~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~

一耳惚れ





You are the reason why I write. あなたがいる、それがわたしの書く理由。
Donna Jo Napori (ドナ・ジョー・ナポリ)http://www.donnajonapoli.com/about.html



     白色の自己主張 ~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~



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親愛なる ツンデレラ先生に

もう何年前でしょうか。雨の降る夜。東京に住む友人が渋谷のライブハウスで行われるシンガーソングライター竹仲絵里(たけなか えり)さんのバースデーライブへと誘ってくれました。一緒に行く予定だった人が急用で行けなくなったため声を掛けてくれたのですが、当日の昼に電話が掛かってきて、しかも名古屋から来いと。

仕事終わりに東京?遠距離恋愛なら喜んで行くけれど、正直竹仲絵里さんって知らないし、面倒くさいなぁと思いました。でも、名古屋に住むぼくにわざわざ遠方だということを承知で声を掛けてくれたのには理由があるんだろうと思って上京。

ステージと各席との距離が手を伸ばせば届くほどで、ぼくらは最前列のど真ん前(友人は絵里さんのファンクラブ会員でした)。当時20代だった絵里さんは、グリコのポッキーみたいな手脚にギターを持ち、モデルのようなお顔立ち。話す声は、渋谷ですれ違った女性のように想像通りキュートなものでした。

ところがひとたび唄い始めると、その声には透明感と色気が宿り、圧倒的な声量で見る人を魅了。いやらしくない色気、きょう放送のNHK連続テレビ小説『半分、青い。』第13週『仕事が欲しい!』第78回で感情が爆発したヒロイン楡野鈴愛(にれの すずめ)のささくれ立って行き場をなくした心にすぅっと沁みるであろう透明感が同居する声なんて初めてで、すっかり心を射抜かれていました。

『一耳惚れ』でした、産まれて初めての。

歌が上手い人はプロ・アマ問わずあまた居ますが、だからといって惚れるかというとそうではない。
歌詞や曲(=音)そのものをいいなぁと思うことはありましたが、声に惚れることはなかった。

友人がなぜぼくに声を掛けてくれたのかがわかったような気がしました。


最近はハッカ飴と往年の歌謡曲をこよなく愛するマイさんのソロユニット『ハッカドロップス』が唄う『恋するリボルバー https://youtu.be/PxOGJryPLJk』に一耳惚れ。

マイさんもまた普段話す声(https://youtu.be/4-C58QMv3Ww)はイマドキの女子といった感じでキュートそのものですが、ひとたび唄い始めると凛凛しくもあり、そしてまた色気を纏った声になる。艶と言ってもいい。

普段の声とのギャップ。
いやらしくない色気のある声にどうやらぼくは惚れるようです。


こうして誰かの声に一耳惚れすることはあっても、自分の声が誰かに惚れられるなんてことはないだろうなと思っていましたが、先生は惚れてくれた3人目のお人でした。


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子どもの頃、話そうとするとどもってしまう吃音(きつおん)症を抱え、独り悩んでいました。

『相談すればいいじゃん』
『なんで相談しないの?』

簡単に言う人も居たけれど、自分にとって息を吸って吐くように出来ることが他の人にも同じように出来るわけじゃない。話そうにも話せない。想いを伝えようにも言葉が出てきてくれないのです。

『日本語なのになんで?』

そうしたもどかしさが余計に心に負担をかけ、さらに悪循環を招きました。


そんなぼくは、いたずら好きの小学生にとってはからかいの格好のターゲットに。
大勢の前で誇張も交えてどもる真似をされ、顔や耳が茹でダコのように真っ赤になるほど恥をかきました。

悔しくてひとことでいいから言い返そうと震えながら勇気を振り絞ってわめいたこともありましたが、幼稚園に通い始めた頃からコミュニケーション音痴の自覚があって、人付き合いが極度に苦手。自信がないから、声は普段からちいさい。自分でもびっくりするほど。まさに、蚊の鳴くような声。

それに加え、引っ込み思案。人見知り。筋金入りのマイナス思考だし、日本代表があればレギュラー入り確実なくらいの小心者。声変わりで小学生とは思えないほどに低音ボイスになったことと、運動も得意ではなくて肺活量が乏しいことから、お腹から声を出そうにもさらに出ない。わめいた声は、ちいさくかすれました。

それでもなんとか聞こえていたはずですが

『はぁ?』
『なんか言った?』
『なんて言ったんでしゅかぁ?』
『なに言ってんのかわかんねぇよ、ハハハ』

キスするくらいの距離にまで顔を近づけられ、代わる代る露骨なほどに耳に手を当てる仕草をされ、嫌味なほど何度も何度も大袈裟なほどに聞き返され

『なに、このちいさい声』
『お葬式?』
『誰か死んだの?』

度が過ぎた悪ふざけで、クラスメイトみんなに笑われました。


そんなことが何日か続き、重い足取りである朝学校へ登校すると、みんな下を向いてやけにクラスが静かでした。ふと見ると、ぼくの机の上にお花が一輪、花瓶に入れて置いてありました。

『なに、このちいさい声』
『お葬式?』
『誰か死んだの?』

あの言葉が蘇り、お花の意味が判りました。
テレビで見たことがある光景だったからです。


声を出すことを練習する人は、唄う人や人前に立って話す人以外ほとんど居ない。
なぜなら、特段練習せずとも、意識せずとも出来てしまうから。

おぎゃぁとこの世に産まれ落ちてから声を出してくることがもう既に練習で、別メニューで一所懸命自主練習して声を出せるようになったわけじゃない。そんな意識せずに出来てしまうことが『できて当たり前』を生み、いじめる連中の根底にはあったと思います。


心に癒えない傷を負いました。
葬式ごっこは堪えました。

先生は叱責せず、『悪ふざけ』と笑っていました。
あの気色悪い笑みを忘れることはありません(今なら免職ものです)。


もう話さない。
もう声なんていらないって思いました。


その後社会人になるまで挨拶とか必要最低限以外ほとんど声を発することなく、随分と心の荒んだ生活を送っていました。

一日に発する言葉はMAX両手で足りる。休日ともなれば『あっ、きょう誰とも話してない』なんてことはざらでした。『あっ!』独りきりの部屋で声が出るのか言ってみたりしていたほどです。

まだ声が出る安堵となんで声がなくならないのか。
恨み辛みが同居していました。


ほんとうは人と話したい。
ほんとうは仲良くなりたい。
ほんとうは友達がほしい。

そんな痛いほどの気持ちを抱えながらも、思うように話せないイライラから、いじめによる心の傷からも素直になれず、人との間に自分から壁や距離を作ってしまっていました。

それ故に幼稚園時代から付き合いのある頼みの綱唯一の親友とも高校進学を境に距離が出来てしまい、その後は彼以外の友達はもちろん、気軽に話せる人も、相談出来る人も、応援してくれる人もほとんど居ない人生を送ってきました。

そんな人生はどんどん心を蝕み、いつしか誰かを目の前にして話そうとするとなぜか心の大黒柱がふにゃっとしてしまい、へなへなと力が抜けて踏ん張れなくなり、言葉が零れ落ちるように消えていって挙動不審なほどに沈黙を貫いてしまう緘黙(かんもく)症を抱えるまでに。『口があんのに話せないんか』問い詰められることも地獄なら、フリートークなんて場を設定されるのも地獄でした。

あまりに話さなくなったことで顔の筋肉がたるみ、人相が変わりました。
声帯が老化して、声が枯れていきました。
『声の出し方』っていうのもなんだか変な言い方だけれど、判らなくなりました。

癒えない心の傷が疼くから、治そうなんて思うわけがない。声を出すことなんて別メニューで練習するものでもない。そうも思っていたからです。声帯が老化して声が枯れたのは待ち望んでいたことでした。こうなると負のスパイラルから抜けられません。

自暴自棄になり、もう話さない、もう声なんていらない。
小学生の時にも増して思いました。
激情にも近い想いでした。


父の知り合いから電話があり、出ると虐待の権化 父と間違えられ、声が似ていると言われるのが嫌でした。わざと大声を出して喉を潰したことがあるくらいでしたから、このままぼくの声が消えてくれないかとさえ思いました。

手話を死に物狂いで覚え、筆談でも意思疎通しました。『どう見ても詐病』と言われてもそれがぼくに残された唯一の話す方法だったから、中傷されても必死に生きてきました。声が無くなる未来を渇望していました。


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そんな話すこと、声を嫌っていたぼくが先生と出逢ったのは、今から5年ほど前のことです。


外国語習得の成功モデルを創った英語を身につけた時無味乾燥な暗記を嫌ったぼくは、南ひろこさんのご著書『英会話 こうすれば速く上達する!』に


「音楽」は、ハートフルな表現をマスターするのに最適


とあったことから大好きなジャズボーカルの歌を何十曲何百曲何千曲と聴きまくり、唄いまくっていました。語彙も増える、表現力も磨かれる、なにより発音が良くなる。楽しみながらの一石三鳥でした。

ぼくは人見知りが激しくて、人の目を見て話すのが苦手です。声にも自信がない。でも、唄っている時は自分の声が好きになれたし、話すのは苦手だけれど唄っている時は天へと抜けるように声が出て、まるで話すように唄えていました。こんなにも声を出すのは、出せるのはこの時だけ。

『いつかステージに立つジャズボーカリストみたいに堂々と、唄うように話せたらいいなぁ』
憧れをいつしか抱いていました。
密やかなものです。

そうして自己流でひとり黙々と唄いながらそんなことを思っていた時、巡り合わせの妙といいましょうか。ジャズボーカルを愛する人つながりで紹介していただいたのが、ジャズボーカリストとしてライブを開き、個別にレッスンもしてくださる先生でした。


最初にお逢いした時はライブ後でしたよね。
なんておっしゃったか憶えていますか?



顔は残念だけど、声に艶がある。
よく一目惚れって言うけど、一耳惚れね。
ステージ映えするわよ、きっと。



いや、実にパンチの利いたひとことです。
初対面ですよ、これ。

人間見たいようにしか見ないと言いますが、『顔は残念』は聞かなかったことにして、声を褒めていただけたことが嬉しかった。まさかぼくの声に艶、色気があるなんて。ステージ上で唄う先生を見ながらこの声でいつかぼくもあのステージに立ちたいと思っていましたから、まさかの言葉に椅子から転げ落ちそうでした。


あれからレッスンを重ねていただき、人見知りが激しく、滑舌も悪く、吃音症も抱えるぼくが今日(こんにち)目を見て堂々と唄うように話せるのは、唄うことで前向きになり、声にも自分にも自信が持てるようになれたのは、先生との出逢いがあればこそ。

そんな先生にお礼といいますか、恩返しがしたいなと思っていたところ、ナイトウェディングの招待状をいただいた。

当日日中は先生のご尽力で初めてのジャズライブをカフェで開くことが叶い、ダブルヘッダーで『ナイトウェディングでもなにか唄ってよ』という無茶なリクエストをするあたりは相変わらずのツンデレラっぷりですが、一耳惚れしてくれた先生に一耳惚れした竹仲絵里さんの『あいしてる』(黄色い花 - Wedding Story - という歌もあるのですが今回は敢えてこの歌を)を弾き語りで、この声で贈れたことは、先生のジューンブライドに華を添える形となり、ちょっとは恩返しができたかなぁと思っています。


ちなみに。
ピアノはこの曲以外弾けません、あはは。

お名前は忘れてしまったのですが、ある俳優さんが映画だかドラマだかに出演される折、ピアノを弾くシーンがあった。ところが楽譜は読めない。イチから練習する時間もない。それでも吹き替え無しでピアノを弾くシーンを演じなければならない。

そこで考えたのが、ピアニストに弾いてもらい、鍵盤をビデオで録画する。
それを何度も見ながら鍵盤の位置を憶え本番に臨み、見事演じきったのだとか。

ぼくもそれを真似て、ナイトウェディングでのお披露目となったわけです。
魔法をかけてくれた先生に、ぼくもなにか魔法をかけたかったので。


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人間皆同じパーツを与えられながら、何人たりとも同じ声の人は居ない。
あまたの声が溢れるなか、敢えてこの声が聴きたいと思うのも亦奇跡。
ぼくの声を好きになってくださり、ありがとうございました。

そして、かつて客席からステージを見ていたぼくがステージに立つ憧れを叶えられた。
夢なんてないぼくが憧れを抱けた。
ツンデレラマジックに、重ねてありがとうを伝えたいです。


声を嫌いだったぼくが声でお礼を伝えられる。
恩返しできる。
これに勝る幸せはありません。

ヒロより。
2018.6.30


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竹仲絵里[LIVE at 原宿 LaDonna Playlist]
https://www.youtube.com/playlist?list=PLk0DtkSK6hyBbM7Xvz6qQTZIJvY9RmKbF