ヒーロー - 白色の自己主張
~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~

ヒーロー

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photo credit:takasuii via Flickr (license)



白色の自己主張 ~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~



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                  307通目



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災害拠点病院

翔陽大学附属北部病院救命救急センターを舞台にした医療ドラマ
(ドラマ内の病院呼称:翔北救命センター)

コード・ブルー ~ ドクターヘリ緊急救命 ~ THE SECOND SEASON
#9「心の傷」に、こんな場面があった。
http://fod.fujitv.co.jp/s/genre/drama/ser4165/



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フライトドクター候補生「フェロー」として
各地の救命で研鑽を積み赴任してきた

藍沢耕作(あいざわ こうさく)
https://www.youtube.com/watch?v=xnmw8-xvbhQ

緋山美帆子(ひやま みほこ)
https://www.youtube.com/watch?v=VE9cLEwX6zY

白石恵(しらいし めぐみ)
https://www.youtube.com/watch?v=YA7UCUY2HQY

藤川一男(ふじかわ かずお)
https://www.youtube.com/watch?v=oxri5U2uvXw

4人は困難なミッション
厳しい現実に打ちのめされながらも

同期の絆
互いの存在
命の現場を巡る人間ドラマを支えにフライトドクター養成課程を歩み

折り返し地点を過ぎて
卒業後の進路への迷い
修了認定を間近に控えるところまでやって来ていた。



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ある日

アルペンスキーヤーの田上(たがみ)が競技中
コースを外れ立ち木に時速100キロで激突。

ドクターヘリ要請が入り搬送されてきた。



アルペンスキーヤーに怪我はつきものとばかりに

慣れた様子で医療チームのバタバタを横目に
スキーヤーの命である脚の具合を気にする余裕を見せていたが

外からでは判らない症状を調べるため
CT(頭頂部から順々に身体を輪切りした映像)を撮ろうと

ベッドで運ばれながら検査室へと向かっていた時だった。



アルペンスキーは

身体能力
技術
勇気

3つを競うスポーツで

以前大怪我し一年近いリハビリを経て復帰した時には
大怪我した時と同じコースで自己ベストを出したと

ネックレスにしてお守りとして持っていたという
脚に入っていた骨を固定するボルトを

付き添った白石と緋山に見せてくれた。



その際

見せるために上げた右腕に
麻酔をかけてもいないのに痺れがあると漏らしたことで

急遽更に詳しく調べてみると
脊柱管狭窄症による痺れが出ていることが判った。



一緒に診断画像を見た緋山はフライトドクター養成課程の中で

子どもの脳死の医療手続きを巡り
患者側から医療過誤の疑いをかけられ

提訴こそ取り下げられたものの
家族や患者を思ってベストを尽くしたのに報われず
「人殺し」とまで言われたショックから

現場に復帰を許されたものの
以前の勝ち気な性格は影を潜め

患者を診ることへの恐怖や
患者の人生を左右する告知に耐えることが出来ず

どう告知するか相談を持ちかけた白石に託してその場を逃げ出してしまった。



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ひとり残された白石。



脊柱管狭窄症は
ちょっとした衝撃でも全身麻痺になりかねない。

一生寝たきりもありうるとは
現役のそれもプロのアルペンスキーヤーにとっては死の宣告にも等しいが

誰かが言わねばならない。



告知を避けることは出来ず
意を決して病室を訪ね
白石は告知した。



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家族は

怪我をしてリハビリで苦しむ顔は見たくないから
応援したい気持ちとの間(はざま)で複雑な思いはあったが

内心ホッとしてもいた。

ただアルペンスキーを諦めなければならないと知った
田上の死んだような顔はもっと見たくなかった。



田上は諦めきれずにいた。



3歳から滑ってきて

今自分からアルペンスキーを取り上げたら
他には何もない何も残らない。

いきなり「やめろ」「無理だ」と言われても。



勝手に病室を抜け出し
院内の階段でリハビリしていた田上は
足を滑らせ転落していたところを発見された。



幸い脊柱管狭窄の症状悪化も見られず
怪我も大したことはなくて済んだが
なぜそこまでして現役にこだわるのか。



現役引退後の生活を見据えて
救命から整形外科への移動を告げに来た白石に
田上は想いを吐露した。



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(家族3人の写真が入った写真立てを見つめながら)

田上:一度でいいから滑れる方法はありませんか?
白石:田上さん・・

田上:

見てないんです!娘はまだ。
娘は見たことないんです、俺の滑ってる姿を。
一度でいい。
たった一度でいい。
滑ってる俺を、俺の仕事を子どもに見せたい。
これが父親の仕事だって。

白石:・・それで現役を続けていたんですか。
田上:(白石を見遣り訴えかけるような目で)お願いします。


(白石は医師である自身の父がもう随分現場を離れていることに不満を抱いていた。でもそれが末期の肺がん故に残された時間を後進の育成に充てたい・最期まで医師としてありたいからなのだと知る。休んでほしいが全国を講演で飛び回る父に頑なな田上を重ねて白石も想いを吐露する)


白石:

わたしの父は医者です。
同僚からも、家族からも尊敬される医者でした。
その姿を見て、わたしも医者を目指したんです。
小さいわたしにとって、ヒーローでした。

田上:だから俺も

白石:

でも・・でも今は、その父も体を壊してもう長くは生きられません。
そうなってみて初めて気づきました。

・・ヒーローじゃなくていい。

元気でいてほしい。
ただ、元気でいてくれればって。
今、わたしはそう思います。

ヒーローでいることがそんなに大事ですか?

家族のためにベストな決断をしてください。
田上さんは、3歳の頃から自分の勇気を試してきました。
本当の勇気を知ってる人だと信じてます。




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たとえアルペンスキーヤーを下りても娘に遺せるものがある。
挑戦することも勇気なら、下りることも勇気。



田上はアルペンスキーヤーを下り
家族にもうハラハラさせない冬を迎えてもらうことを選んだ。



一生寝たきりになるリスクを負って賭けに出て
娘に滑っている姿を見せることよりも。



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ぼくの父が

そけいヘルニア(=脱腸)で手術することになったから
紹介状取りに行ってもらえんか。

そう電話で言ってきたのは
紹介先の病院へ向かう前日。



戦時中産まれで
忍耐(辛抱)強くあることを親から厳しく躾けられたことであったり

敗戦後の貧しい時代を生き抜いてきた人だから
耐えに耐えてギリギリまで病院にかからない貧乏性のところがあるというか

(同時代に産まれた母のがん発見が末期になるまで遅れたのも同様)

脱腸になってもペインクリニックで
痛みを抑えることばかりを繰り返してきて
とうとうそれも難しい段になって

ペインクリニックの院長さんから手術した方がいいと促され
ようやく重い腰を上げたというわけだった。



それまで実家訪ねたときには
一言として話してはくれなかった。

というよりは
産まれた時代背景もあるのだと思うけれど

周りに迷惑をかけたくないと思ってしまったり
国際結婚で再婚しているし

とうの昔に定年を迎えて悠悠自適の生活とはいえ
一家の長としてしっかりせねばという自覚や想いがあったのだろう。



再婚したお嫁さんやぼくの姉は仕事で父には付き添えないので

タクシーを呼んで
父には先に病院へと行ってもらい

ぼくは紹介状を取りに行ってから
紹介先の病院で合流することにした。



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診察を迎えると外科の先生が

全身麻酔による腹腔鏡手術で
右の脱腸部分の処置だけでなく
予防的に左の部分も脱腸していないか診ることが出来る方法か

局部麻酔で右の脱腸部分だけを手術で処置するか
いずれかの方法を選択するために

また高齢ということもあり
術前検査をすることになった。



血液検査や尿検査といった一般的なものから
レントゲンや負荷をかけたうえでの心電図検査など

諸々1時間近くかけて検査を受け
この日は帰っていいということになった。



父の話では

当日入院
2~3日後には手術

すっかりそんな慌ただしい流れになると聴いていて
着替えなども持って出掛けたのだが

よくよく考えれば脂汗かくような痛みがあり
命に危険が及ぶような緊急手術の必要でもない限りは

安全のためにどの程度の麻酔に耐えられるのか
体力も含めて仔細に検討するのが当然といえば当然。



父ひとりが焦っていたようで
翌週検査結果を踏まえて手術の方法・日程を決める段取りとなって
なんだか笑い話のような一日はこうして終わった。



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週が開け
検査結果を踏まえて手術の方法・日程を決めるため
父に付き添って病院へと足を運んだ。



検査結果を踏まえて
脱腸の手術とばかり思っていた父とぼくに示されたのはレントゲンの画像。

そこには
左肺に野球ボール大の巨大な腫瘍が写っていた。

レントゲンを見る前にさわりで『腫瘍』と聞いて
ビー玉やせいぜいピンポン玉を想像したが

「あぁ・・」二の句が継げないほどのもの、衝撃だった。



脱腸の手術はしないよりはした方がいい。

ただ当面は痛みが耐え難いほどに酷くならない限りは
手で元の位置に押し戻したりしておけばいい。

薬もある。

それよりもこの腫瘍の処置を最優先させた方がいいとなり
「悪いものと考えたほうがいい」との前提で
脱腸の件は思わぬ方向へと転がり

急遽 CT検査をすることになった。



父は(本当はいけないのだが遥か昔のことだからまぁいいとする)

18歳から70歳まで
切れ目なくタバコを吸い続けてきた。

国際結婚で再婚したお嫁さんに健康面から何度注意されても。



特に定年まで勤め上げた新聞社勤務時代は
一箱が一本分の感覚だったというから相当な量だろう。

タバコは一本吸うと15分寿命が縮むと言われていて
52年間トータルでどれだけ吸ったのだろうと考えると

今の今まで生きてこられたことが奇蹟のように思える。



ここ最近痰にぽつぽつとだが血が混じっていたらしく
(このことも心配掛けまいと思ったのか話してくれてはいなかった)

以前から呼吸が苦しそうだったのを知っていながら
どうしてもっと早く引きずってでも病院へ連れて行かなかったのか。

レントゲンを撮らせなかったのか。



もっと早くに連れて行ったら
こんなにも巨大な腫瘍で肺が占拠されることはなかったのかもしれないと

両親に虐待されて育ちながらも

家族の歴史を辿る私家版ファミリーヒストリーを創ったことや
http://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-251.html

赦すでもなく 赦さないでもなく
http://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-289.html

というこころの置き所を見つけ

紆余曲折を経て30代後半になり
家族をやり直しながらもと

CT 検査から帰ってくる父を待つ間何度も悔やんだ。



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CT の画像が上がってきて再度外科の診察室に呼ばれると

上から見た肺の画像がモニターに映し出されていて
やはり左肺の半分をゆうに塞ぐほどの巨大な腫瘍があった。

素人目に見てもこれはまずいなと思うおおきさ。
レントゲンと併せてショックだった。

今もって頭を離れない。



来週週が開けてすぐに今度は呼吸器内科で
腫瘍が良性か悪性かを調べることとなったが
良性ということはまずないだろうと思う。



診察を受けたこの病院は

今から28年前
末期がんで余命三ヶ月と言われた母が入院し

その後6年近く長生きして不帰の人となった病院。



皮肉な巡り合わせだと思ったし
なによりあの巨大な腫瘍は
母の病状説明の折見たものと似ていた。



脱腸のことや痛みのことは
どれほど聞いても「大丈夫だ」としか言わない父が
このときだけは「大丈夫」と口にしなかった。



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ぼくが知る限り
父が教えてくれる限りだけれど

肺気胸2回
初期の膀胱がん
鼻茸

都合4回入院したことがあったけれど
特段タバコの害で重篤な症状に陥ったことはなく

いずれも完治して鉄人のように見事に復活していた。



ぼくにとってそんな父はヒーローだった。

虐待を受けて育ち
恨み辛みは殺したいほどだったが

今思うと逞しく眩しい存在だった。



会社員として定年まで勤め上げ
一度として家族を経済的に困ることなく養い支えてくれた
そんな強き父もまたヒーローだった。



でも今は、そんな父も弱々しい。



77歳

長年の喫煙で肺機能はさすがに弱っているし
膝を痛めて歩くことも億劫だ。

特に階段を降りるのが怖いと言っている。

サプリメントを飲んではいるが夜間頻尿で睡眠不足がちだし
薬はあるものの脱腸の痛みと相まって

睡眠負債が心臓に負担をかけないか心配でならない。



以前のように快活に

ボランティア活動
趣味の写真
国内外の旅行

に勤しむことも出来なくなり
実家では横になっていることが多くなったし

膝の痛みもあって買い物などに出掛けられないから
再婚したお嫁さんやぼくが買い物に行くし

ゴミ出しなどもぼくらがするから家から出ることが殆どない。



運動量が落ちれば

肺活量
体力
筋肉量

すべてが低下するから
腫瘍の行方次第で始まる手術や治療への影響も懸念される。



出来ることなら父が動ければと思うがそれも難しい。

ことばにこそ出さないが誰よりも辛いのは
身体が思うように動かない父。

悩ましい限りだ。



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病気を機に父と話す時間がぐぐっと増えるなんて
なんて皮肉なことだろう。



でも今はドラマで白石が父を思うように

何度でも立ち上がるヒーローじゃなくていい
元気でいてほしい

ただ元気でいてくれればって思う。



朝行って
昼前に終わっての病院からの帰り道

暑さ
睡眠不足
痛みから食欲が落ちている父にとって

外食すること
食べることが

今の父にとっての数少ない楽しみだと気づいた。



何処にでも付き合うよ。
なんでも好きなもの食べてよ。
家で食べたいものがあったらなんでも買ってってよ。
ぼくが食べたいもの、作ってもいいしさ。

思い立ったときに
思い立ったことを
ありとあらゆる出来ない理由を全部自動ドアに変えて思う存分やれる

父の「あれがしたい」「これがやりたい」を全部叶えてあげたい。
そのためにぼくはアーリーリタイアしたんだからさ。



父が一日でも長く生きられるなら

どんな最先端の治療法でも
どんなに高額でもいいから

望むものすべてをお金の心配なく遠慮なく受けてほしい。

家族が
大切な人が傍に居てほしいと願うときに
なんの縛りもなくいつまでも居られる。

すべてにぼくが合わせるのではなく
すべてがぼくに合わせてくれる。

そのためにぼくはアーリーリタイアしたんだからさ。



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実家にある萎れた鉢植え。

本当にぐたっとなっていて
「こりゃダメだろ」と思う。

とうにサヨナラしてもいいほどなのに
どうして父は大切に大切に毎日水をやるのか。



認知症と言う人もいるがそうじゃない。
(日常的に外国語を使い脳に高負荷をかけているので)



もうヒーローでなくてもいいけれどそこに込められた

想いを
願いを

ぼくは全力で応援したい。



脱腸の術前検査で撮ったレントゲンによって
肺の腫瘍に気づくというラッキーを持ち合わせる人なのだから。