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白色の自己主張 ~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~



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早朝、外に出たら風がひんやりとした。
季節が変わったんだなと思った。

人生でこれ以上ないほど濃かった父との一ヶ月。
8月が終わった。



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父が救急搬送されたくだりは既に書いたので割愛。

永遠の二番手
http://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-358.html

それからの重苦しい一週間
想いを吐露しないと苦しいのでことばにしていく。



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28日月曜日
本来なら12時より主治医から出揃った検査結果を踏まえての

診断名の確定
治療方針の説明の予定だったが

この日を前に父が救急搬送され入院。

腫瘍のある肺の部分に肺炎を併発してしまったために
治療方針の大幅な変更を余儀なくされることとなった。



実は一泊二日で気管支鏡検査を受けた日の夕方
主治医から『無事終わりました』との連絡が入った。

別段大掛かりな検査でもないのに
どうして『終わった』なんて連絡があったのだろうと思っていたら

前日に受けたMRI検査で脳への転移が見つかり

名古屋共立病院放射線外科センターにある
脳転移への治療効果が高い『ガンマナイフ』と呼ばれる治療法で
http://www.kaikou.or.jp/kyouritsu/shinryo_hoshasen-geka.html

まずは身体の司令塔でもあり与える影響のおおきい脳からやっつけ
次に肺の腫瘍へという方向性を話してくださった。

この時点ではまだ24日の

東名古屋画像診断クリニック
画像診断 PET(ペット)検査
https://www.nagoya-pet.or.jp/higashi/celeb/pet.html

を受けてはいなかったので
首から下への転移が判らなかった。



ただあれだけおおきな肺の腫瘍が
脳転移だけでおさまってくれるような良い子ではないと思っていた。



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14時

先生が病室へと来られ
ナースセンターへと招かれると

診断名の確定と治療方針の説明があった。



気管支鏡検査の結果から
『肺腺がん』と診断名が確定した。



本来ならMRI検査の結果を伝えてくださったときのように

今考えうるベストな治療法の提案
紹介先の共立病院へ(タクシーで)通院し
ガンマナイフで脳腫瘍をやっつけたうえで

今度は今入院しているこの病院へ入院し
肺の腫瘍をやっつけるための放射線治療という流れの予定だったが

腫瘍のある肺に肺炎を併発している現状では到底望めない。



入院したことで身体の衰弱には歯止めがかかったが
がんの治療には一定レベルのコンディションが欠かせない。

同じ『身体』という視点で見たとき
がんをやっつける成果と引き換えにコンディションが奪われる。

治療とは、そんな矛盾を抱えながら進むことを意味する。



だが、今の父では肺炎を乗り切ることも綱渡り。

抗生物質も思うように効かず
一日一日がヤマだと告げられ

治療のスタートラインに辿り着けるかさえ微妙になってきた。



父は前日の夜(27日)

痰が喉につかえる感じが酷くなり呼吸困難を訴えて
大部屋から個室へと移されていた。

個室は重症化している患者さんが入ることが多いために
怯えるような目で不安がっていた。

末期がんで逝った母のときと同じだからだ。



あれだけ弱音を吐かない人がぼくに『怖い』と言った。
このぼくに。
初めてのことだった。



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気になっていたことを尋ねた。
首から下への転移がどうなっているかだ。



先生は今来たばかりでこれから見るという

東名古屋画像診断クリニックで受けた
画像診断 PET検査の結果をモニター上に出すと

しばしの沈黙の後
副腎や骨にも転移していると告げた。



ステージⅣの末期がん。
余命は、3ヶ月から半年。

肺炎の治療が芳しくなければ
さらに短くなることもあるとのことだった。



本人への告知と延命処置について尋ねられた。

告知は、正直ここでは決められない。
ただ、延命だけは同席した姉とも同意見。

8月の一ヶ月間
ここまで苦しい思いをしてきて

そのうえさらに家族が駆け付けるまでの間
人工心肺を繋いで延命するなんて見るに耐えない。

強いることも出来ない。
本人も苦痛で耐え難いことと思う。



父の命が本来の寿命で終えるまでの間

呼吸を楽にしたり
痛みを取ったりということは積極的にしてほしいが

寿命を迎えて一度止まった心臓を無理矢理動かして
家族が駆け付けるまでの間なんていうエゴのために生かすことだけはしないでほしい

と伝えた。



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検査入院するとき
病名の告知についてのアンケートがあった。



ぼくは今から22年前
母を末期がんで亡くしている。

父の判断で病名を伏せたことを
当時はまだ子どもで深くは考えられなかったが

今は22年の歳月を経て伝えたほうがいいと思っている。



本来の病名を隠すことで

本人が残された人生をどう生きるか
その選択肢を奪うことになるんじゃないかと思った。

知らないほうがいいこともよのなかにはあるかもだけれど

いくら家族とはいえ
どう生きるかの選択肢を奪うようなことをしてはいけないんじゃないか。



本人が決めること。
治療をしないという生きかたも。

100%クリアではないけれど
そう思っていてアンケートにも書いた。



でもいざじぶんが伝える側になったとき

父が肺炎で苦しみ
酸素マスクが曇っているのを見ると

全身への転移が判明する前
当初の予定だったそけいヘルニアと肺の腫瘍さえやっつければ
また元気にボランティア活動などを楽しめる。

そんな希望を持っているのを知っているからこそ

鞭打つような告知
それも余命がちらつくようなことを伝えるのはあまりに残酷で

きょうまでのところ出来ていない。



国際結婚で再婚したお嫁さんにもまだ伝えられていない。

彼女もそけいヘルニアと肺の腫瘍さえ治せば
退院して自宅に戻って来れると思っている。

英語で伝えなければなんだが
今もって言い出せないままでいる。



伝えなければ・・・
いや、伝えないほうがいいんだろうか。

姉とも相談するが
答えは出ない。



苦しい。
こんなにも苦しいなんて。



伝えることも苦しいけれど
伝えないことも苦しいのだと判った。

語りはしなかったが
父も苦渋の思いだっただろう。



母のときは伝え聴く立場だったぼくが
今度は父に伝える側になるなんて。



なんて愛嬌のない人生なんだと思った。



迷ったときには『父が笑顔で居られるには?』

8月の一ヶ月間
原点に立ち返ることばとしてこころの重心に置いてきたけれど

なにを思っても父の笑顔が見えない。



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そけいヘルニアの術前検査
レントゲンで肺の腫瘍が偶然にも判ったとき風が吹いた。



翌日救急搬送されていたり
タクシーで朝一番病院へ向かっていたら
肺炎が重篤化して助からなかったかもと言われたとき風が吹いた。



母も
父も
判ったときには末期がん。

『なんなんだよ、夫婦揃って』

って思った。



でもここまで同じなら
父から母が余命3ヶ月と知らされてから
6年近くも長生きしたことまで同じであってほしい。



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風が、吹いてほしい。



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