~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~

『ごめん』は相手を切るナイフ 自分を切るナイフ





You are the reason why I write. あなたがいる、それがわたしの書く理由。
Donna Jo Napori (ドナ・ジョー・ナポリ)http://www.donnajonapoli.com/about.html



     白色の自己主張 ~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~



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『そんなふうには思えない。ごめん』って言われた。
あんな苦しいごめんを聞いたことがない。
『ごめん』って、よく切れるナイフみたいな言葉やな。
思い出すと胸が痛い。

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著名な漫画家 秋風羽織(あきかぜ はおり)の元へ弟子入りするため上京した楡野鈴愛(にれの すずめ)は、同じ日に同じ病院で産まれた幼馴染み 萩尾律(はぎお りつ)が通う大学の友人 朝井正人(あさい まさと)と出逢い、好意を持ち、やがて恋に落ちる。

共に過ごす時間を重ねるなか、初めての両思いに抑えきれなくなって溢れた『好きです』を告げるが、プレイボーイの正人は、そんなつもりじゃなかったと迷惑そう。思いもよらぬ言葉に狼狽し、ストレートに想いをぶつけ続けると、正人にはしつこいと映ったのだろう。鈴愛が掴んだ腕を振り払おうとして突き飛ばしてしまう。

言葉と態度による『拒絶』というあまりの仕打ちに秋風ハウス(=スタッフ寮)の自室で過呼吸となった鈴愛は、共に漫画家を目指している仲間 ボクテとユーコ http://www.nhk.or.jp/hanbunaoi/cast/index.html に呼んでもらった精神安定剤 律にしか言えない想いを打ち明けた。

NHK連続テレビ小説『半分、青い。』第10週『息がしたい!』第57回



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『ごめん』は、相手を切るナイフだ。
『ごめん』は、自分を切るナイフだ。



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虐待されても「ママゆるして」に島田キャスター思わず涙 結愛ちゃんは救えた命
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180606-00010023-fnnprimev-soci

なんとも胸くそ悪い事件だ。
手を差し伸べる側に居るおとなたちの他人事の様も亦醜い。

先週だったか、自殺した生徒へのいじめをうかがわせるメモを把握しながら、事務処理が増えることを嫌って隠蔽・口裏合わせした教育者は思えない恥ずべきおとなたちが居たが、助けられたかもしれない命を、失われた命をなんだと思っているのだろう。

クリックで救える命がある時代に、なぜ救えなかったのか。

亡くなった結愛(ゆあ)ちゃんは毎朝4時に起きてひらがなの練習をするように両親から厳命され、その覚えたてのひらがなで書いたものが反省文だというから怒りで体が震える。虐待を躾と称すれば免罪符となりえると考える浅はかな知恵とも相まって、体中の血が逆流しそう。気が変になりそうだ。

手を差し伸べる側の『これを教訓に』という言葉は何度目だろうか、耳にするのは、眼にするのは。
あと何人こどもが命を落とせば活かされるのだろう。

載せられているノートの一部を読んでいるだけでも胸が苦しくなる。あんなにも苦しい『ごめんなさい』はない。かつて虐待を受けて育ったぼくは、当時の様がフラッシュバックして過呼吸になった。

やはり何年経とうと、傷が癒えることはないのだと思う。

心身へのダメージ然り。
人格形成にも影を落とす。



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幼い頃

『甘えるな』の自己責任
『頼るな』の自助努力
『正社員で家族を養って一人前』の男らしさ・自立

この3点セットを両親から厳しく躾けられ、出来の良い姉といつもいつも比べられ、どう頑張っても3点セットからかけ離れるぼくは、やれることはやり尽くすほど努力しても出来の悪いぼくは、いつもいつも両親から否定され続けて育った。

理想の子ども像。
そこから1ミリでも外れることを決して許さなかった。

365日皆勤賞。
学校だけでなく。


物心が付く頃とはいえ、3点セットなんて幼子に理解なんて、実践なんて出来るわけがない。こんなこと、こどもの自分に求められたところで、徹底的に叩き込まれたところで、両親が理想とするレベルになんてこどもの今から辿り着けるわけがない。成長を待たなくてはならないものなのだから。それでも要求するのだから、こどもとしては従うしかない。親の庇護がなければ生きられないのだから。

この訳が判るのは、そうせざるを得なかった事情が判るのは、ぼくが30代も後半に差し掛かった頃だった。

当然理想とするレベルになんて届くわけないのだから、もはやヤクザの言いがかりに等しいものだけれど、『気に入らない』『気に障る』このふたつのいずれかのスイッチが入ると、狂気の沙汰が訪れた。

見捨てられたくない。
必死だった。
結愛ちゃんと重なる。

DVの被害者が加害者を責めずに、『自分が悪い』と言う気持ちが判ってしまう自分が哀しい。


否定される時はきまって仁王立ちで、耳元で、問答無用で大声で叱責され、罵倒され、頬を何度も往復させて振り下ろすような強烈な平手打ちを食らったり、耳やもみあげを上に引っ張りあげられたり、この頃はまだ丸刈りになる前だったが(敏感肌で髪が伸びると皮膚が痒くなるので → 後に髪を使った虐待から守るために丸刈りにした)、髪の毛を引っ張られて右に左に引き倒されるなどしていた。

痛みに耐えかねて平手打ちを手で防ごうものなら『反抗した』と判断されて、虐待は激しさを増した。常軌を逸するものだった。こんな状態が365日皆勤賞だったのだから、虐待は頭部に集中していたから、パンチドランカーや揺さぶり症候群のような症状が後にも先にも出なかったのは奇跡に近い。後遺症もない。


当時は躾の範疇だったろうけれど、今の感覚で言えば虐待で100%通報されるだろう。
よく死ななかったなと思うし、よく両親を殺さなかったなと思う。

殺さなかったのは、同じ目に遭わせてやりたいという復讐心が幼心にあったから。こどもとはいえ包丁など武器を持てば、力関係なんてあっさりひっくり返せる。窮鼠猫を噛む。見くびるなよと思ったし、見る度に誘惑に駆られた。

それでも殺らなかったのは、一瞬で終わってしまうから。就寝時であれば、一発で仕留めることは容易い。でも、ぼくが受けてきた生きることさえ諦めたくなるほどの耐え難い苦痛を思えば、一瞬でなんてありえないことだった。

裏切りと罠に嵌められたことで復讐鬼と化した『モンテ・クリスト伯 ―華麗なる復讐―』のモンテ・クリスト・真海(しんかい https://youtu.be/mhc0PEP_Y6k)みたいに、復讐心だけが生きる希望であり、糧であり、強制収容所のような環境を生き延びる原動力だった。


幼い頃の両親との記憶は、年がら年中硬い板の間の上で、素足で正座して何時間も嵐が過ぎるまで下を向き、自分の太腿が泪で滲んで見えないくらいに泣きに泣き、泪の貯水池を見つめながら、ボクシングのような往復ビンタを意識が朦朧とするまで数え切れないくらい食らった真っ赤な顔で(高校卒業後就職で家を出るまで何万発食らったか判らない)

『ごめんなさい』
『ごめんなさい』

決して許してなんてもらえないのだが、なんとか許してもらおうと何度も謝り続ける。
過ちを犯したわけでもない幼子が、ただひたすらに許しを請う。
そんな記憶しかない。

なにかちょっとでも言おうものなら

『口答えするのか!』
『誰のおかげで生活できてるんだ!』

おとな同士で言ったら修羅場だろうと思うような言葉をぶつけられるから、口を真一文字に結んで耐えるしかなかった。いつか終わりが来ると信じて。信じられるのはそれだけだった。

視線の先にある景色は、いつだって太腿の谷間にできた泪の貯水池。
泪で滲んだ染みの広がる半ズボン。

そんな記憶しかない。


ぼくの日常は『ごめんなさい』。
両親の言われたことに返事をする『はい』。
二語で足りた。


そうした叱責に怯える日々に加え学校では、敏感肌で色白、生まれつき目の下にくまがあることで『パンダ』とからかわれる見た目を理由にしたいじめに遭っていて、家でも学校でも苦しむサンドイッチ状態。二重苦のストレスから、いつもぼくはお腹の調子が悪かった。

さらに幼少期から顔の骨格が変わるほどに平手打ちを食らったせいで、あれほど頑丈な両奥歯がぐらついたり、欠けたり、折れたり、抜けてしまってボロボロに。堅牢な奥歯が、一本を残して全滅した。ストレスからくる睡眠時の歯ぎしりや、両親以外のおとなを前にした時の緊張からくる無意識の歯の食いしばりが顎に負担をかけたりして、歯の状態をますます悪化させていた。今で言う顎関節症にもなっていた。

後に高校卒業後就職して、自分の健康保険で初めて治療へ向かい、診てもらったら、歯の治療に一年も要するほど。治療してくれた歯医者さんが初診の時、口の中を見て絶句したほど。奥歯がわずか一本だけを残して衝撃でボロボロになるまでに、骨格がげっそりと頬がこけたように変わるほどになっていた。良い先生に恵まれて、亦10代の繊細な心に心を寄せてくれて、10代での入れ歯はなんとか免れた。


学校の健康診断で歯の検診もあるのだけれど、前歯以外にまともな歯がないことが恥ずかしいのと、奥歯の欠損の原因が親にあると思われるとあとが怖いから、お医者さんの前で口を頑なに閉じたままなにも見せず、なにも語らずを貫くほどだった。貝のようだ。

まるで厳しい訓練を積んだスパイが、敵に捕まって拷問を受けても吐かないのと同じだ。007みたいな映画の中だけの出来事かと思っていたが、まさか現実で同じようなことをするとは思いもしなかった。

歯医者さんに行けば行ったで(というか行く必要なんてないと行かせてはもらえなかったのだけれど)、当時はこうした認識は歯医者さんにも世間にもなかったけれど、虐待だと疑われ、事情を聴かれかねない。そうなれば親の報復が怖い。だから治療に行くことも叶わない。それくらい異様な親子関係の中にいた。


そうしてごはんを食べても奥歯でよく噛んで食べるということが出来ず、消化不良のまま飲み込むしかないままに食べていたので胃腸に負担がかかり、それもお腹の調子を悪くする要因となっていた。

ぼくにとって『ごはん』とは、飲み物だった。

平手打ちを食らった衝撃で口の中をあちこち切り、頬の内側は四方八方傷だらけ。あったかいお茶はおろか、水さえまともに飲めない。始終そんな痛みを我慢しながら食べる苦痛も上乗せされて。食べればものの数分でお腹でごろごろと雷が鳴り、数十分でお手洗いに駆け込むのが日常茶飯事だった。

生きるために食べたというか飲み込んだけれど、切った口の中に充満する血の味がするごはんなんて辛い以外の何物でもない。それでも食べたのは、生きるためであり、復讐を果たすため。それ以外にはなかった。『食事が与えられるだけマシ』という人も居たが、ぶん殴ってやろうかと思った。


当時世間では、厳しい躾は美徳。
学校では、体罰が『愛のムチ』と賞賛される時代。
文句を言うのは『恩知らず』と罵られた時代だった。

悪しき昭和。

児童相談所はあったかもしれないが、家庭という監獄。助けなんて求められなかった。近隣住民も警察の民事不介入の如く、家庭内のことと見て見ぬふり。児童虐待からこどもを守る法律なんてまだなかった時代で、学校外で力になってくれる所も、人も、判らなかった。

情報や知識があっても『助けて』と言えない。
今も昔も変わらないのかもしれない。



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『生きててごめんなさい』
『産まれてきてごめんなさい』

執拗な平手打ちを食らった朦朧とした意識の中、両親から『言え!』と言われ、こう言わされた時には、心が砕け散った。結愛ちゃんがノートに覚えたてのひらがなで、『もうおねがいゆるして ゆるしてください おねがいします』と書いた気持ちが判る。

1ミリも悪くないのに、罪人でもないのに謝らなければならない。
どれほど理不尽なことだと思っても。

見捨てられたら、生きていけないから。
ぼくには微塵もなかったが、『ママが好き』という気持ちもあったのかもしれない。

本当は一枚壁を隔てた世界に、助けてくれる人が居るのに。
安心して過ごせる居場所があるのに。

生きるためには書くしかない。
言うしかない。


それまでも何度となく否定され続け、その度に心が欠けた。その度に欠片を拾い、何度も、何度でも修復してきたけれど、『生きててごめんなさい』『産まれてきてごめんなさい』という言葉が口から出た時には、もう砕け散った心の欠片を拾おうなんて思えなかった。気力も湧かなかった。

両親に言った言葉だが、自分の耳にも届いていたから。

『ぼくは産まれてきちゃいけないこどもだったんだな』
自分で、自分に、トドメを刺した。



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『ごめん』は、相手を切るナイフだと思った。
『ごめん』は、自分を切るナイフだと思った。



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あれから25年が経ち、虐待サバイバーとしてなにが出来るのだろう。根拠のない自尊心を胸に抱き、人間不信と絶望を越えて、たまたま命を落とすことなく、たまたま生きぬいてこられたぼくに、なにが出来るのか。

クリックで救える命がある時代に、なぜ救えなかったのか。

問われていると思う。
自分も、他人も、世間も。