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『生きる』をかんがえる ~ 無限の樹形図篇 ~

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photo credit:takasuii via Flickr (license)



白色の自己主張 ~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~



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ドラマスペシャル『最上の命医 2017』に、こんな場面があった。
http://www.tv-tokyo.co.jp/meii2017/story/



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先天性の心疾患を患って産まれた西條命(さいじょう みこと)は
http://www.tv-tokyo.co.jp/meii2017/cast/

大学勤務医時代心臓外科医(のちに小児外科医に転身)だった
神道護(しんどう まもる)の手術によって救われ

自身を救った医学と
交通事故で両親を亡くした命の親代わり 神道の人間性に惹かれて医者を志した。



渡米し、医師免許を取得。

小児外科医となった命は
人体の構造を瞬時に立体的に捉える
彫刻家である父親譲りの次元変換能力という稀有な強みで難手術を次々に成功させ

日本人として二人目の快挙となる
MSA(=Michael Shanoff Award 最優秀若手医師賞)を受賞するが

名誉や権威などにはまるで興味がなく
『日本に小児科医を増やしたい』と帰国。



平聖中央病院外科医局小児外科医(連続ドラマ)を皮切りに
http://www.tv-tokyo.co.jp/meii/

慶良総合病院小児科臨時職員(スペシャルドラマ 2016)を経て各地を転々後
http://www.tv-tokyo.co.jp/meii2016/

星稜病院に小児外科医(同 2017)として新たに赴任した。



きっかけは

平聖中央病院勤務時代研修医で
後に富山誠道病院の小児外科医となった瀬名(せな)マリアから

学会で研究発表に恵まれる機会を得たので
お世話になった命に是非聞きに来てほしい

メールを送ったことだった。



残念ながら命は会場に現れず
お手洗いで独り落胆したマリアだったが

個室でドスンという物音がして駆け付けると
中学生の女の子が呼吸困難に陥っていた。

懸命に処置をするが
ホテル内で充分な医療器具はなく

救急車は周辺に警備がかかっていて到着が遅れるうえ
触診で判った妊娠も併せて対応しなければならず

手こずっていたところへ騒ぎを聞きつけた命がやって来た。



アラスカで生体肝移植のオペがあり
日本に帰国したところにマリアからのメールがあって
今しがた会場に着いたとのことだった。



命の助けも借り
救急搬送した先は
最も近い星稜病院。



だが、未受診妊婦は受け入れ出来ないと押し問答に。

そこへ命のアメリカ時代の恩師で
星稜病院へ招聘されていた小児外科医 手塚義富(てづか よしとむ)が。

まさかの再会もあって
看板医師の鶴の一声で一転受け入れることとなり

命は義富から『一緒に働かないか』と誘われ
搬送された女の子 萌絵(もえ)の主治医となることを条件に

星稜病院で小児外科医として勤務を始めることとなる。



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命は気になっていた。

星稜病院には義富という看板が既に居るのに
なぜ自分を誘ったのかを。

『小児科医が足りないところへと出向きたい』

そんな命の想いをよく知っているはずなのに。



同じように気にしていたのは命だけではなかった。



大学時代義富の先輩だった
命との久しぶりの再会に湧く恩人 神道もまた
人に頼ることを知らない義富がなぜ命を誘ったのかを。



神道だけではなかった。



子ども嫌いで知られる義富の娘で
アメリカ在住の大学生 里香(りか)もまた

視覚障害故に感覚が鋭敏で
電話した際のわずかな声の変化が気になっていた。

ITで障害者の生活を支援する大学で研究中のプロジェクトに
日本企業が興味を示してくれたことと併せて帰国し

『トムさん』と呼び慕う義富としばらく一緒に暮らすことを選んだ。



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各々の違和感は的中した。



義富は看板医師としてテレビの取材を受けている最中
突然過去の手術の様子がフラッシュバックして怒鳴ったかと思うと
意識障害を起こしてその場に倒れ込んだ。



すぐさま院内の脳外科チームが集められ
院長 浦沢(うらさわ)を前に病状が報告された。

視神経の周辺に脳腫瘍。
しかも脳の大動脈を巻き込んでいるために手術は不可能。

余命は半年という厳しいものだった。



だが、命だけは諦めてはいなかった。



ところが当の義富は
かつての師弟関係にあった命の進言を撥ね付け
手術は不可能だし受けないと頑ななまま。



その訳を命に語った。



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里香の両親は3歳の時に交通事故で亡くなり
施設に引き取られて暮らしていたが
6歳になった頃から視力に異変を感じ始めた。

検査してみると
視神経の周辺に脳腫瘍。

血管こそ巻き込んでいないが
皮肉にも今の義富と場所も腫瘍の種類も同じだった。



義富は

手術しなければ早晩死ぬ
手術しても死ぬ

周りの医師らが口を揃えて言うなかひとり執刀に手を上げ
なんとしても救おうと反対の嵐の中手術に踏み切った。



結果命こそ救うことは叶ったが
視力を失うことだけは避けられなかった。



今から17年も前のことで

当時の医療水準からすれば
命を救うことが出来ただけでも奇蹟だったが

『200%の準備をして完璧に手術してこそ成功』を信条とし
弟子の命にも叩き込んできた義富は

6歳の女の子の視力を奪ってしまった罪を背負い
自分には手術を受ける資格がないと突っぱねてきたのだった。



手術後里香は
病室を訪ねてきた義富に事の経緯を知ったうえで

『手術してくれてありがとう』

大好きなチョコバーをプレゼントして伝えてきた。



視力を奪ってしまった自分にどうしてお礼を言うのか。



尋ねる義富に里香は

『命を助けてくれたことでまた友達と逢えるし話せるから』
『大好きなチョコバーが食べられるから』

無邪気に
嬉々として語り

義富は少しだけだが許された気がした。



手術をしたことは間違いではなかったのだと。



だがその夜

窓から外を音を頼りに眺めたかと思うと踵を返し
おおきなくまのぬいぐるみを抱きしめ泣き崩れる里香を見て

『この子をなんとかしてやらなければ』

張り裂けそうな想いが溢れた義富は
里香を養子に迎え家族になった。



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命は頑なな義富に

見せたいもの
連れて行きたい場所があると言って

院外へと車椅子で連れ出した。



そこは里香が大学で研究中のテーマであり

ITで障害者の生活を支援する研究中のプロジェクトに
日本企業が興味を示してくれたことに合わせてプレゼンテーションする会場。

手で触れただけでは判らないものを認識し
音声で伝えるスマートフォンアプリケーション
『eye SUPPO(アイサポ)』を登壇して説明する姿は

義富が視力を奪って不幸にしたと思い込んでいた姿
命と引き換えに視力を奪われた不幸な女性と思い込んでいた姿とは違い

視覚障害があってもひとりでどこへだって出掛けられるよう
可能性と希望に溢れた言葉をいきいきと語る里香の姿だった。



命は義富に語りかけた。




無限の樹形図です。

子どもを救うことは、その子を助けるだけじゃない。その子が将来産むかもしれない何人かの子ども。そして、そのまた子どもたちが産む何人かの子ども。たくさんの子どもたちを救うことになる。

でも、無限の樹形図を創ってるのは僕たちだけじゃありません。里香さんも同じです。里香さんが開発した技術で誰かの世界が広がり、その誰かがまた別の誰かの世界を広げる。目が見えるかどうかなんて関係ありません。里香さんは本当にすごい人です。




義富の手によって救われる子どもたちが待っている。
だが、心の扉は閉じたままだった。



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喝采を浴びたプレゼンテーション後
まさか聞きに来てくれるとは思わなかったと
望外の訪問に嬉しさを隠せない里香は義富に語りかけた。



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(興奮冷めやらぬ会場で命が押す車椅子の義富の前を白状を使って歩く里香)

里香:聞きに来てくれるなんてびっくりしました。
命:アイサポ、すごい反響だね。

里香:

まだまだです。
視覚障害者の生活を完璧にサポートするには200%準備しておかないと。
(後ろを振り返り車椅子の義富に微笑みかける)ねっ。

命:やっぱり里香さんすごいなぁ。
里香:トムさんのお陰かも。
義富:どういうこと?

里香:

トムさんがそうやって仕事をしてるのをずっと見てきた。厳しくて大変な人だけど、そんなトムさんが居たから、わたしもここまでやってこれたのかなぁと思って。

義富:

(溜め息まじりに)・・勘違いもいいとこだよ。
(この言葉に里香から笑みが消える)

俺はお前の恩人でもなんでもない。
お前から視力を奪ったのはこの俺なんだよ。

里香:なに言ってるの・・

義富:

17年前、お前のオペで俺はミスをした。
お前から視力を奪ったのはこの俺なんだよ。

(居ても立っても居られず命が割って入る)

命:

ミスじゃありません。
当時のオペの技術を考えたら仕方のないことです。

義富:

200%成功しない限り俺にとってはミスだ。
俺は、どうしようもないでくのぼうだよ・・

・・判ったらアメリカ帰れ。
・・家族ごっこはもう終わりだ。

(そう言い置くと命と里香を置いて独り出ていく義富)
(哀しげな表情を浮かべながらも後ろ姿に里香は語りかけた)

里香:

トムさんがオペを受けない理由が判った。
わたしのせいね。
わたしのせいでオペを拒否してるんでしょ?
そんなにわたしが可哀想だと思った?
不幸だと思った?
わたしを言い訳にするのはやめて!

義富:言い訳・・

里香:

目が見えていたら・・目が見えていたら、わたしはもっと簡単にいろんなことが出来た。人の助けを借りなくて済んだ。でもね、目が見えないからこそ、自分の足で立ちたいって思った。目が見えない人を助けられる技術を開発したいって思った。それにね、トムさんと過ごした時間は、わたしにとってかけがえのない時間だったんだよ。

(白状を手に歩み寄る里香)
(傍らに座った里香に顔を合わせられないが手を握る義富)

家族ごっこなんかじゃない。
わたしたちは・・ずっとずっと家族だったんだよ・・

わたしは・・この人生が結構気に入ってるの・・
・・パパの娘で良かった・・




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凍てついた義富の心に春が訪れた。



手術を快諾する義富。
手術に臨む命。



不可能と思われていた手術だったが
17年前の里香の手術記録を突破口に
あらゆる方法を駆使して命は義富を救った。



凍てついた義富の心を解かした里香の想いも
17年の時を越えた里香の手術記録もまた
無限の樹形図だったのだと思う。



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命がかつて平聖中央病院に勤務していた頃

小児外科のない院内で風当たりの強さにめげることなく
赴任早々に難手術を見事成功させ

医療ミスによる廃止を推進した副院長が首を縦に振らないなか
かつてあった小児外科復活への道筋を創りはじめた。



一方で命が執刀した手術に助手として入った研修医(瀬名)マリアは
小児外科を志望しながらも
現場の厳しさ・難しさを目の当たりにして自信をなくしていた。



そんな瀬名に
命が院内の庭園で
こう語りかける場面があった。



それは、命の恩人 神道から受け継いだ想いでもあった。



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(庭でおおきく育った樹木を見上げながら)

命:ねぇ、『無限の樹形図』って知ってる?
瀬名:無限の樹形図?

命:

うん。きょう瀬名さんは、はやと君ひとりを救っただけじゃない。はやと君がおおきくなって、結婚したら子どもができて。その子どもがまた次の子を産んで。きょうはやと君から無限の樹形図のように繋がっていく人たちを助けたんだ。僕はね、小児外科っていうのは未来の命も救ってるって思ってるんだ。

瀬名:

わたしもそう思ってます。
だからわたしも、子どもたちを助けてあげたいって。

命:だったら、一緒にやろうよ。
瀬名:でも、この病院には小児外科が・・

命:

今回みたいに僕のホームページ(命が個人で立ち上げた子どもたちの病気に悩む人たち向けの相談窓口)を見てやって来る患者さんから始めればいい。

瀬名:そんなこと、副院長が許してくれるでしょうか。

命:

どこの病院に行ったって障害はつきもんだよ。僕のホームページを見てやって来る患者さんは、他の病院では治せない患者さんが対象だから。

瀬名:そんな患者さんばかり来たら・・

命:

全部治すよ。
僕たちで全部治せばいい。

(そう言い置いて樹の下から去る命の背中を見つめながら想いが溢れた)

瀬名:

わたしにも・・
わたしにも出来るでしょうか。

命:きっと出来るよ。




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この言葉に背中を押されたマリアは
小児外科医として生きていくことを決めた。



命(いのち)だけでなく
こうして受け継がれる想いもまた
無限の樹形図なのだと思った。



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2017年8月26日土曜日午前3時20分

50年以上吸ったタバコの影響で父が健康を害し
肺がんの治療を待つ間に肺炎を併発。

救急搬送された後病室へと運ばれた。
http://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-358.html



あれから2週間近くが経とうとしているけれど
先生が『一日一日がヤマだ』とおっしゃったように
一進一退が続いている。



そけいヘルニアの手術を受ける予定で来院した病院(=入院中の病院)で術前検査を受けたところ
レントゲンで肺の腫瘍をラッキーにも発見。

急遽そけいヘルニアの手術は後回しとなり

あまりにおおきな腫瘍のため
全身への転移を調べるための検査日程が毎週のように組まれた。



それらがすべて終わる8月24日までは診断名が確定せず

治療方針も決められないために
治療を一切受けられなかったため

腫瘍による病状は進行。

8月初旬から週を追うごとに異常なスピードで衰弱していき
7月下旬までは両膝の痛みこそあっても出掛けられていたのが

最後の検査が終わる頃には力尽き寝たきりになっていた。



一週
また一週と衰弱していって

先週の同じ日は立てていたのに
今週はもう立つことさえままならない。

今まで出来ていたことが出来なくなっていく父を見ていることしか出来ないのは
辛い以外の何物でもなかった。



こんな生殺しのような状態にしなければならなかったことを
最初は病院を間違えたなどと後悔したり主治医を恨んだりもしたけれど

あれだけおおきな腫瘍故に
全身への転移を見極めないまま見切り発車で治療を開始すれば

全身への転移が判ったときに優先順位が変わり
今までの治療が中途半端になりかねない。



がんの治療は、コンディションと引き換えの過酷なもの。
先生としても苦渋の決断だったのだと今は思える。



今の一進一退の状況もそうだ。

痰のからみが酷く
救急搬送された翌日の夜には呼吸困難を訴えて

父はパニックになっていたという(大部屋から個室へ移動)。



入院当初は流動食が食べられていたし

流動食がちょっと厳しいということであれば
ゼリー状も検討すると看護師さんから言われていたのに

痰がからむことで誤嚥を招きかねないと
水もとろみ剤でとろみをつけないと危ないとなり

看護師さん任せだったそれさえも出来なくなった今は
痰を吐き出すのに一日ティッシュ一箱使うほどで

飲めない
食べられない

点滴で栄養をかろうじて摂っている。



肺炎は熱が救急搬送されたときは38度台だったが

37度
36度

と下がり、今は37度台をうろうろ。

抗生物質が思うように効いてくれず
手こずっているようだ。



血液中の酸素濃度が低く

10段階ある吸入器のレベルが
救急搬送時は『2~3』だったのが一時『5』まで上がり

今は『4』に一段階下がって動かない。

酸素マスクこそ取れたが
鼻からの吸入は変わっていない。



先生の話では肺炎をやっつけることに加えて
酸素が取れないと腫瘍への放射線治療は難しいと言う。

点滴での栄養補給で生きていくことは出来るが

がんの闘病生活を送っていくうえでは
食事による体力保持も欠かせない。

これも課題、いや難題だ。



きょう放射線科の先生とも治療方針を相談すると言っていたが

ステージⅣの末期がん
余命は3ヶ月から半年。

肺炎の治療が芳しくなければ
さらに短くなることもあるとのことだったから

検査結果が出揃って
父にはまだ告知していないというか出来ずにいるが

脳や骨も含めて全身に転移している今
酸素が取れるのを今か今かと待っていたら

検査結果が出揃うのを待っていた8月一ヶ月間同様
末期がんの進行を指をくわえて見ているしかない。



治療法はあるのに出来ない。

治療しなければ
がんは進行する一方。

治療すれば
ただでさえ厳しい寿命を更に縮めかねない。



検査結果が出揃う前と同じで
先生としても断腸の思いだと思うのだが

酸素が取れるのが先か
治療を開始出来るのが先か

時間切れになってしまいかねない焦りとイライラが募る。



                    *



そんな薄氷を踏むような日々のなか
ふと思ったことがあった。



月曜日

父が78歳の誕生日を迎えたのだが
お祝いも兼ねて病室を訪ねた折

肺炎がもう少し良くなって
痰のからみもおさまってきたら

『軽めの食事から始めていきましょう』

との話が主治医からあったという。



それに備えて筋力が衰えている父でも持つことが出来て
落としても割れないで安心な
プラスチック製のコップが欲しいとリクエストされた。



夕方肺炎の症状が少しではあるけれど落ち着いたこともあって
個室から大部屋へと戻ることが出来た。



重症化した患者さんが入る個室を出られた。
良い知らせが重なって久し振りに父に笑みが戻った。



数日前

寝たきりの状態にある父だが
寝たきりでも出来る洗髪を看護助手さんがしに来てくれて

苦痛の連続で眉間に皺を寄せることのほうが多かった父だったが
気持ちよさそうな顔を浮かべる父を見て

ぼくも嬉しかったし
看護助手さんに感謝の想いでいっぱいになった。



数日前

退院を支援する看護師さんが病室を訪ねてこられ
正直見通しは厳しいけれど

退院後の自宅での生活を支援する計画書を手渡してくれた。



寝たきりだから履物がない。
でも父から、スリッパやリハビリ用の靴が欲しいとリクエストされた。



どれもこれもなんてことないことかもしれない。
でもぼくには、どれもこれもが無限の樹形図なのだと思った。



『軽めの食事から始めていきましょう』

伝えに来てくれた主治医のことばも
来たるべき日に使う予定のプラスチック製のコップも

個室から大部屋へと移れたことも

寝たまま出来る洗髪やしてくれる看護助手さんの存在も
こうしたやさしさに溢れた商品を開発してくれた人たちの存在も

退院支援計画書や手渡してくれた看護師さんも
今は履けないスリッパや脱ぎ履きしやすい靴もすべてが希望。



腫瘍が発覚し

検査日程が組まれることで
日を追って衰弱することでカレンダーに斜線を入れて

ひとつ
またひとつと予定を消さなくてはならなかった。



衰弱し
寝たきりになり
入院して

ひとつ
またひとつと出来ることが減っていくなかで

ひとつ
またひとつと

出来ることが増えていく。



病気と闘う力
生きる力へと繋がり
そこから始まる未来を父に見せてくれる無限の樹形図なのだと思った。



                    *



ぼくに出来ることなんて今となっては

着替えたパジャマを持って帰って
洗濯して持ってきて棚にしまうこと。

頼まれた買い物を買ってくること。

あとは一緒に居ても間が持たないけれど
http://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-360.html

顔を見せに来ることぐらいかもしれない。



でもそうやってささやかながら出来ることをやったり

顔を見せに行ったり
ぽつぽつとでもことばを掛けることが

父の『生きる』に繋がるのかもしれないと今は思う。



その先にあるまだ見ぬ誰かとの出逢いや希望やしあわせに繋がるかもしれない。
だから、きょうも逢いに行く。


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