白色の自己主張

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その背中

白色の自己主張
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白色の自己主張 ~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~



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笑う門には福来たる

楽しいから笑うんじゃない。
笑うから楽しい。

哀しんでいても解決しない。
だったらどん底でこそ笑おう。



そんな何処かの誰かのバカポジティブなことばを
筋金入りのマイナス思考なぼくは無邪気にも信じて

いじめのまっただなかに居た小学生の頃
辛さを吹き飛ばそうとにこにこしてみたことがある。



とにかく絶望的な日々を生き抜こうと必死だった。



するとある日

いじめている主犯格のヤツではなかったけれど
クラスメイトのひとりがぼくのところにやって来て

前の席に座りこちらを向くと

『な~にニヤニヤしてんだよ』

言うや否やいきなりビンタした。



『ペチン!』

乾いた音が教室に響き渡ると

『あぁ~スッキリした♪』

まるで何日もの便秘が解消したような小憎いひとことを残して
へらへら笑いながら立ち去っていった。



『はぁ?なに今の?』
あり得ない出来事が起こって状況が掴めずにいた。



気がちいさくて言い返せない
軟弱で力でやり返せないぼくは
ビンタしたヤツの後ろ姿を目で追うことしか出来なかった。



『笑う門には福なんて来ねぇじゃん』
『笑う門の門ってどこの門ですか?』
『そこ、教えてください。幸せになれんなら行きたいです』



以来笑えなくなった。
笑うことが怖くなった。



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幼い頃家では両親から

『甘えるな』の自己責任
『頼るな』の自助努力
『正社員で家族を養って一人前』の男らしさ・自立

子どもにとっては成長を待たなけれならないことばかりで理不尽で意味不明
親の自己満足としか思えない3点セットを躾と称した虐待で厳しく躾けられ
出来の良い姉といつもいつも比べられ

どう頑張っても3点セットからかけ離れるぼくは
やれることはやり尽くすほど努力しても出来の悪いぼくは

いつもいつも両親から否定され続けて育った。



否定されるときはきまって問答無用で大声で叱責され

後に歯の治療に一年も要するほど
治療してくれた歯医者さんが初診のとき口の中を見て絶句したほど

奥歯をわずか一本だけ残して衝撃でボロボロになるまでに
骨格がげっそりと頬がこけたように変わるほどに
サンドバック状態で頬を何度も往復させて激しく平手打ちされたり打ち下ろされたり

耳やもみあげを上に引っ張りあげられたり
髪の毛を引っ張られて右に左に引き倒されるなどしていたから

痛みと恐怖で笑顔なんてとうの昔に
ぼくの顔からも感情からも消えていた。



(高校卒業後社会人になってじぶんの健康保険で治療を開始)
(一年後なんとか歯並びは復活したものの笑えないままだった)
(笑うと残った一本以外のALL銀歯が見えるのが恥ずかしかったし笑われたから)



そこへ傷口に塩を塗るような教室でのあのビンタだ。



あまりに笑わなくなったので

『笑うってどうするんだっけ?』
『笑うってどうゆうこと?』

笑うことそのものを忘れてしまった。



脳みそから

『ココ!笑うところだよ』

そんな指令が出ても

神経も
筋肉も

完全に笑うことを忘れてしまってぴくりとも動かない。



まるで能面。
顔の筋肉が動かなくなっていた。
神経とともに老化していたからだ。
こんなことってあるんだなと驚いた。



理不尽ないじめや虐待を受け続け

気がちいさいうえに吃音(=どもり)で思っていることを言うに言えなかったが
勇気を振り絞ってなにか言おうものなら『反抗した』『口答えした』と解され

いじめがエスカレートしたり
虐待が激しさを増したことでことばを発することも怖くなった。



あまりに話さなくて声が枯れ
声帯が老化したときと同じだ。
http://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-80.html



毎晩鏡を見て笑う練習をした。

笑う練習なんて馬鹿げているって思うだろう。
練習して身に着けるものではないのだから。

でもぼくはこころからもう一度笑いたかったから

『まずは形から入ろう』

と練習した。



鏡を見て両手の人差し指で口角をニッと上げ

筋肉に
神経に

『笑うってこうゆうことだよ』

形状記憶させようと粘り強くレッスンしていった。



ご縁あって出逢ったキャビンアテンダント出身の女性が
笑顔になれる魔法のことばを教えてくれた。

『ウィスキー♪』って言うと自然と口角がニッと上がり
誰をも魅了する素敵な笑顔になれますよと。



鏡を見ながら

『ウィスキー♪』
『ウィスキー♪』

素直に練習した。



『はぁ・・・なにやってんだろう』
途中何度もこころがしぼんだ。



『練習』は、いつしか『訓練』になっていた。



『ウィスキー♪』
『ウィスキー♪』

言いながら
笑いながら

すぅっと涙が頬を伝ったこともあった。



そんな経験を経てきたからこそ
今こころから笑えることがたまらなく嬉しい。



おとなになってからのとある出逢いがきっかけだった。



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ライフワークのひとつ

ファッションのチカラで じぶん Love ♥
パーソナルスタイリング * モテハピ *
http://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-20.html

ファッション初心者専属でお悩みを解決する
パーソナルスタイリストをしているのだけれど

勉強のために働きながら夜間の専門学校に通っていたとき
洋服のことだけでなくメイクの技術も身に付けた。



メイクの専門職を養成する学校ではないので
身に付けたのは流行を追わないベーシックなものだけれど

流行のものも吸収すれば
すぐにじぶんのものに出来るくらいにまで基礎はみっちり出来ている。

そうしたこともあって学校の同期生から
介護施設でのボランティア活動に誘われた。



施設に入所していると

同じ入所者さんたち
職員さんたち

顔を合わせる人も限られてくるし
ご家族やご友人が訪ねて来ない方も居て

毎日同じ人ならとおめかしすることもなくなり
お化粧する必要も感じなくなってしまうのだという。



誰とも接することなく毎日夕方に来る郵便配達が唯一の楽しみ。
ただただ一日が過ぎるのを待ってカレンダーに☓印をつけるだけの日々。
そんなひきこもりの経験があるぼくにはこの気持ちがよく判る。



お化粧する必要を感じなくなってしまうと

こころのハリのようなものがなくなってしまい
自分を大切にする気持ちへのスイッチも切れてしまい

人と関わることが億劫になって閉じこもったり
人によっては認知症の症状が出てしまう方も居るのだとか。



そんな状況をなんとか出来ないかとライフワークで

「モテハピ」は、「モテモテ&ハッピー」の略。
じぶんも、大切な人たちも、ハッピーになる生きかたの提案。

「じぶん Love ♥ から はじめよう」をコンセプトに

じぶんにモテる人は同性・異性にもモテる
同性・異性にモテる人は社会にもモテる

じぶんモテ → 同性・異性モテ → 社会モテするじぶんを
ファッションのチカラを味方にしてカタチにしていくお手伝い。

こんな活動をしていたぼくのことを知っていた友人が
施設の職員さんと知り合いで話してくれて

そこから白羽の矢が立ち友人から

『手軽にできるメイクでも同じようにできないか』

お声がけがあったというわけだった。



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介護施設に入所しているおばあちゃんたちに
賛同した仲間たちと一緒にマンツーマンでメイクさせていただくのだけれど

ぼくがお相手したおばあちゃん『としこさん』は

ケープを掛けたりメイク道具の準備をしながら
口下手ではあったけれどあれこれ話しかけてもずっと無表情で

必要最低限のことしか話さない方だった。



お化粧の機会は職員さんから伝えられると楽しみにはされていたようなので
嫌々参加ということではないみたい。

となるとお相手を務めるぼくが嫌なのかなぁとか
とかく筋金入りのマイナス思考なぼくはあれこれ考えてしまっていた。



でも

としこさんの魅力を引き出せるようなメイクを心を込めてさせていただき
お渡しした手鏡でご自分の顔を眺めていると

だんだんと表情がゆるんできた。



場の空気も変わってきた。



見違えるようになり

お世辞じゃなく
『お綺麗です』お伝えしようとしたら

まさかの無茶ぶりが飛んできて思わず苦笑した。



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お作り(=化粧)の道具、貸してごらんなさい。
私だけじゃなくて、あなたもしたらどう?




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仲間たちは皆女性。

男性はぼくひとりなので
紅一点の反対みたいな状態。

彼女たちみたいに自分にもメイクしてお手本を示すわけでもないので
まさかぼくがとは思いもしなかった。



としこさんのメイクを終えると
今度はとしこさんがメイクアップアーティストになってぼくにメイクをしてくれた。



手鏡を渡してくれると口紅姿のぼくを見ながら


ふふふ、あなた・・・
よく似あっ・・ふふ・・ってるわ・・・ふふふ。
でも、私の方が綺麗よね。


ファーストコンタクトの能面のような表情はどこへやら。

『どう考えても似合ってるなんて思ってないでしょ』

ツッコミたくなるほどにいきいきとした表情でいじってくれた。



笑い声も響かせながら。



いつしかあまりに楽しそうなとしこさんの笑い声につられて
仲間や参加してくれたおばあちゃんたちの笑い声で団欒室はいっぱいになっていた。



『としこさんってこんなふうに笑うんだなぁ』
ぼくも嬉しくなった。



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メイクを楽しんだ後としこさんがお礼にと
施設内のお気に入りの場所へと車椅子で案内してくれた。

丘の上にある施設ということもあって手押しして着いたそこは
町が一望できる絶景ポイントだった。



ご満足いただけた。
そんな無形のお礼にも思えた。



隣に立って

う~んと背伸びして
深呼吸して

夕焼けに染まるか染まらないかの町並みをうっとり眺めていると
ふとこんなことを話してくれた。



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私、女だってこと忘れてたわ。
ありがとう。

・・・どれぐらいぶりかしらねぇ。
あんなに声を出して笑ったの。

もう笑うことなんてないと思ってたけど。
笑顔って、人を選ばないものなのね。




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ヘアスタイルは

似合う
似合わない

がある。



ヘアスタイルは人を選ぶ。



ファッションは

似合う
似合わない

がある。



ファッションは人を選ぶ。



でも笑顔は

似合う
似合わない

がない。



笑顔は人を選ばない。



似合う・似合わないがない。
そんなことってこの世界じゃ笑顔くらいだろう。



笑顔は人を選ばない。
そんな素敵なことってこの世界に他にはないだろう。



そういえばぼくも笑っていた。
笑おうとしなくても笑っていた。

『そりゃ、コントで女装するようなあんな顔見たら笑うでしょ』

としこさん、ぼくのこと笑わそうとしてくれたんだろうか。



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(町が夕焼けに染まっていた)
(『戻りましょうか』とお顔を覗き込んだら)

としこさん:あなた、よく見るといい男ね。
ヒロ:『ありがとうございます』・・って、この顔で言いますか、それ。

(せっかくとしこさんがしてくれたメイクだからと落とさずに来たので)

としこさん:顔じゃないわよ。
ヒロ:直球・・・ですね。オブラートに包んでいただけると。

としこさん:心よ。
ヒロ:あぁ・・・そっちですか。

としこさん:

あぁって、随分な落胆のしようね。
褒めてるのよ、これでも。

顔はお作りでいかように出来ても、心には出来ないでしょう?
ごまかせないってこと。

加齢には抗えない。
顔のように老けることもあるけど、心は若返り出来る。
お作りでは出来ないことが出来るのよ。

見た目のいい男を目指すなんて野暮なことはおよしなさい。
折角のいい男が台無しでしょ?




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身の上話はお互いしていなかった。
なにかご自身の人生と通じるものがあったのだろうか。
ありがたいことばのひとつひとつがこころに沁みた。



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こんな励ましと笑顔を贈ってくれたとしこさんとは
この日限りではなくおつきあいが続いた。



あの日以来

外出を渋っていたとしこさんが
『外出したい』とおっしゃるようになり

ご家族やご友人の訪問を拒んでいたとしこさんが
『家族や友人を招きたい』とおっしゃるようになり

ありがたいことにその度にぼくにお声がけがあった。



もはや専属メイクアップアーティスト。
出勤前とかにお邪魔してメイクをさせていただいた。
ゆっくりは出来なかったけれど、なんてことない話をしながら。



お休みの日にスケジュールが合うときは
ご家族やご友人のみなさんにお声がけいただいて
一緒に出掛けたりして家族のように親しくさせていただいた。



虐待の黒歴史で本当の家族とは崩壊状態にあったから

社会の中で家族を持つ
そんな形もあっていいのかもと

しあわせを噛み締めていた。



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としこさんにご病気が判ったのは
それから一年ほどしてからのことだった。



余命が告げられるものだったことからとしこさんは

施設ではなく
生家で最期を迎えたいとの希望をご家族に伝え

在宅医療
在宅介護を選び移った。



以前のように車椅子であっても出掛ける体力はもはやなく
寝たきりの状態になってしまっていたが

お見舞いに来てくれる人や
訪ねて来てくれるご家族・親類やご友人を

女として
綺麗な私で迎えたいからと

変わらずお声がけいただき
ぼくも変わらずとしこさんのメイクを担当していた。



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しばらくして認知症の症状がとしこさんに出始めた。
発症に至るような理由は誰も判らない。



ご家族やご友人のお顔が判らず

知らない人ばかり居ると混乱したり
暴れたり
物を投げたり
大声を出したりなど

以前のとしこさんの面影はいずこへ。



手を焼くなか
途方に暮れるなか
認知症ケアの切り札とも言われている

見つめて 触れて 語りかけて ~認知症ケア“ユマニチュード”~ クローズアップ現代+
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3464/1.html

誰もが学べ、実践できるユマニチュード。 5つのステップで患者の心に近づく HEIPMAN ● JAPAN
http://helpmanjapan.com/article/5140

『ユマニチュード』をご家族やご友人が学び接するなかで
ぼくだけはなぜか判るようだった。



学んでいないぼくが接するときは
まるでタイムスリップしたようにあの頃のとしこさんがそこに居た。



いつものようにぼくが顔を出すと

それまで知らない人ばかり居ると混乱したり
暴れたり
物を投げたり
大声を出したりなどしていたとしこさんに

以前の面影が戻ってくる。



台風の目に入ったときのようだった。
そのときだけは風のない春の午後のようだった。



                    *



お別れは突然だった。
いつものようにメイクをし、出掛けた後のことだった。



駆け付けるとご家族からとしこさんが生前
自分が死んだらヒロにと託されていた想いがあったと聴かされた。



『死化粧は納棺師ではなくヒロに』
遺言だった。



ご遺体専用メイク
http://www.cosmo-trade.com/goods/hygiene/towane.html

この日のためにと準備していたわけではない。

以前友人のご家族からお声がけがあって
知人を介し持っていたものだった。



『こんな形で再度使うことになるなんて』

ことばに出来ない感情がないまぜになったけれど

あの日
あの時
あの場所で

笑うことを忘れていたとしこさんが笑ってくれたような
としこさんの魅力が宿るようにと

納棺師さんや葬儀会社さんたちにご配慮いただきながら
精一杯メイクさせていただいた。



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あの日の、いつもの、としこさんがそこに居た。



                    *



お見送りを終えた後
ご家族やご友人の皆様から

『ありがとうございました』

御礼のことばを頂戴した。



ぼくは死化粧のことだとばかり思っていたのだが
(もちろんそれもあるのだけれど)こんなことを話してくださった。



ユマニチュードをご家族やご友人が学び接するなかで
ぼくだけはなぜか判る。

学んでいないぼくが接するときは
あの頃のとしこさんがそこに居た。

いつものようにぼくが顔を出すと

それまで知らない人ばかり居ると混乱したり
暴れたり
物を投げたり
大声を出したりなどしていたとしこさんに

以前の面影が戻ってくる。



在宅看取り医など在宅看護・介護にあたる方たちのお話では
認知症になる前のぼくに抱いていた記憶・感情が
良いものだったからではないかとのことだった。



あの日のことだろうと思った。



姿形はとしこさん。
それは頭では判っている。

でもまるで別人のように変わってしまって

在宅医療
在宅介護サービスの力を借りながらとはいえ
としこさんの希望を叶えるために介護するご家族の皆さんは

抱え込まずに相談もしていたけれど
心身ともに次第に疲弊していった。



そうした日々の中でほんのひとときではあるけれど

ぼくがやって来て
風のない春の午後のようになる瞬間が訪れることで

わたしたち家族はどれほど救われたことかと。



死化粧をぼくに託したことと併せて
人生の最期に良い記憶・感情を持った大切な人を送り出せた。



そのことへの『ありがとうございました』だった。



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末期がんで入院した父を前に
http://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-360.html

『人生の最期に良い記憶・感情を持った大切な人を送り出せた』

このことばがずっと胸に刺さっている。



幼少期の虐待については今も間違っていると思っている。
この想いは死ぬまで変わらない。

ただそれとこの世に送り出してくれた恩とは別だし

虐待への恨み辛みは
もうじぶんの中で置き所が出来ている。
http://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-289.html



だからこそ、人生の最期に良い記憶・感情を持った父を送り出せたらと思う。
だからこそ、人生の最期に良い記憶・感情を持って父を送り出せたらと思う。



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そんな想いを
同じような境遇で育った友人『こうたろう』に話していた。



彼から先日
同じくがんを患っていたお父様を見送ったと連絡をもらった。



仕事が長続きせず
お金にだらしなくて
お父様にお金の無心をしてきた。

病気が発覚し
各種支払いが滞らないようにと
お金関係の交通整理を妹さんとしていたら

3つある口座のうち2つがマイナスだった。



年金収入を担保に高額なお金を銀行から借りていたり

『四の五の言わずに入っておけ。保険料は払うから』

と言われて兄妹で入った生命保険を担保にして貸付を受けていた。

年金担保融資を受けている口座がマイナスなのは判ったが
もうひとつの口座が7桁もマイナスなのには絶句した。

いつから
どうして

こんなことになったんだろう。



なんとしてでもお金を工面して
コイツの面倒を見なくてはと思ったのだろう。

親だから。
それだけの理由で。
突き放してもいいのに。

ベッドで横たわるお父様はお見舞いの折
ご自分のことよりもこうたろうを心配していた。



あれほどお金に厳しかった父にお金を借りさせてしまうなんて。
こんなことになったのは自分がお金を無心したから。
お父様の預貯金を食い潰してしまったことを悔いた。



無職だった。

医療費の支払いで頼れるのは
正社員として働く妹だけだった。

口にすると妹の顔が曇った。
こんな顔にさせてしまったことを申し訳なく思った。



保険証券の『死亡時300万円』を見て
これでなんとかなるかもと思った。



いつかに読んだ童話かなにかで

森の動物たちが旅人をもてなすのだが
うさぎだけはもてなすものを用意出来ず
暖を取るたき火の中へと飛び込んで自分を食べてもらおうとする。

あの心境だった。



そんな思い詰めた心境のとき
ぼくに連絡が来て逢った。




こうたろう:

ヒロ、話してくれたよね。
人生の最期に良い記憶・感情を持った大切な人を送り出せたらって。
俺もそうしたい。
『アイツ、なんとかやってけんだな』って安心した親父を見送りたい、せめて。
生活保護とか受けるんじゃなくて、働いて支えたい。
誰かや社会の役に立ちたい。
出来るかな・・

ヒロ:

『未来』って、『未だ来ず』って書くだろ?
まだなにも始まってない。
なにも終わってない。
『おまえも』終わってない。
やんな、今からでも。




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それからしばらくして就職の連絡が届いた。



                    *



末期がんのぼくの父の余命は、3ヶ月から半年ほど。
年を越せないかもしれない。
来年の桜は見られないかもしれない。



去年のクリスマス

父がサンタクロースのボランティア活動で袋いっぱいのプレゼントを渡すため
幼稚園や保育園を訪れたときの写真が実家に飾ってある。

父の訪問は(意外にもと言ったら失礼だが)大好評で

ボランティア終了後
幼稚園や保育園から

『また来年も来てほしい』と指名が入るほど。



こんなことはボランティア開始以来初めてのことらしく

父は連絡を受けた電話口で口元をほころばせ
指折り数え楽しみにしていたのだが

病に倒れてしまった。



写真を見るたびに

『なんとかこの日をもう一度迎えさせてあげたいな』

医療は万能じゃない。
こんな日のためにとアーリーリタイアしたお金も万能じゃない。
無力だ。

寝たきり状態になった父を前にして希望を語るのは厳しい。
頭がメルヘンチックというかお花畑になってしまっては現実から逃げているだけだから。
希望は、現実という地に足が着いてこそだ。

想いで胸がいっぱい。
いや、潰れそうになる。



そんな苦衷を


『同じ告知でもさ、イベントの告知はスイスイス~イなのに、ガンの告知ってなんでこんなにも難しいっていうか、苦しいっていうか、あれなんだろうな』


前にどうにもしんどくて吐露したときに続いて
こうたろうに今一度吐露したとき

彼はこう言ってくれた。


                    *




『未来』って、『未だ来ず』って書くだろ?
まだなにも始まってない。
なにも終わってない。

だったよね?
今度は、俺の番です。




                    *



誰かの足を引っ張る者は
いつかその足が自分の足になっている。

でも

誰かの背中を押す者は
いつかその背中がじぶんの背中になっているのかもしれない。


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