心が黒いままでは死ねない - 白色の自己主張
~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~

心が黒いままでは死ねない

Photo:Black Wins By:Steve A Johnson
Photo:Black Wins By Steve A Johnson



You are the reason why I write. あなたがいる、それがわたしの書く理由。
Donna Jo Napori (ドナ・ジョー・ナポリ)http://www.donnajonapoli.com/about.html



     白色の自己主張 ~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~



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人のすることには、良いことも悪いことも必ず理由があるはずだ。

恵林医科大学附属看護専門学校学長 番匠光太郎(ばんしょう こうたろう)
オトナの土ドラ『いつまでも白い羽根』第4話『本当の自分をわかっていますか?』
http://tokai-tv.com/shiroihane/



親愛なる さぶに

一通目『愛のかたち http://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-425.html』に続いて二通目『心が黒いままでは死ねない』を、14歳のじぶんに語りかけるように、さぶに語りかけたいと思います。


オトナの土ドラ『いつまでも白い羽根』第3話『誰かを憎いと思ったことはありますか?』
第4話『本当の自分をわかっていますか?』に、こんな場面がありました。


製薬会社で営業職にあった父がうつ病で失職。毎日寝込むようになってしまいました。母がパートに出て収入をなんとか得ていく苦しい台所事情へと暮らし向きが変わってしまい、国立大学一本で受験せざるをえなかった木崎瑠美(きざき るみ http://tokai-tv.com/shiroihane/chart/)。

ですが、受験に失敗。母から大学は諦めて食いっぱぐれない職業に就くようくどくど言われ、諦めきれない国立大学を内緒で目指しつつ、仕方なく看護学校へと進学します。

毎朝学校一階ロビーにあるナイチンゲール像を見る度に『きょうこそ辞めよう』『きょうこそ辞めよう』と思うのですが、どっちつかずでずるずるときてしまう有様。実技を一緒にやることになったグループメンバーとの出会いもあり、友人が出来、頼りにされ、辞めるに辞めれません。

言いたいことを我慢できずに言ってしまう性格で、先生に反抗的な態度をとることもしばしば。看護師には向いていないと自覚しながらも、結局戴帽式を迎える日まで来てしまいます。肝心の大学受験は流れてしまっていました。

戴帽式を迎えると、病棟での実習が始まりました。『先生に反抗的な態度をとる生徒には難しい患者を担当させて実習を落とす』そんな噂があります。瑠美が担当することになった肝臓がんの末期患者 千田(せんだ)は、噂通り看護師が手を焼く患者でした。

怒りの沸点が低く、物に当たったり、大声で罵声を浴びせてきます。医師や看護師から厳命されている禁止事項は知ったことかとばかりに破りますし、治療やケアにも非協力的。自身に任せられた仕事が一向にはかどりません。学校で先生から実習を始めるにあたり『前向きな入院生活を送るためには何が必要か』教えられていたのですが、瑠美は我慢の限界に。売り言葉に買い言葉で、初日早々喧嘩になってしまいます。

看護師長から注意され、途方に暮れる瑠美に手を差し伸べたのは、学校(=医科大学附属の看護学校です)の図書館で顔を合わせたことのあった小児科研修医 菱川拓海(ひしかわ たくみ)。ランチに誘われた後、小児科病棟のキッズルームで絵本や玩具の片付けを手伝っていた時のことでした。

当初瑠美は拓海のことをお金に苦労する自分とは違って恵まれた家庭の出だとばかり思っていましたが、拓海は母子家庭。仕事をいくつも掛け持ちして大学へと送り出してくれて、奨学金を得て医師になったことを知ると、千田にも意外な一面があるのかもしれないと思い直します。

お手洗いで謝罪の練習をしてから病室へ。
ところが千田は容体が急変。
狼狽する瑠美の前で、明日をも知れぬ身になってしまいました。

翌朝。落ち着いた病室で改めて頭を下げると千田は、『おまえのせいで死にかけた』笑えない冗談を言ってぶっきらぼうながらに場を和ませ、言いたいことは言う、看護師に向いていないとあっさり認める、可笑しくもないのに笑う『感情労働 https://woman.excite.co.jp/article/beauty/rid_Escala_20170519_6878724/』をしない、抗がん剤の副作用でのたうちまわり『ばかやろう!』『こんちくしょう!』叫ぶ千田が自分を鼓舞するように言っていることに心を合わせて一緒に叫んだりする素直な瑠美に、誰もが煙たがるなかただひとり向き合おうとしてくれる瑠美に、次第に心を開いていきます。

母親が看護師をやっていたこと。その母が戦死したこと。幸せになるのが許せないほど憎んだ人が居たこと。家業を継ぎ、材木屋をやってきたこと。家族を養うために身を粉にして働いてきたこと。それなのに息子ふたりと娘ひとりは家業を継がず、家を出ていって疎遠。見舞いにも来ない。来たら『遺言状を書け』と言う。ちいさな材木屋の土地建物の相続にしか興味がないことを語リ聞かせていました。

そして、かつて憎んだ人『花房(はなぶさ)チヨ』宛の手紙。
病床で力を振り絞って綴った手紙を託すのです。



千田:

俺が、まだほんの子どもだった頃の話だ。

夕方過ぎると、家で独りで待ってるのが不安になって、御袋の勤める病院までよく迎えに行った。
御袋の後輩のチヨさんは、いつも俺に優しくしてくれた。
そのうち、戦争が起こってな。
チヨさんと一緒に、焼夷弾が空から降るのを見ていたこともある。

あと少しで戦争が終わるって年の春。
御袋が、病院船に乗り込んで外地に行くことになった。

(当時の回想:母の後を追って泣きながら駆けてくる千田)
(後ろ姿を見つけると『母ちゃん!』と叫んで抱きつく)

千田:

行かないで、お願い。
行かないで、母ちゃん。

母:仙蔵(せんぞう)・・

(身を引き裂かれるような想いで千田を抱きしめる母)
(身重のからだで千田の後を追って駆けてくるチヨ)

本来なら、 その船に乗るのはチヨさんのはずだった。
でも、妊婦を外地に送るわけにはいかないと、御袋が交代を申し出たんだ。

(抱き合う姿を見て『ごめんね』と云うだけで精一杯だったチヨ)
(そんなチヨを睨みつけるように)

千田:

チヨが行けよ!
母ちゃんの代わりに行ってくれよ!

(身の置き所がないチヨを見た母)
(千田を引き離し言い聞かせるように語りかけた)

母:仙蔵。 男がめそめそするもんじゃないよ。
千田:嫌だ。一緒に居てよ、 母ちゃん。

母:

仙蔵。
チヨちゃんを責めるな。
母ちゃんは、自分から行くんだ。
傷ついた人を救うんだ。
それが看護婦の、母ちゃんの仕事だよ。

(気持ちを押し殺し泪で見送る千田)
(おおきく手を振り合う母とチヨ)
(千田が看護師を嫌う理由の原点はここにありました)

千田:

数カ月後。
疎開先の親戚の家で、御袋の乗った船が海に沈んだことを知った。


瑠美:チヨさんとは、その後・・・

千田:

会ってねえ。
会いたくなかったんだ。
幸せになってたら、絶対に許せねぇと思った。

チヨさんから、何度も手紙が来た。
だが、読まずに捨ててたんだ。

お前を見てたら、こん時のことを思い出す。
俺にもお前みたいに、真っ白な時があったんだってことをね。

瑠美:わたし 、真っ白なんかじゃありません。

千田:

俺みてぇなじじいに比べたら、お前はまだまだ真っ白だ。
誰かを憎む自分が許せねぇんだろう?
俺も・・けっ。思い出しちまった。

(瑠美は拓海に好意を抱いていましたが、学校で同じグループになった遠野との間で三角関係になりかけていました。遠野は幼少期に妹を医療ミスで死なせた医師を捜し出し復讐するため医師に最も近づける看護師を目指す一方で、次々に医師を誘惑しては体を重ね、情報やお金を得ていたのです。そんな遠野に近づいてほしくないとの想いから拓海に遠野の黒い面を吹き込み、なにかと瑠美を振り回す遠野への憎む気持ちも募っていました。そのことをある日千田に『誰かを憎いと思ったことはあるか』と尋ねて、千田はチヨの名こそ出しませんでしたが、ほんのさわりだけを瑠美に話していたのです)


千田:

お前に頼みがある。
聞いてくれるか?

瑠美:頼みによりますけど。

千田:

けっ。
お前のその喋り方。
俺は嫌いじゃねぇ。

その手紙を、渡してくんねぇか?
俺の孫に、野木佑太(のぎ ゆうた)ってのが居る。
その子に渡してくれ。
そして、チヨさんを捜して手渡すよう言ってくれ。

俺が危篤になったら、佑太は来るはずだから。
俺が、一番信用してる男だ。
佑太以外の親戚には、絶対に渡さねぇでくれ。

瑠美:・・そんな大切なこと、引き受けられません。

(手紙を持ってベッド脇に立っていた瑠美の手をぎゅっと握る)
(今まで見たことがないほど力の宿った瞳で)

千田:

頼む。
最期にここが黒いまんまじゃ、死んでも死にきれねぇ。



瑠美と千田。
生きて交わした最期の言葉になりました。


父が末期がんに倒れた時ぼくの心に湧きあがった想いは、『人生の最期に良い感情・幸せな記憶を心に刻んで看取り看取られ』でした。

さぶも知っているように幼少期のぼくは、高校卒業後社会人となり実家を出るまで365日虐待365日全否定の皆勤賞で育ちましたから、両親への感謝の思いなど微塵もなく、殺してやりたいという激烈な復讐心だけで生きていたようなものでした。

復讐はぼくの生きる希望であり、生きる原動力でした。
互いの確執も凄まじく、心の中では何度殺したかわかりません。

そんなぼくに紆余曲折を経て『赦すでもなく 赦さないでもなく http://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-289.html』という第三の場所へのソフトランディングが訪れたことで、両親への復讐心や赦す赦さないという二者択一の呪縛から解き放たれました。そして、なぜ両親が虐待を振るうようになったのか。バックボーンを知りたいと思うようになりました。

冒頭の番匠の言葉を借りるならば、『人のすることには、良いことも悪いことも必ず理由があるはずだ』と思ったからです。

そうして言わば私家版ファミリーヒストリーを創っていくなかで、戦中産まれの両親が戦禍で自分たちの親が命を落としても生きていけるようにと厳しく躾けられ(父には弟妹が居ましたから彼らのことも託されていました)、明日をも知れぬ時代を懸命に生き抜いてきたことを知るに至りました。

子育てには正解がない。お手本となったのは、それぞれの、自身の親です。それゆえ育て方が受け継がれ、厳しい躾となり、行き過ぎて虐待へと至った。他に子育ての仕方を知らなかった。そうせざるを得なかったのだと思いました。

虐待を容認しているわけではありません。あってはならないという想いは今も変わりません。あんな時代には二度と戻りたくはない。ですが、両親を今となって責めるのは酷でしかないと思いました。責めたところで未来に向けてなにかが産まれる予感がしないからです。

だからぼくは母を見送る時にはできなかった(バックボーンを知ったのは母の死後15年以上も後のことです)『人生の最期に良い感情・幸せな記憶を心に刻んで看取り看取られ』を形にしたいと思い、父にやりたいことをやってもらったり、逢いたい人に逢ってもらったりと願いを叶えて『その日』を迎えました。


互いに心が黒いままでは死ねない。
この世に送り出してくれた恩と恨み辛みとは別ですから。


『あれが最期の会話になったら嫌だな』
父が生きている時はずっとこんなことを思っていました。

『もっと話したかったな』
父が他界してからはずっとこんなことを思ってきました。

末期がんで余命が宣告されている人も、ホスピスや緩和ケア病棟へ転院している人も、そうでない人も、いつ死ぬかなんて誰にも判りません。余命宣告はもうすぐ終りが来るのが見えつつある。余命宣告されていない人は、まだ終わりがぼんやりしているだけの違いでしかありません。


話せる。
通じる。
それは、相手が居るからできること。
http://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-107.html


心が黒いままで死なないためにできることだとぼくは思っています。


水の都から。
ヒロより。

2018.5.3



Photo:Trite black heart By:Bikerock
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