なかなおり食堂 ちゃぶだい - なかなおり食堂 ちゃぶだい
~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~

なかなおり食堂 ちゃぶだい





ライフワーク『なかなおり食堂 ちゃぶだい』が産まれるまでの物語。



                    *



2017年11月17日(金)午前3時31分
享年78歳で永眠した父。



8月下旬に救急搬送された救急病院から転院した緩和ケア病棟では
スタッフステーションに申し出れば

いつでも
自由に

家族がカルテを見られるように開示されていました。

そして退院時には
入院期間中のすべてのカルテ(一部例外あり)が一冊の本として綴じられ

家族会の案内と共に手渡されます。



ブログで一文字を一歩として綴り
こころの整理をつけながら再出発をしたとはいえ

父が生ききった証である全カルテを読み返すこと
特に亡くなる前日から当日にかけての記述は

読み返すだけで今も胸が潰れそうになります。



長年確執のあった父ですがそれでも
隕石が地球に衝突したときに出来る巨大なクレーターのような穴が
ぽっかりとぼくのこころに空いています。



それでも手に取るのは

一冊の本として手渡されたものを
初めて開いたときに目に飛び込んできた『絶食』の文字が

目に焼き付いて離れないからです。



                    *




10月26日(木)絶食
10月27日(金)絶食
10月28日(土)絶食
10月29日(日)絶食

10月30日(月)絶食
10月31日(火)絶食
11月1日(水)絶食
11月2日(木)絶食
11月3日(金)絶食
11月4日(土)絶食
11月5日(日)絶食

11月6日(月)絶食
11月7日(火)絶食
11月8日(水)絶食
11月9日(木)絶食
11月10日(金)絶食
11月11日(土)絶食
11月12日(日)絶食

11月13日(月)絶食
11月14日(火)絶食
11月15日(水)絶食
11月16日(木)絶食
11月17日(金)絶食




                    *



緩和ケア病棟には23日間居ましたが、すべて『絶食』。
転院前と合わせると、約三ヶ月『絶食』でした。



あまりに絶食状態が続いて

ぼくの中ではそれがいつしか
当たり前になってしまっていたほどです。

だからカルテで『絶食』の文字が
ずらりと切れ目なく印字されているのを見たとき

食べることが好きな人でしたから

『一口でいい。食べたかっただろうな』

胸が苦しくなりました。



だから仏壇には、食べ物を切らさない。



点滴で栄養補給をすれば人間は
寿命が来るまでならいつまでも生きられる。

カロリーメイトのような栄養価の高いものでも生きていけるだろうけれど
それでもなぜ人間はバラエティ豊かな食文化を楽しむのか。



『食べる』こと
口から食べることは
生きることに欠かせないものなのだと思う。



                    *



末期がんで肺が原発でしたから

痰のからみが酷く
入院後は会話することもままなりませんでした。

飲み込むときに吸引しても吸引しても次から次に出てくる痰が邪魔をし
嚥下障害も併せて症状として出ていたために

食べることはもちろん
飲むことさえも出来ませんでした。



最後に『水、飲みたい』とささやき声にも満たない声で言ったのは
緩和ケア病棟への転院が決まる一週間前。



それまでにも父からは
度々『飲みたい』とのリクエストがあり

看護師さんにお願いして
とろみ剤を使って飲ませてもらうこともありましたが

それもいつしか出来なくなっていました。



父に『こういう事情で飲めないんだ』と告げるのは希望を断ち切るようで
辛い以外の何物でもありませんでした。



それでもなんとか叶えてあげられないか主治医に相談しましたが

誤嚥する(=肺に誤って入る)リスクを承知の上で
末期がん患者さんの中には

食べたり飲んだりする方も居るとのこと。



本人の気持ちが最優先なのですが

『寿命と引き換えにしてまですることなんだろうか』
(これは今でも答えが出ていません)

家族としてはどうしても OK が出せませんでした。



                    *



父が『食事』と呼べるものを最後にとったのは
救急搬送された翌日の朝食一食のみ。

流動食でした。

以降は痰のからみが酷くなって絶食となり
水やお茶こそこのときはなんとか飲めましたが

『食べる』ということだけは許可が下りず。



ようやく許可が出たときには栄養価の高いゼリーを昼に一食

それも看護師さんに時間を掛けて
飲み込み具合を慎重に見極めながらスプーンで食べさせてもらうのですが

名刺ほどの大きさのものが完食出来ませんでした。



そういえば、固形物の食事を最後にとったのっていつだっただろう。



記憶を手繰り寄せると
救急搬送される日のお昼ごはんでした。



                    *



名古屋の夏はとにかく暑い。
健康であっても食欲は落ちます。

そんな真夏最高潮の中で父は
入院を控えて検査検査が毎週のように続き

体調も坂道を転げ落ちるように異常なスピードで悪くなり
衰弱が進んでほぼ寝たきりになっていた頃です。



国際結婚で再婚したお嫁んさんがお仕事から帰ってくるまでの間
実家を訪ね身の回りのことをしていたぼくに
『なんか作ってくれんか』のリクエストが。



食欲も減退していました。

できるだけ口当たりがよく
それでいて栄養価の高いものをと考えて

さっぱりイケるぶっかけうどんに
納豆とオクラを乗せて
最後に卵を落としたものを

ささっと作って出しました。



実は栄養価のことで頭が一杯で
父が納豆が嫌いなこと(臭いが駄目)を失念していました。



胃腸が弱り

食べては吐く
食べては吐くを繰り返す。

『また食べると吐いてしまうんじゃないか』

嘔吐は容赦なく体力を奪います。
身体だけでなく心にも恐怖心というダメージを与えます。

嘔吐する父の背中を擦ったときのあの手の感触と
『なんにもしてやれんくてすまん』と涙した想いは

今もまだ手とこころに残ったままです。



大好きだった食べることが怖くなってしまっていた父でしたが

『うまい』
『うまい』

と言いながら

食欲のなさなんてウソのように
おいしそうなずずず~という啜る音を立てながら

あっという間にぺろりとたいらげてしまいました。



ちゃぶだいを挟んで食べているぼくよりも早くたいらげています。
『あれ?納豆大丈夫だった?』の問いかけには『うん』。

そして

『ごちそうさん』
『ありがとう』。



苦痛で眉間に皺の寄ることが多かった父の顔に
歯を食いしばり笑顔がいつしか消えてしまっていた父の顔に
久々に幸せそうな表情が戻った瞬間でした。



                    *



その日の夜、救急搬送されました。
もう二度と家に戻ることはありませんでした。



                    *



男親と息子

離れて暮らしている時間の方が長くて
父に末期がんの可能性が判って
否応なしにがっつり向き合うこととなったものの

介護する立場のぼくと
介護される立場の父は

介護保険の認定を受ける前でしたから
ヘルパーさんなど家族以外の人が入らない閉鎖的な空間にふたりきり。

そして互いに初めての介護でストレスを抱え
なにかというと火花バッチバチの口喧嘩になっていました。



幼少期から青年期に渡る18年間

365日皆勤賞で理想の息子になるよう自らの価値観を
徹底的に容赦なく虐待で叩き込んだ両親です。

恨み辛みを内に秘め
いつか復讐の機会を虎視眈々と狙う中で紆余曲折経て40代に入り

赦すでもなく 赦さないでもなく
http://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-289.html

そんな第三の場所へのソフトランディングを経て
いくらそうせざるを得なかった人の心に心を寄せることが出来たとはいえ

やはりまだ悶々とした
熾火のようなものがないわけではありません。



そんな父の口から『ありがとう』なんてことばがぼくに対して出るのは
ぼくの人生で初めてのことでした。



あの瞬間

『もういいかな』

と思えたじぶんが居ました。



赦すでもなく 赦さないでもなくの先へ
そう思えたじぶんが居ました。



                    *



人生の最期に良い感情・幸せな記憶を心に刻んだ父を見送りたい。

そう願って約4ヶ月共に駆け抜けてきましたが
振り返ってみるとあのときの『ぶっかけうどん』が

そのはじまりだったのかもしれません。



                    *



『食卓を囲むことが夫婦円満の秘訣』

今のパートナーと結婚したとき
彼女のご両親からお祝いにと

『夫婦箸』をいただきました。



夫婦箸には『はたの鴛膳堂(えんぜんどう)』様によると


お箸は、昔から人と人との繋がりを「橋(箸)渡す」もの、そして食と人を繋ぐ事から「食べることに困らない」という意味も込められ、縁起の良いものとして、さまざまなシーンでの贈り物に選ばれて参りました。
http://www.enzendo.jp/gift-ohashi/


そんな意味や願いが込められているのだそうです。



ぼくもパートナーも
食べることが好きで
作ることが好きです。



ラブラブだからといって
いつもいつも仲睦まじいわけじゃありません。

ケンカして口をきかないときもあります。
それでもおなかはぐぅと鳴るのですね。



そんなとき、どちらからでもなくふらりとキッチンに現れ

トントンと心地いい音を立ててなにやら作っていると
連れ合いもふらりとキッチンにやって来ては

ちょっと離れて
トントンと心地いい音を立ててなにやら作りはじめます。



お互い食べることが好きで
作ることも好きですから

最初こそ

『なによ』
『なんだよ』

『なに?』
『なんでも』

火花バチバチ
つっけんどんですが

そのうち

『なに作ってんの?』
『おいしそうだね』

なんて耳はダンボ
鼻はゾウさんになり
香りや仕草から互いが気になって仕方がなくなり

さっきまで口をきかないほどにケンカしていたのがウソのように
笑い声が宙を舞うようになります。



そして

朝餉(あさげ)
昼餉(ひるげ)
夕餉(ゆうげ)

食卓にいただいた夫婦箸を並べ
ぼくらは夫婦の危機(というと大袈裟ですが)を

ひ~ょいひょいと乗り越えてきました。



                    *



テーブルを囲むということ。
ちゃぶだいを囲むということ。

当たり前のように思いますが
実は奇蹟なんじゃないかと思うのです。



相手が居なくなるかもしれないからです。
じぶんが居なくなるかもしれないからです。



どちらが欠けても
『囲む』ということは叶わなくなってしまいます。



ライフワークのひとつ
『料理創作ユニット ケータリング・ヒーローズ』を立ち上げたきっかけは
http://ippunkan.blog.fc2.com/blog-category-12.html

福祉施設を訪れた折
女の子の閉ざされた心を

オムライス一皿が開いたことでした。



以来活動するぼくのこころの重心には

『食って、離れているものをくっつけるボンドみたいなものだなぁ』

という想いが変わらずにあります。



先日結婚式の招待状を届けてくれた

遠距離恋愛をしている友人と
遠距離恋愛に頑なに反対する恋人のお父様との間を橋渡ししたのは

いつもは電気釜で炊く代わりに友人がお邪魔して炊いた
土鍋ごはんの香りと湯気で家族を包んだことでした。



最近お声がけいただいたユニークなものでは

小規模事業所の社員食堂のごはんを
あれこれ知恵を絞っておいしくすることで

皆勤率が上がり残業が減りよりいっそう会社が儲かるようになったり
社員さんの離職率を大幅に下げることが出来たなんていうのもあります。

これもまた『なかなおりごはん』ですね。



                    *



『食卓を囲むことが夫婦円満の秘訣』

パートナーのご両親がおっしゃっていましたが
平和な社会を実現する鍵もここにあるのだと思います。

大真面目に。



さすがに『なかなおりごはん』で
ノーベル平和賞級の貢献が出来るなんて思っていませんが

でも

そのきっかけの
きっかけの
きっかけの
きっかけの
きっかけの
きっかけの
きっかけの
きっかけの
きっかけの

きっかけくらいにはなれるかもしれません。



だから、ライフワーク『なかなおり食堂 ちゃぶだい』を始めようと思います。



『ちゃぶだい』と名付けたのは上座も下座もないあの円形が
まあるく収まるようにという想いにぴったりだからです。



さて今度はどなたの離れたこころを
『なかなおりごはん』でくっつけましょうか。