓の持病があるから出掛けることもままならない。そんなんでいつも家に居るから、母親の愛情もエネルギーもすべてがサトルにのしかかって、四六時中ピアノに打ち込まされて友達はいない。逃げ場もない。部屋で他にすることといえばゲームだけ。

母親にとってはサトルがすべて、サトルが人生の中心。息苦しいだろうなって思った。でもサトルは母親に見捨てられたくないから、必死で良い子でいようとしてる。それぞれの事情を知って律は、出逢ったときに抱いた印象も、感情も、変わっていくのね。

捨て子として一切関わるつもりがないなら「律」って名付ける必要もないし、紙片もいらない。指輪も後々接点が判ってしまいかねないから持たせてしまうことはリスクがある。それでもお守り袋に入れて一緒に置いたのは、この子のことをどうか守ってほしいって母心っていうのかな、願いがあると思ったし、いつか律が自分のことを探して会いに来てくれることを期待してたんじゃないかなって思って観てた。今のところは気付いてないし、ぎくしゃくしてるけど。

事情をもし知ることがなかったら律は自分のこと捨てただけでなく、きれいに忘れてもうひとりの息子と幸せに暮らしてることをただただ恨んで、ジャーナリストにそそのかされて復讐してたと思うのね。でも事情を知って、一度は乗った暴露にブレーキを掛けた。

そんな律にチャンスが巡ってくる。

サトルが韓国に公演で出掛けたとき、見に来てくれてた好意を寄せるサックス奏者の塔子(とうこ)とデートするからって付き人の凜華(りんか)を先に日本へ帰すんだけど、帰国前の韓国の街ナカでパスポートやスーツケースを奪われたのを律が助けたことが縁で、日本に帰ってきたときに橋渡しをしてくれて、サトルの運転手として母親の傍で働く機会を得るのね。

ただある日、サトルが恋人として塔子を紹介する席にどこで嗅ぎ付けたのか例のジャーナリストがやって来て、レストランで大勢のお客さんが見てる前で、わざと大声で、母親がひた隠しにしてきたスキャンダルを匂わせる発言をするの。律に、あとは暴露記事を出すだけの段になってドタキャンされた鬱憤もあってね。律は母親が大勢の前で辱めを受けることが我慢ならなくなって、運転手だから母親、サトル、塔子、凜華の居るテーブル席からは離れた場所に独り居たんだけど、席を立つとジャーナリストを殴り倒す。

そんな姿を見て凜華は、律が母親を探しに日本に来てることも、サトルの母親が実は律の母親でもあることもまだ知らないから、どうしてただの雇い主なのにそこまで熱くなるのか、律に尋ねるの。


律:

捨て子だからだよ。
捨て子ってのは、人の役に立たなきゃ生きてる意味がねぇんだ。
そうだろ?
親にとって子どもは無条件に可愛い。
生きてるだけで OK(オッケー)だ。
でもオレはそういうわけはいかねぇ。

凜華:そんなこと思いながら生きてきたの?今まで。
律:あぁ。


そんな律の知られざる想いを知って「えらいね」って頭をなでなでして、「よくここまでおおきくなったね」って労う凜華に母を重ねて想いが溢れたのか、唐突に膝枕を頼んだかと思えば、子守唄を歌ってくれってせがむ。目を閉じて聴く律の目からは、涙が流れ落ちてた。




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フリージャーナリストは

一度は暴露記事に乗った律が
一方的に話をなかったことにしただけでなく

公衆の面前で殴りつけたうえ
自分を捨てた母親やその息子サトルと距離を縮めていく様子が面白くない。



律には律の考えがあってのことだが
そんな想いを踏みにじるように

サトルが意中の人
塔子と結婚することをマスコミが報じたタイミングで

暴露記事をぶつけてきた。



律が心底嫌がることを。
母親 日向麗子(ひゅうが れいこ)がもっとも知られたくないことを。



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もう隠し通せないと腹をくくった麗子は

溺愛する息子
サトルに迷惑が掛かることだけはどうしても避けたい一心で

付き人 三田恒夫(みた つねお)に
記者会見の場をセッティングするよう頼んだ。



律を棄てた夜は雨だった。
あの日以来雨の日になると思い出してしまう忌まわしい過去と決別するために。



すべて真実を話すと。



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麗子:

この度は私事で大変お騒がせをして申し訳ございませんでした。
この様な騒ぎになった責任を取り、自分の口から真実を話したいと思い立ちました。

私は、亡くなった黒川龍臣(くろかわ たつおみ)さんとお付き合いをしていました。
37年前の二十歳からの2年間です。

記者A:

その当時、黒川龍臣さんの奥様はまだご存命でしたよね?
不倫の関係にあったということで間違いないですか?

麗子:奥様がいる方とは承知していました。
記者A:知っていてなぜ関係を続けたんですか?

麗子:

当時駆け出しの私にとって、音楽界の頂点でいられる黒川さんは憧れの存在でした。
そんな人のお傍に居られるだけで幸せだったんだと思います。

記者B:それで、黒川さんとのお子さんは妊娠されたんですね?
麗子:はい。
記者B:その時の黒川さんの反応は?

麗子:

『産むな』と言われました。
それでも私は子どもを産みたいと思いました。

記者B:それはなぜですか?

麗子:

授かった命だからです。
でも子どもは・・死産でした。

(騒然となる記者会見場)

記者A:死産というと、赤ちゃんは亡くなった状態で産まれてきたということですか?

麗子:

はい。
妊娠当時、私は世間の目を逃れて東京から遠く離れた所で暮らしていました。
予定日よりずっと早く陣痛が起きて、急いで病院へ向かいました。
が、そのまま帝王切開となり、子どもは間に合いませんでした。

(ここぞとばかりにニヤリとするフリージャーナリスト 加賀美(かがみ))

加賀美:

その話、本当ですか?
お子さんは本当に亡くなってたんですか?

麗子:

はい。
本当です。

(平然と言いのける麗子)

でも私はその後、サトルという宝物に出会いました。
サトルは私のすべてです。
私の命です。

このような会見を開いたのも、私の若い頃の失敗が万が一でもサトルの将来を脅かすような事があってはならないものだと思い決心しました。

もう37年も前の事です。
私にとっては消してしまいたい過去です。
ですからこの話は、これでおしまいにさせてください。
どうぞよろしくお願い致します。

(一方的に会見を打ち切り席を立つ麗子)




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日向邸で働く律の存在を
嗅ぎ付けたマスコミに知られてはまずいと判断した三田によって
邸内地下の倉庫に閉じ込められていた律は

記者会見の場を設けることでマスコミが引き上げたタイミングで
三田の娘 凜華によって解放された。



何時間ぶりかに解放され
お腹が空いたと食堂でラーメンを食べていた時
テレビ中継される記者会見の様子を偶然見た律は

『自分の口から真実を話したいと思い立ちました』

麗子のこの言葉にほのかな期待を抱いた。



だが、冒頭から会見用に準備された言葉を棒読み。

浮足立つが
産むなと言われても産むことを決意した理由を

『授かった命だからです』

初めて感情を表に出して語った言葉に
律は自分のことを話してくれるのではと固唾を吞んで見守った。



語られた言葉は、『死産』。
『私にとっては消してしまいたい過去』。
自分は居なかったものと葬られた。



死産の哀しみを乗り越えたひとりの女性。
美しき物語、美談にされていた。



自分が居ることが母を苦しめているのか。



感情も言葉も失う律に
ぼくは自身を重ねて観ていた。



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8月初旬

父がそけいヘルニアの手術を受けるため
病院で術前検査を受けたところ

レントゲンにビリヤードの玉か
野球ボールくらいはある巨大な腫瘍が見つかった。



こんな形で見つかったことはラッキーだったが
急遽 CT検査を受けることとなり
案の定 CT画像にも左肺の9割を占めるであろう腫瘍が鮮明に映っていた。



そけいヘルニアの手術は先延ばししても命に影響はないが
肺の腫瘍はおおきさからいってもそうはいかない。

外科から呼吸器内科へとバトンタッチされ

【1】 腫瘍が転移していないか
【2】 腫瘍の状態を内部から探ることと組織検査

二本立てで検査を進めることが先生から提案され

17日に MRI 検査(【1】頭部のみ)
18日から一泊二日で気管支鏡検査 (【2】)

24日は東名古屋画像診断クリニックにて
画像診断 PET(ペット)検査(【1】首から下)
https://www.nagoya-pet.or.jp/higashi/celeb/pet.html

検査予定が立て続けに入った。



7月下旬くらいまでは

国内外の旅行
ボランティア活動
趣味の写真
各地イベントへのお出掛けの予定など諸々で
両膝の痛みこそあって歩きづらさはあったものの快活だったはずの父が

8月に入ってそけいヘルニアの手術の予定が組まれたあたりから
坂道を転げ落ちるように異常なスピードで衰弱が始まり

日に日に加速していって
あっという間に寝たきりのような状態になってしまった。



表現は悪いが、おむつをしたでっかい赤ちゃんだ。



家族が闘病生活になったとしてもお金の心配などせずに
望む治療をすべて納得いくまで受けられるように

そんな目的もぼくのアーリーリタイアにはあって

入院費
治療費
タクシー代などすべてぼくが持ちながら

日中仕事があるために出来ない姉や
父と国際結婚で再婚したお嫁さんに代わって

日中自由に動けるぼくが周囲の力も上手に頼りながら
身の回りの世話や病院への付き添いを買って出た。



そんな父の口からいつだって出るのは
日本語が通じ、頼りになる姉のことばかり。



姉家族が旅行に出ていれば

「いつ帰ってくる?」

そればかり尋ね
姉が実家へ来ると判ると

「いつ来るんだ?」

ご機嫌になり
笑顔を見せる。

ぼくにはない。



姉は父の元気の源
姉は父の笑顔の素

絶縁して
母親の葬儀以外顔を見せない連絡もしない17年の時を経て

紆余曲折あって家族をやり直したものの
http://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-289.html

捨て子同然に姉弟間差別をされて虐待を受けて育ったいびつな親子関係だし
男親と息子というややこしい関係でもあるから

それぞれに役割というか
自分には出来ないことが姉には出来ると頭では判っていても

ぼくを呼ぶとき
ことばを発するときは用件だけ

なにをしても当たり前
ありがとうの「あ」の字もない。

「やってやってる」なんていうふうには思わないけれど
口を開けば「姉」「姉」でいい加減キレた。



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『そんなにおねえさんがいいなら、なにからなにまでやってもらえよ!』



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叶うことのない想い故の嫉妬なんだろうなと思う。
子どもじみてると思われてもいい。

「ありがとう」って言ってほしいわけじゃない。
同じ親から産まれた子どもとして同じように見てほしい。

ただそれだけ。



親の面倒は子どもが見るものだとか

育ててもらった恩だとか
無償の愛だとか
見返りを求めてはいけないとか

そんな道徳的な綺麗事はいらない。



なにをしても報われない虚しさ。
疎外感。
姉とぼくの間にあるガラスの壁があまりに厚い。



長男が一番手になれるのは
葬儀などで『喪主は通常ご長男様』みたいなときだけだ。

たいてい重責。
優越感なんてない。

一番手になりたいわけじゃない。
勝ち負けじゃない。



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救急搬送されるまで
検査検査で治療が始まらなかった。

正確には、始められなかった。

診断名を確定させ
治療方針を決めるには
各種検査は必要なことだったと思うし

検査がすべて終わらなければ
治療を始めることが出来ないのも判る。

でも言い方を変えれば
ほぼ一ヶ月間肺がんの進行を放置したのと同義だと思う。

がん治療に定評のある病院だし
先生に恵まれ非常に良くしてくださるが

この点だけは今もって納得がいっていない。



その間父の衰弱は

単に動けないことに起因するには説明出来ないほどに異常なスピードで悪化するばかりで
24日外部の病院で最後の検査を受けることさえ困難だった。

ただどれだけ辛くても最後の検査前に入院してしまうと
入院中は他の病院で検査や治療を受けられないルール故に

最高の治療を受けるために必要な検査結果をすべて揃えるために衰弱と格闘しながら
なんとか受けて欲しかった最後の検査を受け終わった頃には力尽きんばかりだった。



この日を迎えるまで

家族がどんな想いで痛みや体調悪化で苦しむ父をなだめ
検査を受けさせようと腐心してきたか。

医者はその痛みが判るか。
信用していないわけじゃないけれど。

家族として出来ることはやり尽くし
為す術がなく

あとはもう医療の領域だった。



固形物を受け付けなくなり
嘔吐する父の背中を擦るとき涙が出た。



最後の検査を受け
今までの検査結果が出揃って

診断名の確定
治療方針の決定が説明されるのは明日、28日(月)。

健康なぼくらにとっては24日から数えてあと数日でも
父には果てしなく遠い。

永遠にも思える時間だったと思う。



21日(月)にあまりの衰弱で病院へ急遽連れて行ったときには

血液中の酸素が低下していて
医療用ボンベで酸素吸入するほど。

初めてのことで
あまりのことで狼狽した。



そんな状態でなんとか最後の検査を終えたのだから
もう耐える必要はないと父に話した。

タクシーで病院へ向かって入院することは
寝たきりに近い状態の今はもう無理だから
救急車を呼んで救急搬送→入院すればいいと話したが

あれだけ最後の検査を迎えるまで入院したいと四六時中言っていて
「しんどい」「痛い」と口を開けば言ってここまで衰弱しているのに

「そんなことしてはいかん」と頑な。



もっと酷い状態でないと呼んではいけないと思っているようで
ぼくが何度説得しても絶対に首を縦には振らない。

タクシー代わりに使うのは論外だけれど
今のこの状態なら治療云々以前に衰弱で力尽きかねない。

それで受話器を取って救急車を呼ぼうとすると

「やめろと言っとるだろ!」

どこにそんな余力があるのか
ものすごい剣幕で怒鳴る。



この状態で強引に救急車を呼んで
駆けつけてくださった救急隊員の皆様を相手に『行かない』とごねることは

その時間自体が無駄だし
皆様の時間を無駄に奪うこと。

無駄に奪った時間で救急車を必要とする他の人の所へ行けただろうし
その人の命を救う機会を奪うことにもなる。



だから姉に連絡した。



ところがあんなに頼りにしていて心を開く姉にも電話口で

「余計なことはせんでもいい!」

頑なで埒が明かない。
イライラが募る。

さすがの姉も業を煮やし実家へとやって来て
目を掛ける姉家族のことを引き合いに出して説得すると

ようやく渋々ではあったが呼ぶことを了承。



救急搬送された病院での診断は『肺炎』だった。



救急車を頑として呼ばず

『明日の朝一番、タクシーで病院へ行く』などと
介助するぼくのことなどまるで考えない無茶なことを言っていたが

最初の搬送先で当直だった呼吸器内科の先生の話では
もし26日(土)だったなら腫瘍のある肺の状態と相まって

今よりも悪化し
重篤化し

命を落としていたかもしれないとのことだった。



このタイミングで搬送出来たことに安堵したが
父に振り回されたことへの疲れもどっと出た。



                    *



夜9時に救急搬送されて肺炎の治療をしていただき

そこから最初の搬送時救急外来が満員だったかかりつけの病院へと
容体の安定を見計らって転院搬送していただき

最初の救急搬送から6時間あまり経った
8月26日土曜日午前3時20分

病室へと運ばれ
薄明かりに照らされながら姉の名を何度も口にする父の姿を見ながらぼくは

父の重い扉を開いた姉との間にあるガラスの壁を思っていた。


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