白色の自己主張

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いろいろあっていいから「色(いろ)」

白色の自己主張
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Photo::) By:shewatchedthesky
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深愛なる きみに
そして まだ観ぬわが子へ



「ようするにさぁ、どういうことなの?」
「長ったらしいのはいいから、ひとことで言ってよ。」

ネット
リアル問わず

今年あちこちで目にしたり、耳にした言葉。



ここ数年
じっくり考えることを放棄したような

極端なくらいのわかりやすさが
物事に求められているけれど

それが人間にも
同じように求められていると肌で感じる。



「○○なのが男らしい」
「男だったら○○」

「○○なのが女らしい」
「女だったら○○」

「男ならそれがふつうだろ?」
「女ならそれが当たり前でしょ」

でも

そんな1秒で伝えられる
うすっぺらい「らしさ」から

いったい相手のなにがわかるんだろう?



人間は、ユニバーサルデザインじゃない。

信号のように

「赤 = 止まれ」
「青 = 進め」と

パッと見て誰もが一瞬でわかるほど

単純で
平面ではなく

もっと複雑で

奥行きがあって
深みがあって

多面的なものだと思う。



その人が

どんな人生を歩み
どんなことを思い

考え
悩み
苦しみ

喜び
怒り
傷つき

涙してきたのかなどどうでもいい。



「ようするにさぁ、どういうことなの?」
「長ったらしいのはいいから、ひとことで言ってよ。」

この言葉は

わかりやすい「らしさ」以外のものを
バッサリ切り捨ててしまう。



だから、「らしさ」に目を奪われて

「○○さんは、こういう人なんですね。」

とわかったようなことを言われると悲しい。

あぁ、この人はぼくのことをなんにも観てない人なんだなぁ。
なんで断定できるんだろう?

わずかな時間しか共有してないのに
いったいぼくのなにがわかるんだろう?

と思うから。



「○○さんって、こんな面もあるんですね。」

と言われると、たまらなくうれしい。

わかりやすい「らしさ」によって切り捨てられたものに
光を当ててくれたから。



ぼくは幼い頃から

両親
学校の先生
恋人
周囲の大人たちから

わかりやすい「男らしさ」を求められ
身を削りながらそれに応え続けてきた。



でも

行き着く先にあったのは
自分が望んだ人生を歩いてきた躍動感ではなく

他人が望む人生を歩いてきただけという
喪失感だった。



彼らが求める「男らしさ」から
1ミリでも外れれば

両親からは
厳しい躾によって否定され続け

学校の先生からは
厳しい教育を受けて自信をなくし

恋人からも
こてんぱんにのされるほどのダメ出しをされ

周囲の大人たちからは

彼らが生きた時代の価値観を
お説教とともに強要される。



不器用なぼくは

彼らが求める「らしさ」に必死にしがみつき
身を削って応えることでしか

生きる方法をみつけられなかった。



「らしさ」とは、踏み絵。

自分が大切にしたいものを
手放すよう求めるから。

「らしさ」とは
どこにも安心して居られない人にとって

自分を偽りながらも
唯一安心していられる居場所。

「らしさ」とは

ひとりの人間として認めてほしいという
心の叫び。



同じように「らしさ」で苦悩する
LGBT という認知度の陰に隠れてしまっているけれど

世間・他人・両親からのわかりやすいモノサシを
強要されることによる「らしさ」の苦悩も

忘れてほしくないなぁと思う。



苦悩を語ることは
多大なエネルギーを消費する。

痛みを伴うものであればなおさら。

苦悩を語ることは
忘れたい過去を振り返ること。

好きになれない自分を
とことんみつめること。

だから、痛みを伴う。
だから、人はそれを避けようとする。

思い出すたびに何度も傷つくし

リアルな追体験を
何度となくすることになるから。



でも、誰かが勇気をふりしぼって

震えながらでも
ちいさな声であっても言葉にしなければ

「らしさ」の苦悩は
存在しないのと同じ。

観えないし
聴こえないから。



「らしさ」について考えたことなんてない。
「らしさ」について悩んだこともない。

そうした人にとっては

「なんでそんなことで悩んでんの?」
「時間の無駄じゃない?」

という言葉で軽く表現されるように

「そんなこと」
「無駄」程度でしかない。



でも、本人にとっては

生きるか
死ぬかを考えるほど

重く切実な問題。



たくましく生きられる人ばかりじゃない。
軽やかに生きられる人ばかりじゃない。

たくましく生きられる人だけが
存在していいわけじゃない。

軽やかに生きられる人だけが
存在していいわけじゃない。

だから

震えながら声をあげて
光を当てられないかなと思っている。



幸運にも
想いを表現できる言葉を持つ者として

気づいてもらえるように。
目に観えるように。

ともに考えてもらえるように。



arp (アープ)が唄う
「きみは世界一」の歌詞にこうあった。



どうせ 僕はダメ・・・
と思わないで欲しいんだ

傷ついたり
誰か 傷つけても

白になれなくて
黒にもなれない

それが僕だからと
認めるのさ



今までは

すでに世の中にある何千何万という色に
自分を染めようとしていた。

心を潰して
人に言われるがままに。



でも、この歌詞に出逢って

自分だけの色を
名前もないこの世にまだ存在しない色を

自由に創ってもいいんだなぁと思えた。



わかりやすい「らしさ」に縛られない
ひとりひとりの多様性を認めるっていうことは

すでに世の中にある
何千何万という色も尊重しながら

自分だけの色を
名前もないこの世にまだ存在しない色を創ることと

同じくらいステキなことだ。



「どんな色に出逢えるだろう?」
「どんな名前をつけようかなぁ」

「どんな名前なのかなぁ?」
「どんな想いが込められてるんだろう?」

そんな想いとともに
きょうも人と出逢いたいと思う。


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