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ヒロくんが、愛なんだよ。

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photo credit:gregt99 via Flickr (license)



白色の自己主張 ~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~



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                  312通目



                    *



子どものころぼくは躾と称した虐待を容赦なくする両親を恨んでいた。
躾なんて隠れ蓑だった。



両親には

「甘えるな」の自己責任
「頼るな」の自助努力
「正社員で家族を養って一人前」の男らしさ・自立

そんな理想の子ども像があり
そこから1ミリでも外れることを決して許さなかったからだ。



こんなこと

子どものじぶんに求められたところで
徹底的に叩き込まれたところで

両親が理想とするレベルになんて
子どもの今から辿り着けるわけがない。

成長を待たなくてはならないものなのだから。



当然理想とするレベルになんて届くわけないのだから
もはや言いがかりに等しいものだけれど

気に入らない
気に障る

このふたつのいずれかのスイッチが入ると狂気の沙汰。

出来の良い姉と比べられ
全否定と耳元での大声の叱責がセットになった虐待の嵐が待っていた。



耳やもみあげを上に引っ張りあげられたり

髪の毛を引っ張られて
右に左にぶんぶん引き倒されるなどしていた。

顔の骨格が変わるほどの往復ビンタ。

連日連夜のビンタで
あれほど硬い奥歯が一本残して全滅。

当然歯医者になんて行かせてもらえない。

ビンタの衝撃で口の中をあちこち切って始終血が充満し
血の味がするごはんを生きるために食べてきた。



幼いころの両親との記憶は

年がら年中硬い板の間に素足で正座させられうつむき
じぶんの太ももが涙で滲んで見えないくらいに泣きに泣き

ボクシングのような往復ビンタを
意識が朦朧とするまで数え切れないくらい食らった真っ赤な顔で

(高校卒業後就職で家を出るまで何万発食らったか判らない)

『ごめんなさい』
『ごめんなさい』

決して許してもらえないのだが
なんとか許してもらおうと何度も謝り続ける。



なにかちょっとでも言おうものなら

「口答えするのか!」
「誰のおかげで生活できてるんだ!」

おとな同士で言ったら修羅場だろうと思うようなことばをぶつけられるから
口を真一文字に結んで耐えるしかなかった。



視線の先にある景色はいつだって

太ももの谷間にできた涙の貯水池
涙で滲んだ染みの広がる半ズボン

そんな記憶しかない。



当時世間では、厳しい躾は美徳。

学校では体罰が「愛のムチ」と賞賛される時代。
文句を言うのは「恩知らず」と罵られた時代。

それゆえぼくはあらゆるものに見切りをつけていて
両親との関係は冷め切り疎遠だった。



母が末期がんで余命を告げられたときは

さすがに恨んでいる場合ではないと
関係修復にとりあえず動いたけれど

他界後は、形状記憶合金のようにあっさりと元通り。



高校卒業を控え
大学受験もせず

就職氷河期で
就職活動もうまくいかなくて

父の計らいで

(外面の良い父の名目)
(実際はぼくが無業・無職では恥だったから)

父が勤める新聞社に入社したものの

実家では息苦しく
社会人デビューとともに家を出た。



                    *



以来35歳までの17年間
母の葬儀以外家には戻っていなかった。



                    *



紆余曲折あって
http://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-313.html

30代後半から家族として向き合えているのが奇蹟だけれど
とにかく父のことが嫌いだった。



母の末期がん発症の一因とも言える喫煙癖ゆえに

体臭も
吐く息も

タバコ臭くて嫌。



父と同じ空気を吸うのも嫌。
父と同じ空間に居るのも嫌。

父と同じものを食べるのも嫌。

父が視界に入るのも嫌。
家のどこかで父の声がするのも嫌。

父が入ったお風呂に入るのも嫌。
父と同じ洗濯物と一緒に洗うのも嫌。

父の物を見るだけで嫌。
父が触れたものに触るのも嫌。

父の身体に触れるのも嫌。



汚物扱い・感染源扱いだった。
(躾=虐待への恨み辛みはあったが酷いことをしたなと思う)



次第にその存在も嫌になり

嫌いな父の血がぼくの身体の中を流れているのかと思うと
なんだかじぶんが穢れているように思えて存在を消してしまいたくなり

未遂にこそ終わったものの何度も命を絶った。



(男らしさ強要への嫌悪はここに根源があるのかも)



やがて産まれ育った名古屋に罪はないけれど
父が住む名古屋も嫌になった。



名古屋を離れられる資力と環境が整い
待ってましたとばかりに名古屋を離れてからは

父が他界するまで戻らないと
頑なにこころに決めていたほどだった。



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ずっと復讐しようと思っていた。
凄惨で激烈な復讐を。



いつの日か父とは

若さでも
経済力でも

逆転するときが来る。

体格・体力差は社会人になった18歳で満たしていたけれど
それだけではまだダメだ。



就職氷河期まっただなかによのなかへと漕ぎ出し
理不尽とも言える幾多の洗礼のような荒波をかぶるなかで

先行きがどれほど不安であっても生きていけるようにと
いつかはじぶんに不向きな勤め人を辞めるためにと

お給料での生活を倹約し
投資用のまとまった資金を貯め

それを元手に経済的基盤を創るための株式投資をはじめようと思ったのは
父を屈服させる圧倒的な経済力を手に入れたいという想いもあった。



アーリーリタイアを加速させる目的のひとつでもあった。



                    *



父は一箱が一本という感覚のヘビースモーカーだったから

衰えるより先に肺を患って
床に伏せってくれれば文句なし。

援助の手が伸びてきたら最初は

「甘えるな」の自己責任
「頼るな」の自助努力

父が植え付けた価値観を逆手に取り

『こうなったのは自業自得。知るか』
『自力でなんとかしろよ。出来るんならな』

得も言われぬ快感を含ませながら冷酷に突っぱね
それでも再度助けを求めてきたときは

ブラッド・ピットさん
モーガン・フリーマンさん主演の映画「セブン」で
https://www.youtube.com/watch?v=znmZoVkCjpI

キリスト教の「七つの大罪」

暴食
強欲
怠惰
肉欲
高慢
嫉妬
憤怒

に沿って行われる猟奇的殺人のうち

3つ目の大罪「怠惰」のように
ベッドに縛りつけて一年間に渡って虐待。

床ずれを防ぐ薬までをも投与して薬漬けにし
その様子を写真におさめながら観察。

生きることも苦痛なら
舌を噛み切っても薬などで治療されて死ぬことも出来ない。

ミイラのように弱る極限状態にまで追い込んで精神も肉体も崩壊させ
無力だった頃に虐げられたことと同じ痛みを味あわせてやろうと

内なるモンスターを飼い馴らして
虎視眈々とそのときが来るのを待っていた。



家族が老いた親を介護する。
そんな美徳を隠れ蓑にして。



殺せば、永遠にも等しい生き地獄から即解放されただろう。

虐待されていた当時強固な殺意はあったが
殺そうとは思わなかった。

だって、一瞬で終わってしまうから。

存在は消える。
だがそれでは、積年の恨み辛みは到底晴れない。



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復讐は、ぼくの生きる希望だった。



                    *



2017年8月26日土曜日午前3時20分

そんな父が50年以上吸ったタバコの影響で健康を害し
肺がんの治療を待つ間に肺炎を併発。

救急搬送された後病室へと運ばれた。
http://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-358.html



静まり返る大部屋で
薄明かりに照らされながらベッドに横たわる父を見たとき

こうなったらいいなと思い描いていたまさにその光景なのに
歓びなんて微塵もなかった。



優越感なんてなかった。



これより前8月初旬父は

そけいヘルニアの手術を受ける予定で来院した病院(=入院中の病院)で術前検査を受けたところ
レントゲンで肺の腫瘍をラッキーにも発見。

急遽そけいヘルニアの手術は後回しとなり

あまりにおおきな腫瘍のため
全身への転移を調べるための検査日程が毎週のように組まれた。



それらがすべて終わる8月24日までは診断名が確定せず

治療方針も決められないために
治療を一切受けられなかったため病状は進行。

8月初旬から週を追うごとに異常なスピードで衰弱していき
7月下旬までは両膝の痛みこそあっても出掛けられていたのが

最後の検査が終わる頃には寝たきりになっていた。



一週
また一週と衰弱していって

先週の同じ日は立てていたのに
今週はもう立つことさえままならない。

今まで出来ていたことが出来なくなっていく父を見ていたときも同じ想いだった。



虐待の恨み辛みに対して

赦すでもなく 赦さないでもなく
http://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-289.html

傷だらけになりながら生きてきた人生まるっと42年かけて
そんなこころの置き所を見つけたこともおおきかったが

それだけではないような気がしていた。



でもそれがなにかは判らなかった。



                    *



毎日新聞朝刊日曜日版別刷り
作家 小川糸(おがわ いと)さんの連載「日曜日ですよ!」

以前お母様のことを綴られた『母のこと』と題されたエッセイが
7週に渡って連載されていた。



物心つく頃から反抗期で
目の前の母はこうはなるものかという最良のお手本。

母との関係はいつも闘争であり
とにかく嫌っていたという糸さん。

今までインタビューなどでも
母親のことは水たまりのように避け触れなかったが

とある出来事から想いに変化が訪れ
母のことを綴るに至ったと語っている。




幼い頃の私に、生きていくのに必要なのは愛ではなくお金だと言い切り、毎年クリスマスには、熨斗袋に一万円札を入れて渡すような人だった。

私は、そんな母に反発し、母親の言動を反面教師として育った。母親は感情の起伏が激しく、自分の言うことは絶対で、その絶対も、昨日と今日では正反対にふれる。母は一度怒りのスイッチが入ると感情を抑えることができなくなり、子どもに暴力をふるった。私はその理不尽さに、いつも唇をかんで耐えていた。母によって、私の反骨精神は、文字通り、叩き上げられたのである。

『母のこと 2』より





四十歳を過ぎるまで、私は母に追いかけられる夢を見てはうなされていた。理由ははっきりしている。幼い頃、母は逃げまどう私を追いかけて、手をあげたのだ。あの時の恐怖は、いまだに体と心の深い部分にしみついている。

母が私に手をあげる理由は、本当に些細なことだった。幼稚園児に小学生の算数や漢字のドリルをとかせ、間違えると頬を叩く。逃げると、後ろを追いかけてきて、手をあげる。子どもの頃、私はいつも大声で泣いていた。子どもと大人では、どうしたって体力的にかなわない。親は絶対であり、それ以外の世界で暮らすなどという選択肢は想像すらできなかった。子ども時代の私は、理不尽さを抱えながら生きていた。

体が成長するにつれて、私は母の暴力から身を守ることができるようになった。でもいつ母に怒りのスイッチが入るのか、いつもいつも怯えていた。大人になっても、その恐怖はずっと消えなかった。

『母のこと 4』より




こうした想いを綴る一年ほど前まで
連絡を絶っていたという糸さんとお母様の関係。

お母様が末期がんを患い
今生の別れをするために

実家のある山形を訪れたことで変化が訪れた。



そこには、おむつをし、弱々しい姿でベッドに横たわるお母様。



不規則な時間帯の仕事で家をあけることが多かったものの
小学生の頃いつだったか夜中に目を覚ますと
お母様がご自身の頬を糸さんの頬にくっつけて眠っていたことを思い出した。



この記憶が長い間糸さんを支えてくれた。
同じことをしたいと思った。



あれだけ嫌っていたお母様だったが
糸さんの帰りの新幹線の時間を心配し

『早く帰りなさい』

消え入りそうな声で伝えようとする。



ようやく逢えたのだ。
本当はもっと傍に居てほしいだろうに。



頬と頬とをくっつけて糸さんは


『ありがとう、よくがんばったね。助けてあげられなくてごめんね』


ずっと言えなかった言葉を言って
泣きながら雪の降る中を傘もささずに歩いて帰っていった。




初めて触れる母の頬は、柔らかく、つきたてのお餅のようだった。私が母の愛情を欲していたように、母もまた、私の愛情を欲していたのだ。愛してほしくて愛してほしくて、けれど不器用な母は、うまくそれが伝えられずに、自分の思いとは正反対の行為をし、私との距離はますます離れた。

『母のこと 3』より




この想いを読んでから
喉に魚の小骨が刺さったようになった。



『雌鹿の置物』というタイトルの後日のエッセイにも

トイレに飾っている木製の鹿の置物のうち雌鹿だけが何故か
お母様が亡くなって一週間くらい経った頃からか床へと落ちるようになり

それが何度も続いたとき

『こんなこともできるようになったのよ』

お母様が鹿を使って伝えようとしているのではないか
そんな思いへと辿り着いたと綴っていた。




今から振り返ると、母は、私に褒められたかったような気がする。子どもに愛情を注ぐのではなく、子ども達からの愛情を求めていた。けれど、それが叶わない時、母は混乱し、時に自分の衝動を抑えられなくなったのかもしれない。とても簡単なことなのに、私は母を失ってからそのことに気づいて愕然とした。

『雌鹿の置物』より




ぼくは虐待を受けて育ったから
『愛情なんて』と恨み辛みしかなかったし

愛情は親から子へと注がれるものであって
子から親へなんて考えたこともなかった。

思い込んでいた。



クレクレ君だった。



病気で亡くした婚約者や
結婚した今のパートナーを愛することは出来るのに
『親を愛する?』だった。



                    *



昨日、面会時間ギリギリまで父の病室を訪ねていた。

口を開けば『姉』『姉』で
ぼくは永遠の二番手だから
http://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-358.html

正直、居ても間が持たない。



ただ姉や看護師さん曰く

『身内は誰であっても顔を見せてくれるだけで嬉しいんですよ』

と言ってくれるので顔だけは見せるようにしていて

アーリーリタイアしてからの生活の中心ライフワークの合間をみて
この日もそうして顔を見せに来ていた。



時間になり、帰ろうとしたときだった。
父が、『ご苦労さん』と言った。

救急搬送されて入院し、一週間弱。
何度か見舞っていて初めてのことだった。



なんだかこみあげるものが今にも溢れそうで
背中を見せたままで軽く手を上げ

『じゃ、また来るわ』

個室を出てすぐに待合室のソファーへと駆け込んだ。



糸さんのエッセイが胸にあったから
嗚咽するように想いが溢れた。




なんなんだよ、『ご苦労さん』とか・・
仕事かっつ~の、オレの見舞いは・・
お姉さんには見送りに『ありがとう』って言うのに・・

『アンタ』とか呼ぶんじゃねぇよ・・
名前あんだよ、オレだって・・
お姉さんのことは名前で呼ぶのに・・




一緒に来ていたパートナーが
後ろからぎゅっと抱きしめてこう言ってくれた。



                    *




ヒロくんが、愛なんだよ。

ヒロくんパパがおうちで動けなくなって、お手洗い行くの手伝ってあげて、お風呂入るの手伝ってあげて、買い物行ってあげたり、用事を済ませてきてあげたり。

お風呂入れなくなったらどうしたらいいかって考えて、調べて、聞いて、お湯使わないシャンプーしてあげたり(ハピナース ふくだけ簡単 シャンプーナップ)、体拭いてあげたり(ハピナース さっとさわやか からだふき)。いつも同じじゃあれだからって、バスクリンの薬用入浴液のサンプル送ってもらって、お湯で清拭して、天然ラベンダーの香りで痛みとか不安がやわらいだらいいなって試してたよね。

歯を磨くのが辛くなったら歯磨きティッシュ(同ハピナースシリーズ)買ってきてできるようにしてあげたり、おえってなって苦しいってなったときには、くちゅくちゅってするだけでいいもの買ってきてあげたり。

お手洗い行けなくなったら尿瓶買ってきて部屋でできるようにしてあげたり、それも難しくなったらおむつ買ってきて着るの手伝ってあげたり、替えてあげたり。パンツのタイプが難しくなったら、テープ式に変えてあげたりね。

ごはんも食べても嘔吐しちゃうことが多いからって胃にやさしくて、消化が良くて、栄養価が高いもの考えて、いくつもいくつもおいしいもの食べてもらえるようにってキッチンで練習してたよね。できることがどんどんなくなってくなかで、食べることが数少ない楽しみだからって。

固形物が難しくなったら流動食調べて、聞いて、いくつもいくつもおいしいもの食べてもらえるようにってキッチンで練習してたよね。

それさえもダメってなったら、なにかいいものないかって調べて、聞いて、ドラッグストアいくつもいくつも回って、メイバランス(必要な栄養が一本でしっかり摂れる病院採用品にもなっている飲料 http://www.meiji.co.jp/meiji-eiyoucare/products/nutritionfood/meibalance_mini/)買ってきてたよね。なんとか元気になってもらいたいって。

他にもそう。『ヒロくんパパが笑顔でいられるには?』っていつもいつもどうしたらいいかって考えてたし、あきほ(パートナーの名前)にも相談してくれてたよね。

それって、愛情じゃないかな。
ヒロくんが、愛なんだよ。

・・・あきほ思ったんだけど、ヒロくんパパって『ありがとう』って言えない人なんじゃないかな。気を悪くしたらごめんね、そうじゃないの。なんだろう・・言えないっていうのは、『ありがとう』って言いたくても言えない。『謝ったら負け』っていう人がいるけど、ああいうのとは違って。それでもなんとか『ありがとう』って伝えたくて出た言葉が、『ご苦労さん』だったんじゃないかなって思うの。

ヒロくんには『ヒロ』って名前があるのにね、パパさんとママさんがつけてくれた名前があるのに『アンタ』って呼ぶのも、きっとそういうことなんじゃないかなぁって。

ヒロくんパパなりの、きっと精一杯の、判りづらい愛情表現なんだと思うよ。




                    *



愛に飢え
愛に迷い悩んでいたぼくが
愛に生きていた。



ほんとめんどくさい人だけれど
父もまたそうだったんだと思う。




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photo credit:gregt99 via Flickr (license)


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