居酒屋ぼったくり店主 美音、コンセント、幸せとは誰かを傷つけること - 白色の自己主張
~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~

居酒屋ぼったくり店主 美音、コンセント、幸せとは誰かを傷つけること

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photo credit:Danny Nicholson via Flickr (license)



You are the reason why I write. あなたがいる、それがわたしの書く理由。
Donna Jo Napori (ドナ・ジョー・ナポリ)http://www.donnajonapoli.com/about.html



     白色の自己主張 ~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~



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親愛なる ゆうまに

BS12 トゥエルビ 土曜ドラマ・ナイン『居酒屋ぼったくり』
第9話『木枯らしが吹く季節』に、こんな場面がありました。



誰でも買えるような酒とか、どこの家庭でも出てくるような料理で金取ってるうちの店は、もうそれだけでぼったくりなんだよ。でもな、美音。たとえありきたりな料理でもな、ひとつひとつ丁寧に、心込めて作んだ。

料理食べた人が、思わず笑み浮かべるような一皿。
それで初めて『払った金惜しくねぇ』って客が思ってくれるようになんだよ。

でもまだ父さんはそこまでじゃない。
だからこの店の名前は『ぼったくり』でいいんだよ。



とある商店街の路地を一本奥へ入ったところにある居酒屋。

両親が切り盛りしていたお店を亡き後引き継いだ料理担当の美音(みね https://www.twellv.co.jp/bottakuri/cast/)とホール担当の馨(かおる)姉妹。父の言葉を胸に丁寧な仕事を心掛け、両親の代からはもちろんその後も常連さんに恵まれ、愛されてきた。

もともとの店名は違っていたが、父 健吾(けんご)の口癖に乗っかった常連さんたちがみんなでお金を出し合い、洒落で『居酒屋ぼったくり』の暖簾を贈ってくれたことがきっかけで物騒な名前、入るのに勇気のいる現在の店名へと変わった。


暖簾の奥には、旨い料理と旨い酒。
そして、人情がある。


ある日の夜。幼い頃から姉妹をよく知る近所の開業医 太田が暖簾をくぐった。初めての来店に沸く美音と馨に太田は、往診の帰りで、妻が旅行に出掛けていて夕食は軽く済ませたが、小腹が空いたので寄ってみたと話す。『噂に名高いぼったくりの料理をいただいてみようかと思って』と冗談をこぼして。

その日仕入れた食材による日替わりの『本日のおすすめ』には、イカの一夜干しと小田巻蒸し(https://www.twellv.co.jp/bottakuri/ryouri/boryo009.html)。下戸の太田は小田巻蒸しを注文し堪能したが、常連のトクがイカの一夜干しを注文し、日本酒を味わってご機嫌に帰っていったことを知ると顔が曇った。

実はトクは、高血圧なのに味が濃いものが好き。病院に来てくれればいいのだけれど、血の気の多い人で、医者の言うことには耳を貸そうとしない。健康診断もろくすっぽ受けないために心配して、太田はトク行きつけのぼったくりを訪っていたのだった。

本人も本当は気にしていて、なんとかしなくてはと思っているのだが、ついつい好みの味には勝てず、毎度堪能してしまっていた。

そんな事情など知らず、料理用のだしを塩分の濃さで3種類常備しておいて、例えば汗をかいた職人さんには濃い目の味付けで(建設現場作業員の親方トクはこれ)。ご隠居さんには一番薄めの味付けにしたりとお客様の好みに応えられるようにしてきたが、それがトクの高血圧を助長していたのではないかと思うと、自己満足なだけだったのではないか。美音は、いたたまれなくなった。



今まで、相手に合わせて味を加減しているつもりでした。
でも、それはわたしが勝手に判断してやっていたことで、思い込みにすぎなかったのかなって。
みんなの健康への影響までは考えてなかったから。



そんな美音に、太田はこう言い諭した。



美音ちゃん。
美味しいものが体に良いとは限らない。
むしろ、体に悪いものの方が多いかもしれないってところが問題だね。

でも、店がそこまで気を遣うのは無理だよ。
いくら気心の知れた常連さんだとしても、それは本人が気をつけるべきことだ。

三通りのだしを準備する。
その心遣いだけで充分だと思うよ。

ぼったくりは病院じゃない。
そこまで考える必要はないんだよ。



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私家版 夜と霧(https://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-443.html)のような虐待を幼少期から青年期に受けて育ったぼくは、家庭では両親の機嫌を損ねないようにと、学校ではクラスメイトからいじめられないようにと、いつも顔色を窺って生きてきました。

習慣とはある意味恐ろしいもの。いつしか顔色を窺い続けてきたことで、相手が求めているものを察する能力が極限まで研ぎ澄まされていました。

おとなになってこうした能力は、ホテルやレストランといったサービス業の方から『うちで働きませんか』お声掛けをいただけるような機会に恵まれたりなどプラスの面がありましたが、一方で、共感力があまりに高過ぎることによる共感疲労に悩まされる負の側面にもぶちあたりました。


ぼくの身体にはコンセントがいくつも付いていて、ニュースを見聞きしたり、人の話を見聞きしたりすると、よのなかや他人からコードが伸びてきてコンセントに差し込まれ、共感が始まるのです。まるで自分が体験したかのようにリアルに追体験するため、哀しい事件などはトラウマになるのではないかと思うほどでした。

自分からコードを取って差し込んでしまうこともあれば、共感力に漬け込んでぼくをうまいこと利用しようと、コードを抜いても抜いても差し込んでくる人が居ました。

こうしたことを繰り返していると、共感疲労でくたくたになり、日々のエネルギーを奪われていくばかりです。そこでぼくがやったことは、イメージワーク。

身体に付いているコンセントをひとつ、またひとつと取り外していき、一個だけにする。コードが伸びてきても、キャパシティーがいっぱいの時は差し込まれても引っこ抜く。差し込まれても引っこ抜くを繰り返して、強制的に共感が始まらないようにし、共感のハンドリングを自分主導へと切り替えていきました。


共感とは、磁石。
引き寄せます。
ハンドリングを誤ると相手と過度に同化し、背負わなくてもいいことまで背負い込んでしまう。

誰かを思うことはいい。
でも、思い過ぎては自分が潰れてしまう、この塩梅。

繊細な美音が常連さんの健康を必要以上に考え、背負い込んでしまったのも、コンセントと同じなのではないかなと思ったのです。


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いじめた連中が喜ぶのは、ぼくがこの世から消えること。
彼らに刃を向けること。

いじめた連中が地団駄踏んで悔しがるのは、構ってもらえず、彼ら自身が透明な存在になること。
ささやかでもいい、ぼくが幸せになること。


未来は、今の自分、今のこの環境の延長線上にあるものじゃない。
永遠に続くのは、今の自分でも、今の環境でも、問いでもない。


『なにをやったところで少年法で守られる』とドヤ顔になっている連中に対するカウンターパンチ。
ろくでもない親や教師に対する唯一許される復讐だと、ぼくは思っている。
この世で最高に美しい、華麗なる。


昨日のブログ『永遠の問い ~ いじめを生き抜く ~ https://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-448.html』に、ぼくはこんな想いを綴りました。

こうしたことを言ったり書いたりすると、良識ぶったおとなたちがこう言うのです。

『いじめた側も心に闇を抱えているんだ』とか『構ってもらえず、彼ら自身が透明な存在になるなんて、彼らを傷つけているじゃないか。刃を向けているじゃないか』と。

NHK連続テレビ小説『半分、青い。』でヒロイン楡野鈴愛(にれの すずめ http://www.nhk.or.jp/hanbunaoi/cast/index.html)の幼馴染み 萩尾律(はぎお りつ)や、律が通う大学の友人 朝井正人(あさい まさと)を見ていても感じたことですが、『やさしさ』というのは時に愛、時にナイフ。誰も傷つけずに、傷つかずに幸せになれる、幸せになることなんてないと思います。


恋愛がそうでしょう。

自分のことを好きになってくれる人を好きになれたら。永遠のテーマですが、実に難しい。誰かを好きになり、告白し、両想いになり、お付き合いを始めれば、自分と同じ人を好いていた人は諦めざるを得ないかもしれない。

言い寄り、駆け引きしてくる人も居るかもしれませんが、相手にされなければ失恋。諦めた人ともども『実らなかったな』と傷つくものです。でもそうした人たちをいちいち『傷つけた』などと気にしていたら、恋愛など出来ません。相手がどう感じるかも、こちらからは選べないですしね。


幸せも同じだと思います。

誰も傷つけずに幸せになることは出来ない。
幸せとは、誰かを傷つけること。

自分が幸せになる道を選べば、何処かで傷つく人が出るかもしれません。
妬む人、羨む人然り。

思いもよらぬところで。
思いもよらぬ形で。

でもそれは、ぼくやゆうまが背負うことではありません。
美音が、常連さんの健康管理の責任を負わなくていいように。


誰も傷つけないことが幸せになるということ。誰も傷つけずに幸せになるなんて言う人は、やさしさを『愛』と言いながら、実は『ナイフ』で切っている人と変わらない。


誰に遠慮するでもなく幸せになっていい、ゆうまは。
チャンスに順番があるのなら、幸せにも順番がある。
美談や綺麗事に惑わされず、自分ファーストで。


かつての自分を見るように思い、エールを贈るように見守っています。


ヒロより。
2018.6.18


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【another story】しあわせになっていい
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