おかあさんになる人生 おかあさんにならない人生 - 白色の自己主張
~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~

おかあさんになる人生 おかあさんにならない人生





白色の自己主張 ~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~



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ペルソナ総合医療センターに勤務する産婦人科医であり
素性を隠したピアニスト BABY としても活動する鴻鳥(こうのとり)サクラが
http://www.tbs.co.jp/kounodori/chart/

様々な事情を抱えながらも
産むことと向き合うすべての人のために

どんなに困難な状況であっても
産まれてくる赤ちゃんを祝福するために
チーム一丸となって赤ちゃんをこの世に迎える物語

金曜ドラマ『コウノドリ 命についてのすべてのこと』7話
『母になる人生 母にならない人生 何が違うの?』に、こんな場面があった。
http://www.tbs.co.jp/kounodori/



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ある日のスタッフステーション。

産婦人科のムードメーカーであり
みんなの精神的支柱でもある助産師 小松留美子(こまつ るみこ)が

一仕事終えてもうひと踏ん張りと
皆を元気づけて仕事へと向かおうとしたところ

下腹部に痛みを訴えてその場に座り込んだ。



居合わせたサクラと
同僚の四宮春樹(しのみや はるき)が健康状態を確かめると

一年前の検査で子宮筋腫が見つかり
ここ最近痛みがひどくなっているのが気になっていた

と吐露した。



ということは、一年前から今に至るまで検査を受けていない。

『なんかバタバタしてたから』
『お休みの日に検査行くの、もったいないから』

皆を心配させまいと
いつもの調子でケロッとした表情で話すが

サクラと四宮は
体を休めていたソファーからお姫様抱っこして

半ば強引に詳しい検査を受けてもらった。



検査結果は

子宮腺筋症
卵巣チョコレート嚢胞(のうほう)

状態としてはかなり悪いところまで進行していた。




【用語解説】ドラマより

子宮腺筋症:

子宮に発生した子宮内膜症
子宮筋層が厚くなる

卵巣チョコレート嚢胞:

卵巣に発生した子宮内膜症
卵巣に血液がたまり大きくなる




痛みだけでなく貧血もあり
日常生活にも支障があったはず。

こんな状態で仕事をしていたなんて・・
いや、させてしまっていたなんて・・

サクラと四宮は愕然とした。



研修医時代の恩師に
申し訳ない思いでいっぱいになった。



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ホルモン治療で痛みや月経量を抑えることはできても
止めればすぐに再発する。

四宮は『子宮全摘出が本人のためだ』と告げるが

告知を託されたサクラは
小松を前にその言葉を暗に濁した。



このまま放っておけば貧血は更にひどくなり
卵巣チョコレート嚢胞は将来的にがんになる可能性がある。

血管内治療やホルモン治療もあり
手術も選択肢のひとつとして考えた方がいいと思う。



小松から逆にどうしたらいいか尋ねられたサクラは
そう答えるだけで精一杯だった。



血管内治療やホルモン治療という選択肢はあっても
がんになるリスクがなくなるわけじゃない。



小松には、手術しかないということ。
手術の意味が判っていた。



『どうしたらいいんだろう・・』

天を仰いだかと思えば


でもあれか。
あたしから子宮がなくなっても、世界が平和ならそれでいいか。
ははは。


サクラを前に努めていつもの調子で明るく振る舞うが
心は押し潰されそうだった。



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仕事を終え自宅に戻った小松は
『同期会のおしらせ』を手に取り逡巡していた。



助産師の同期の絆

最近会えていないからこそ
こんなときだからこそ行きたいが

心は揺れていた。



同期の多くがママになっていることを知っていたからだ。



するとそこへ心を見透かしたように
同期の中でも特に仲の良い武田京子(たけだ きょうこ)から電話が。



『行くしかないな』



腹を決めた小松は
同期会へと顔を出した。



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顔を出した7人中
案の定独身者は小松と武田だけ。

他のメンバーは妊娠中か
既にママになっている。



と思っていたのだが
会話の流れから武田の妊娠を知った。



親友だからこそ素直にお祝いした小松。

たとえ自分がママにならなくとも
毎日のように赤ちゃんをこの手で取りあげている。

それだけで幸せだと言い切ったものの
子宮を失うかもしれないのだから内心は複雑だった。



痛みを伴う祝福だった。



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同期会からの帰り道
買い物を手に歩いていると

ペルソナでメディカルソーシャルワーカーをしている
同僚であり友人の向井祥子(むかい しょうこ)が

子どものお迎えを終えて
小松と同じように買い物を手に帰るところばったり会った。



子どもたちを公園で遊ばせて
向井とふたりベンチに腰掛けて
他愛のない話をしたあとだった。



小松が誰にも言えない想いを
病状は伏せて向井だけに吐露した。



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向井さん。
聞いていい?

『おかあさんになる人生』と『おかあさんにならない人生』。
何が違うのかな?




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以前拝読した毎日新聞朝刊の連載『女の気持ち』に
こんな苦しい胸の内が吐露されていた。

幸せとは… 群馬県高崎市・匿名希望(会社員・34歳)
http://mainichi.jp/articles/20151221/ddm/013/070/047000c



親類が皆結婚するなかで
匿名希望の女性は未婚。

行き遅れるような思いであったり
取り残されたような思いではなかったが

ある日、こんなことばをお父様から浴びせられたという。




「うちには孫がいないから生きがいがないな」




ぼくも、父から言われたことのあることばだった。



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ぼくの姉は、5人の子宝に恵まれた。

そうでなくても
幼い頃から出来の良い姉と比べられ

いつもいつも

『どうしておまえは駄目なんだ』

否定され続けて育ってきた。



『男は正社員として働いて家族(=子どもが居る前提)を養ってこそ一人前』

生きた化石のような両親は
どれだけ時代が変わってもそう頑なに信じて疑わず
ぼくにもそうあれと強く望んだが

生きることに不器用なぼくは
理想の子ども像からはいつだってかけ離れていて

子宝に恵まれた姉の存在は
なおさらにぼくを惨めな想いにさせた。



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『ご結婚は?』
『お子さんは?』

あちこちでうんざりするくらいに聞かれた質問だけれど

ほんとうにこの質問が必要なシチュエーションなんて
ほとんど無いのではないかと思う。



なぜ聞く?



質問する人は定番の質問として聞くものだと
なんの疑問も抱かずに当たり前のように思っているのだろうけれど

相手のデリケートな心情にずかずかと
土足で踏み込んでくるようなものだとなぜ判らないのだろう。



そこには

『結婚する』
『しない』

という選択肢も

『できない』

という事情もない。



そこには

『産む』
『産まない』

という選択肢も

『産めない』

という事情もない。



そこには

『家庭を持つ』
『持たない』

という選択肢も

『持てない』

という事情もない。



『ご結婚は?』 → していて当然
『お子さんは?』 → 居て当然

年齢を見ただけで
知っただけでそう判断していないか。

自分や周りの人たちがそうだからと判断していないか。



結婚していっちょまえ
家庭を持っていっちょまえ
子どもを持っていっちょまえ

できてあたりまえの精神的暴力を振りかざして
個々の事情も生きかたも無視してしないか。



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生きた化石だった父はいつからかぼくに

『子どもの顔はいつ見られるんだろうな』

などと言わなくなっていた。



『姉で充分だからおまえには期待しなくなった』
『期待はずれと見放した』

そう落胆でもしたのだと思っていたが

どうやらそれは違うのだと
先日父を亡くしてから思い起こし

初めて気づいた。



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会社を定年退職後にはじめた
地域のボランティア活動や地区の委員活動で

子育てサロンを訪ねて
赤ちゃんたちに出逢い

幼稚園や保育園を訪ねて
元気いっぱいの園児たちに出逢い

小学校を訪ねて
1年生から6年生まで年齢別の子どもたちに出逢い

行き先々でふれあいを重ねていくなかで
社会の中に子どもを持つことになったからだと思う。



自分の息子の子どもではない。
他所様の子どもだ。

でも、子どもは子ども。

ボランティア活動や
地区の委員活動で出かけた先々で

出逢った子どもたちが
ふれあってきた子どもたちが

まるで我が子のように思えるのだろう。



そんな出逢いとふれあいが
父の心境に変化をもたらしたのだと思う。



父が社会の中で子どもを持ち(=社会親になり)
彼らから愛されている姿を生前見られたことで

『子どもの顔を見せられない親不孝な息子で申し訳ない』

同世代を見渡して同じようにできていない
そんなじぶんを責めるような想いは

結婚して
家庭を持って
子どもの顔を見せることが親孝行

昭和の三種の神器みたいな価値観は
今更かもしれないが卒業できたのではないかと思う。



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『おかあさんになる人生』と『おかあさんにならない人生』。
何が違うのかな?

小松の問いかけに
ぼくならこう答えるかなと思う。



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自分の子どもを持つのもおかあさんなら
社会に子どもを持つのもおかあさん。

小松さんは毎日一人赤ちゃんを
その手で取りあげてるんでしょう?

それも、おかあさんじゃないかな。

自分の子どもを持つおかあさんになるから立派。
ならないから惨めじゃないよ。

だからなにも違わないし、変わらないよ。