~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~

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Photo:Time By:Julien Sanine
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You are the reason why I write. あなたがいる、それがわたしの書く理由。
Donna Jo Napori (ドナ・ジョー・ナポリ)http://www.donnajonapoli.com/about.html



     白色の自己主張 ~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~



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去年11月17日に78歳で他界した父の納骨法要。
スケジューリングに難儀したが、3日に執り行ってきた。

父の弟妹夫妻4組が遠方から来てくださる前に掃除をしたり、お花を供えたり、ろうそくやお線香の準備などしていたら、すぐ隣のお墓にお参りに来ていた方から話しかけられた。

墓誌に刻まれた両親の没年月日を見てぼくの年齢を尋ね、しばし語らうと、こんな言葉を掛けてくれた。



あなたは幸せね。
20年もお母様と。
43年もお父様と一緒に居られるなんて。
私はね、幼い頃に両親が亡くなって、記憶もありません。



幼少期から青年期にかけて虐待を受けて育ち親子関係は崩壊していたから、一刻も早く親元を離れたいと思っていたぼくにとって、こんなふうに思ったことは一度としてなかった。



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金曜ドラマ『アンナチュラル』第8話『遙かなる我が家』に、こんな場面があったのを思い出していた。


厚生労働省医政局職員時代、東日本大震災が発生。災害担当として現地へ赴いた神倉保夫(かみくら やすお http://www.tbs.co.jp/unnatural2018/chart/)は、身元不明遺体の調査に従事した。

未曾有の震災。現地のカルテは津波で流され、集められた歯科医師は遺体を触った経験など皆無。人数もまったく足りなかった。

歯のデータベースあれば一瞬で該当者を弾き出せるのだが、電子カルテ化の流れにあっても紙のカルテがほとんど。個人経営も多く、手間や費用面などから協力もままならない。個人情報を巡る杜撰な有り様が報じられることも多々あり、どこが管理するのかという問題とも相まってデータベースはまだ構築されていなかった。

カルテがないために、治療痕との照合が出来ない。近隣で治療を受けたとは限らず、歯科医師会の協力を得て電話で尋ねたり、全国に拡大して捜すとなると膨大な時間を要するために身元不明の遺体をあまた出してしまっただけでなく、震災の混乱とはいえ決してあってはならないことだが遺体の取り違いもあった。

来る日も来る日も運ばれてくる遺体。身内の遺体を捜している家族も、いつまでも帰れない遺体も、神倉の眼に焼き付いて離れなかった。


本省へと戻った神倉は、この時の苦い思いを二度とさせてなるものかと、全国の歯科カルテのデータベース化に奔走。国立の研究所として設立予定だった不自然死究明研究所(unnatural death Investigation laboratory 通称 UDIラボ)が全国展開していれば実現する運びだったが、財政面での懸念から露と消えてしまった。

そんな潰れかけたUDIプロジェクトを公益財団法人としてなんとか一箇所だけ設立させることに漕ぎ着けたのは、神倉が警察庁と厚生労働省に働きかけを続けた賜物。器こそ変わったが、志は変わっていなかった。

退官後UDIラボ初代所長に就任した神倉は、日本で不自然な死を遂げたご遺体の内解剖されるのは先進国で最低の2割。8割は解剖されないままもっともらしい診断名が付けられ荼毘に付されるため、警察や自治体からの依頼はもとより、警察や大学病院へ解剖依頼しても断られた死因に納得出来ないご遺族の駆け込み寺となるべく、補助金頼みのラボを切り盛りしていく。一度は頓挫した国立研究所全国展開への試金石として。


原点は、ご遺体を帰すべき所へ帰す。
あの時果たせなかった想いにあった。


ある日の神倉。将棋の師匠として慕っているごみ屋敷の主 ヤシキの元を訪ねていた。もう何度も訪っているのには理由があった。ヤシキが妻 美代子の遺骨の受け取りを拒み、身元不明者としてラボに留め置かれているからだった。

喧嘩が絶えず、美代子最期の日はゴミの分別で揉め、腹を立てた美代子がプイっと出て行ってそれっきりに。ゴミ屋敷となってしまったのは、美代子が出て行ってからのことだ。路上で突然倒れて亡くなっていたが、小銭入れしか持っておらず、身元が判明するまでに3カ月もかかってしまった。

一年半前に亡くなり、『将棋で勝ったら受け取ってもいい』まるで他人事のようにヤシキは言うが、今も死を受け入れられないために将棋が弱い神倉にあえて難題を吹っ掛け、強がり、心が壊れることから必死に踏みとどまっていた。遺骨を引き取らないうちはどこか遠くで生きていると思えるのだろう。でも、このままには出来ない。

ご遺体を帰すべき所へ帰す。
あの日、あの時、あの場所の原点。

遺骨を手に最初に訪ねた折、神倉は玄関先からヤシキにこう語りかけていた。



ヤシキ:

持って帰れよ。
バチが当たったんだよ。

神倉:奥様をそんなふうに言わないでください。

ヤシキ:

いやいや、俺のこと言ってんだよ。
俺がろくな亭主じゃないから、神様に取り上げられたんだよ。

神倉:

同じことです。
美代子さんは、くも膜下出血で亡くなったんです。
誰のバチでもない。

死ぬのに、良い人も悪い人もない。
たまたま命を落とすんです。
そして私たちは、たまたま生きている。

たまたま生きている私たちは、死を忌まわしいものにしてはいけないんです。



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死ぬのに、良い人も悪い人もない。
たまたま命を落とすんです。
そして私たちは、たまたま生きている。



作家 色川武大(いろかわ たけひろ)さんが劣等生に向けて書いたエールとも言えるご著書『うらおもて人生録』。『お母さま方への章』に、こんな言葉があったのを思い出していた。


戦争も含め数々の災難がありながらも、博打打ちなど無頼な生活を送りながらも、50年以上生き抜いてきた色川さん。

自分よりも遥かにすごい努力をしている人たちが事故や病気で早逝したり生きる望みをなくす一方、なぜ自分は彼らほどの努力や精進をしていないにもかかわらず50年以上も生き抜いてこられたのか。

今まで自分ひとりの力で生きてきたと思っていたけれど、奇蹟のような生きかたを振り返ってみてこう思ったという。



そういう人たちより、俺なんかの方がぬくぬくと生きてる。ここのところが実に愛嬌のない現実なんですね。いかに生きればよいか、という理くつがいろいろあって、その理くつどおりにしていれば成功するというのなら、わかりやすいんだけれど、そうともかぎらないんですね。

俺はね、つくづく思うんですけれど俺の血の中に貯金があって、それを食って生きてきたみたいですね。血の中の貯金というのはね、俺の親や、祖父母や、曾祖父母や、二代も三代も前の人たちの、有形無形の実績が貯金になっていて、それを食っているように思えるんです。



ぼくという存在はなにもないところからある日突然パッと産まれたわけではなく、父と母が出逢い、ぼくを宿してくれて、母が命懸けでこの世に送り出してくれたからこそぼくは存在している。

遡れば、父と母の両親それぞれが両親それぞれを宿してくれて、それぞれの母が命懸けでこの世に送り出してくれたからこそぼくは存在している。

そしてそのまた両親が・・・と、自身の病気、もたらされる疫病、飢餓、自然災害、戦争、事件、事故など歴史を振り返ればあまたあったにもかかわらず、今まで一度として途切れることなく連綿と命のバトンを繋いできてくれたからこそ、ぼくはこうして存在している。

それぞれの時代を生きたご先祖様たちは天寿をまっとうされた方もいれば、自身の病気、もたらされる疫病、飢餓、自然災害、戦争、事件、事故などで本当はもっと生きられたであろうに、幾年かの寿命を残して亡くなった方も居ただろう。そうして繰り越し繰り越しされてきた命(=寿命)が、ぼくに受け継がれているのだと思う。


運も同じではないかと思う。


本当はもっと生きられたであろうに、自身の病気、もたらされる疫病、飢餓、自然災害、戦争、事件、事故などで使い切れずに残った運があったのだろうと思う。どれだけ健康や生きかたに気を付けていたとしても。

そうした運が繰り越し繰り越しされ、以前携帯電話会社が行っていたサービス、無料通話分を家族で分け合えるように、連綿と受け継がれてきた命と共にぼくに分け与えられたのだと思う。


色川さんが言うところの『血の中の貯金』。
そんなあまたの『たまたま』を積み重ね、ぼくは20年母と。
43年父と一緒に居られたのだろうと思う。



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死ぬのに、良い人も悪い人もない。
たまたま命を落とすんです。
そして私たちは、たまたま生きている。



友人と一緒にごはんを食べている時、彼がこんなことを話してくれたのを思い出していた。



ヒロ(ぼくのニックネーム)さんとの時間は、きょう、15時までだったでしょ。すっごい話し込んだし、楽しい時間は過ぎるのも早いって言うから、あ~っという間に時間きちゃっただろうなと思って、さっきヒロさんがお手洗い行ってる時に時計見たら、まだ15分前だったんだよ。

今朝もさ、いつも起きる時間に目が覚めたと思って目覚まし時計見たら、まだ一時間も早かったのね。

こういうのってさぁ、神様からのミニボーナスだと思うんだ。
本当はもうないはずなのにまだ時間があるなんて、なんか、嬉しいよね。



友人が言うところの『神様からのミニボーナス』。
そんなあまたの『たまたま』を積み重ね、ぼくは20年母と。
43年父と一緒に居られたのだろうと思う。



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母が52歳で亡くなった時、ぼくは二十歳でした。
なぜぼくが二十歳の時だったのだろう。

成人した姿を母が見届けるため。
ぼくが成人した姿を母に見せるためだったのかもしれません。


父が78歳で亡くなった時、ぼくは43歳でした。
なぜぼくが43歳の時だったのだろう。

幼少期から青年期の虐待で崩壊した家族を紆余曲折経てやり直そうと思えたのは、ぼくが30代後半の時。

両親への復讐心だけを糧に生きてきたぼくがそこから『赦すでもなく 赦さないでもなく https://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-289.html』という第三の場所へのソフトランディングを見つけ、末期がんに倒れた父の人生の最期に良い感情・幸せな記憶を心に刻んで看取り看取られという願いを叶えられたのが、父78歳。その時だったのかもしれません。


『たまたま』という、好運と幸運。
『たまたま』という、愛嬌のない現実。


『あなたは幸せね』あの言葉に、今なら『はい』と言えます。



Photo:Time portal By:Sgt. Pepper57
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