白色の自己主張

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おかあさんは、おまえの人生を愛してる。

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Photo:DSCF3618 By:ngg980
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You are the reason why I write. あなたがいる、それがわたしの書く理由。
Donna Jo Napori (ドナ・ジョー・ナポリ)http://www.donnajonapoli.com/about.html



     白色の自己主張 ~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~



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                  377通目



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NHK連続テレビ小説『半分、青い。』第8週『助けたい!』第44回に、こんな場面がありました。

高校卒業後生まれ育った岐阜から上京した萩尾律(はぎお りつ http://www.nhk.or.jp/hanbunaoi/cast/index.html)は、東京の私立大学 西北大学に進学。一人暮らしを始めます。

ある夜、ベランダを開け放ってベッドで眠っていると、猫が部屋に入ってきて律の上に。角部屋ですから、きっと隣の部屋から入ってきたのでしょう。いきなりのことに驚きつつも届けに行こうとドアを開けると、隣室の前で真っ赤な服に身を包んだ艶のある女性が何人もの名前を挙げ、自分は何番目でもいいからと未練をドア越しに打ち明けているところに出くわします。

岐阜の片田舎ではお目にかからない。まるでドラマかと思うような光景に面食らっていると、ドアが開き、若い男性が出てきました。男性は女性には目もくれず、律が抱いている猫『ミレーヌ』へ一目散。その様子に女性は呆れ、百年の恋も冷め、振り返ることなく去って行ってしまいます。

追いかけなくていいのかと問う律。
男性は、『別れ際は、よく切れるナイフでスパッと。これ、鉄則』さらりと言って涼しい顔。

来る者は拒まず。
去る者は追わず。

女性とは縁が切れましたが、ミレーヌが繋いだ縁で律は、やさしくて、ふわふわして、掴みどころがない。なぜだかとにかくモテるマシュマロ男子 朝井正人(あさい まさと)と友人になります。学部こそ理工学部(律)と法学部(正人)で違いましたが、律と同じ西北大学の学生。同じく地方出身者でした。

互いの部屋を行き来し、ごはんにもよく連れ立って出掛けるようになっていたある日。頼まれ事に付き添うため、正人を連れ立って故郷 岐阜へ。大学も楽しいし、しばらく帰るつもりはなかったのですが、せっかく里帰りしたのだからと実家へ顔を出しました。思わぬ帰省に、母 和子(わこ)の沸き立つ姿がありました。

その夜。写真店を営む父 弥一(やいち)が撮り、お店に飾ってくれている幼い頃からの仲良し 楡野鈴愛(にれの すずめ)、西園寺龍之介(さいおんじ りゅうのすけ)、木田原菜生(きだはら なお)との写真を懐かしそうに眺め、ふと目を遣ると、和子の名が書かれた内服薬の袋が。

どこか体を悪くしているんだろうか。

上京に付き添ってくれた時も。帰省したきょうも。自分の前ではそんなこと一言も言わなかったのに。不安げに見つめているところへ、風呂上がりの弥一がやって来ました。

実は和子は溺愛する律が上京した後の部屋を見て、空の巣症候群に。精神的に不安定な毎日を送っていました。でも、せっかく巣立っていった律の足を引っ張るようなことはしたくない。愛するからこそ応援したい。だから、上京に付き添った時も、岐阜に戻ってからも、黙っていたのです。

弥一は顔を曇らせる心優しい律に、こんな言葉を贈りました。



律:おとうさん。おかあさん・・

弥一:

うん。おまえが居なくなってから、ちょっとな。
淋しかったか、精神的にちょっと参ったか。
でも、ボクシングやって気が晴れたらしい。
今はそれ、飲んどらん。

(ボクシングは、出産で鈴愛と律を取りあげた町医者の岡田貴美香(おかだ きみか)先生、同じく上京した鈴愛の母 晴(はる)ふたりに誘われて始めたもの)

律:

ボクシング・・
知らなんだ。

弥一:

心配すんな。
おとうさんがついとる。
律は、自分のことを頑張りゃあいい。
おかあさんは、おまえの人生を愛してる。



おかあさんは、おまえの人生を愛してる。
律の心に、コーヒークリームのように広がっていきました。



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幼いころのぼくは両親から

『甘えるな』の自己責任
『頼るな』の自助努力
『正社員で家族を養って一人前』の男らしさ・自立

3点セットを虐待によって厳しく躾けられ、それがどう頑張っても形にならない苦しさから、『期待はずれ』『出来損ない』『失敗作』じぶんを責めたり恥じた。両親、特に父からこう言われて育った。

意に沿うよう懸命に努力したが、両親からは始終否定され続けて育った。虐待と共に365日皆勤賞だった。社会や他人からも同様に求められた時代を生きてきて、窒息しそうな息苦しさから命を絶つほどに追い込まれていった。

生きづらさから何度も自殺未遂を繰り返し、自殺前の身辺整理ですべてをゼロにしてから自殺したから、社会から切り離された時期を過ごしてきたから、そのたびに失職してキャリアがリセットされていた。

だから、職歴は凸凹だ。

職歴をすべて書き出すと巻物みたいになる。こんな職歴を恥ずかしく思っていた。実際面接で『ニンニン』などとからかわれ、『ごじゃる』などとふざけた口調で忍者のポーズをつけて笑われたこともある。

そんなぼくの職歴を見て

『今回の応募を含めて今までに定職に就こうと思ったことはないんですか』
『辛抱が足らんねぇ』

などと鼻で笑い、息を吸って吐くように勤めあげられることを自慢気に全面に出してなじる人は、就職活動の時うんざりするほど居た。

でも一方で『世界放浪みたいに面白い経歴してるねぇ』お約束いただいた面接時間は30分だったのに面白がってくれて、一時間近くもオーバーして話を聴いてくれただけでなく、話し足りないからとその後ランチにまで連れ出してくれて、『君、面白いからうちにおいで』採用してくださる方も居た。



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ぼくの職歴は凸凹だ。そんなぼくの職歴を見て、今までにおつきあいしたことのある交際相手のご両親から

『失礼だけど、定職に就こうと思ったことはないのかな』
『定職に就いてない人間に結婚する資格なんてないだろう、違うかね』

などとなじられることが多々あった。もっともなことだとぐうの音も出ない。ただ、『就こうと思わなかった』のではない。『就こうにも出来なかった』なのに。

でも一方で、日払い・週払いの仕事を駆使して食べていくために、生きていくために、仕事を選り好みせずに出来ることはなんでもやった。採用してくれるところなら何処だって飛びついた。

そうしたことを経てここまで生きぬいてきたことから

『たくましい』
『なにがあっても生きていける生活力があるわね』
『現金を毎日稼ぎ出せるなんて経済力があるじゃないか』

評価して結婚を認めてくださる方も居た。遠距離恋愛で婚約した女性(挙式直前に他界)と彼女のご両親だ。今のパートナーと彼女のご両親だ。

一社一筋で定年まで勤めあげたぼくの父はというと100%

『今回の応募を含めて今までに定職に就こうと思ったことはないんですか』
『辛抱が足らんねぇ』

となじる方だ。

『失礼だけど、定職に就こうと思ったことはないのかな』
『定職に就いてない人間に結婚する資格なんてないだろう、違うかね』

となじる方だ。

だからプロフィールにあるアーリーリタイアを決めた時のこと『春を連れて http://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-276.html』でも想いを綴ったように、『40代で契約社員を戦力外通告』なんてことは、父から見れば男の恥以外の何物でもない。情けないことこの上なく、勘当ものだと思う。

ぼくから見れば就職氷河期世代としてよのなかに漕ぎ出し、肌に合わない勤め人人生から早く逃げ出したい、逃げ切りたい一心で、生活費を除いた命金で株式投資に励むなかで思わぬ形で叶ったアーリーリタイアの人生。父はどう思うだろうか。理解あるパートナーには前から話していたけれど、伝えようかどうか悩んだ。

『セミリタイア』ではない。セミリタイアはリタイアの前に『セミ』と付いているように一時的なもので、いつかはまた復職することを指す。でもぼくの場合は父には信じ難い生きかただろうけれど、勤め人にはもう二度と戻らないという選択なので、『アーリーリタイア=若くして完全引退』ということばのほうがしっくりくる。



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今までには5年とか続いた仕事もあったけれどそれはレアケースであって、まずもって最長3年が限度だった。それも、擦り切れる寸前でなんとかという数字でしかない。

これ以外は就く仕事就く仕事すぐにクビになって、渡り歩いた会社も、渡り歩いた仕事も数百はくだらない。人間関係で躓くか、仕事の覚えが悪いと言われることがほとんどだった。やる気がないわけではないのがただただもどかしく、悔しかった。

職歴をすべて書き出せば巻物みたいになるほどだから、ぼくは40代になったらもう雇用形態はどうあれ社員としては雇ってもらえないんじゃないかと思っていたし、心臓に病を抱えながら生きてきて(度重なる自殺未遂で心臓が弱ったのも副因としてある)、担当医さんの見立てもあって『40歳までは生きられないだろうな』と思っていたから、もし40歳を迎えて『ない』と思っていた人生が『あった』なら、その時はアーリーリタイアしてやりたいことをやろうと決めていた。

桐野裕(きりの ゆたか)さんのご著書『思いどおりにリタイアできる人生設計術』を何度も読み込んで、たとえ何百社クビになろうとも、拾ってもらえた会社に勤める身分や恩恵をフルに活かし、そこで得たお金を倹約しつつアクセルベタ踏みで流し込んで株式投資に励み、盤石な経済的基盤を創る準備を着々と進めてきた。

それが戦力外通告という形で形となり、ぼくとしては胸を張って父に報告できると思っていたのだけれど(けちょんけちょんに言った父を見返したいという想いもあった)、やっぱり伝えようかどうか悩んだ。伝えても、伝えなくても、ぼくが生活に困らなければそれいいわけだし。結局は自己満足なのかなと。

ただ、こうも思った。

虐待については今も間違っていると思っている。この想いは死ぬまで変わらない。でもそれと、この世に送り出してくれた恩とは別だ。この世に産まれ落ちたからこそ、アーリーリタイアという人生を歩むことが出来たのだから。『赦すでもなく 赦さないでもなく http://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-289.html』そんな心の置所を見つけたこともおおきい。

だからその恩に報いるためにも、この世に送り出してくれたからこそ今アーリーリタイア出来たことを父に報告しようと思った。パートナーの強い勧めでもあった。



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戦力外通告を受けた年。年内にと思い、実家をパートナーを連れ立って訪ねた。『かくかくしかじかでアーリーリタイアしました』やんややんや言われることに予防線を張りつつ、手短にさらりと報告した。

『甘えるな』の自己責任
『頼るな』の自助努力
『正社員で家族を養って一人前』の男らしさ・自立

この3点セットを金科玉条とする父だから

『会社をクビになった?これで何社目だ。情けない、男のくせに』
『それでこれからどうするんだ。あきほさん(パートナーの名前)とのこともあるだろう』

こんなふうにまた話もろくに聞かずに、ネチネチ言われるのかと思っていたら

『おまえの隣に居る人がしあわせならいいんじゃないか。おまえもしあわせってことだからな』

目を細めながらのことばは意外なものだった。



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父に愛された記憶なんてない。

『期待はずれ』
『出来損ない』
『失敗作』

これがぼくの評価のすべてだった。

でも、父が生きている間にアーリーリタイアしたことを伝えられ、父が最も認めたくないであろう勤め人以外の生きかたを『おまえの隣に居る人がしあわせならいいんじゃないか。おまえもしあわせってことだからな』と評してくれたのを聴いた時、父はぼくを愛してはくれなかったけれど、ぼくの人生を愛してくれていたのだと思った。


『甘えるな』の自己責任
『頼るな』の自助努力
『正社員で家族を養って一人前』の男らしさ・自立

この3点セットを金科玉条とする父にどうしようもない息苦しさを感じて、高校卒業後家を出た。以来35歳までの17年間末期がんで他界した母の葬儀を除いて実家には戻っていなかったばかりか、顔を出したことすらなかった。勘当されたように、音信不通だった。

それでもその後紆余曲折あって、思うところあって家族をやり直したぼくは、30代後半になって実家の父を訪うようになった。職歴は相変わらず凸凹で、父としては近況を聞けば小言のひとつも言いたかっただろう。『成長しとらん』説教もしたかっただろう。でも、なにも言わなかった。いつ訪っても。

『あれだけ言って育ててこのざまだから、もうぼくには関心がないんだろうな』
『立派な姉で満足して、もう見放したんだろうな』

そう思っていた。
でも、そうじゃなかった。


もしも叶うなら、『おまえを愛してるよ』と言われるより、『おまえの人生を愛してる』と言われたい。


父からすれば『期待はずれ』『出来損ない』『失敗作』でしかない凸凹のぼくの人生をも、存在をも、まるごと愛してくれているのだから。


この想い。
父が生きている時に伝えたかった。


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