永遠の問い ~ 児童虐待を生き抜く ~ - 白色の自己主張
~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~

永遠の問い ~ 児童虐待を生き抜く ~

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photo credit:wkc.1 (Alex) via Flickr (license)



You are the reason why I write. あなたがいる、それがわたしの書く理由。
Donna Jo Napori (ドナ・ジョー・ナポリ)http://www.donnajonapoli.com/about.html



     白色の自己主張 ~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~



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Attendere e sperare
待て、而(しか)して希望せよ。

投資家 モンテ・クリスト・真海 https://www.fujitv.co.jp/MONTE-CRISTO/chart/index.html
モンテ・クリスト伯 ― 華麗なる復讐 ― STORY#09『絶望の向こう側』



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ぼくはなぜ両親から虐待されたんだろう?
永遠にも等しい問い。

コメディアン萩本 欽一(はぎもと きんいち)さんのバラエティ番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子 http://www.fami-geki.com/kindon/』こどもの頃よく観ていて思った。

良い子
悪い子
普通の子

どうして『悪い子』が先なんだろう。
どうして『普通の子』は最後なんだろう。

だからぼくは虐待されたんだろうか。
こどもながらに考えた。

そうやって無理矢理にでも答えを出し、納得させなければ生きていけなかった。



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NHK特集ドラマ『喧騒の街、静かな海』に、こんな場面があった。
http://www.nhk.or.jp/osaka-blog/program/249109.html


大阪の繁華街に、母の遺骨と共に旅し、東京から戎(えびす)こころのクリニックを訪ねてきた若き写真家 水無月進(みなずき しん)は居た。

院長を務める精神科医 海老沢淳(えびさわ あつし)は、繁華街でJKビジネスという名の性産業に搾取されようとしている少女らを見かけると、困ったことがあったらいつでも相談に乗ると声掛けする通称地回り先生だ。

いつものように声をかけ名刺を手渡していると、ビジネスを手がける地回りのヤクザに見つかり、殴る蹴るの暴力を受け、裏路地に倒れ込んでうずくまっていた。そこへクリニックに電話をしても留守だったことから繁華街に居ないか探しに来た水無月が海老沢を見つけ、治療のために海老沢の自宅へと送り届けるところから、もう交わるはずのなかったふたりの物語が始まる。



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当初会うことは叶ったのだから送り届けたら帰ろうと思っていたが、地回りの活動を知った水無月は『写真を撮らせてほしい』と頼み、翌日から密着しての撮影を始める。

頼まれた時に水無月の年齢を聞いて、海老沢は顔色が変わっていた。

31歳
もう何年も会っていない自身の息子と同じ年齢だったからだ。



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活動を追うなかで水無月は、海老沢が『クロ』と呼ぶひとりの少女に肩入れしていることが気に掛かった。

海老沢が立ちあげに関わった行き場のない子どもたちを受け入れる施設NPO法人すてっき運営のあすなろハウスで働くスタッフ春日(かすが)によると、離婚が原因でクロの母は鬱で寝込みがちとなり、ふたり暮らし故に放っておいたらクロも母と同じ道を歩むのではないか。

それ故肩入れしているのだと思うと聞いた水無月は、海老沢がなぜ医者になったのか話してくれたことを思い出した。


親が開業医で、医学部へ行くことは抗しようのない既定路線だったが、落ちこぼれで、高い授業料を出してもらってなんとか私立の医学部へと滑り込んだ。だが、このままでは一生父に頭が上がらないと虚しくなり、医学ミステリーの翻訳に携わったり、バーテンダーをやってみたりして、脱線、寄り道を繰り返してなんとか医学部だけは出た。

その後、あることがあって無力さを思い知らされた。

本当になにも自分にできることはないのか考え、自問自答していた時、自分は医学部を出ていたことを思い出し、『じゃあ、罪滅ぼしに医者になるか』精神科医へと転身したという。

海老沢の語る『あること』とクロの境遇が重なった時、水無月の過去とも重なった。


あすなろハウスを出た水無月は、繁華街でパニック発作を起こし倒れ込んだ。そこへ、ふたりが出会った時のように今度は海老沢が水無月を見つけ、クリニックのベットで介抱していると、水無月は発作の原因と思われる出来事を海老沢に話して聞かせる。



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2ヶ月前、離れて暮らす母から突然手紙が届いた。

手紙といってもそう呼べる代物ではない。新聞広告の裏に書かれたもので、内容は自分が死んだら散骨してほしいと書かれる一方的なもの。遺言だ。おまけに折り畳んだチラシに挟んで、現金50万円も一緒に同封されていた。

突然手紙をよこしてきたと思ったら、なにを考えているのやら。
常軌を逸していると思い、お金だけ送り返してそのまま放っておいた。

ところが、本当に母は亡くなってしまった。

心臓を悪くしていたのは聞いていたが、またいつもの死にたい病だと相手にしなかったのだ。
水無月が物心ついた時から『死にたい』が口癖だったからだ。


心臓の病気で他界
孤独死
異臭のする3週間が経つまで誰にも気に掛けられず、発見されなかった。


いつかこうなるだろうと思ってはいたし、心の準備もできてはいたが、余りの現実は心に深い爪痕を遺した。

水無月から聞く母のこと
水無月と出会って調べた水無月のこと

まさかという思いが海老沢の胸を過ぎった。



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自宅に戻り、ひとり観た昔のビデオには、若き日の妻と息子が映っていた。
『進』と妻に呼ばれる息子の姿が。



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想いの募った海老沢は水無月をプラネタリウムへと誘い


渋谷にプラネタリウムがあったろう。
何年か前になくなってしまったけど、急に懐かしくなってねぇ。
憶えていないか、3人で行ったこと。


思いもかけない言葉で語りかけた。



海老沢:

おかあさんは、絵描きになりたかったんだ。
でも、最初からなれないと諦めていた。

おかあさんの絵を見たことは?
・・・そう。
残念だな。
とても繊細な良い絵を描く人だった。

(オープンテラスのカフェへと場所を移し)

海老沢:

おかあさんの父親は、娘のすることにいちいち駄目出しをする人だったそうだ。
おかあさん、それで随分苦しんだって聞いたことがある。

実家に引き取ってもらったのは、今思えば失敗だった。
子どもの前で死のうとしたんだ、おかあさん。
まだ赤ん坊だったあなたの前で。

水無月:(素っ気なく)そう。

海老沢:

入院させた。
それで少し良くなった。
でも、私にはもう・・・やり直す気力は残っていなかった。
無力だった。

水無月:

正解でしたよ。一緒に居たら、多分あなたも壊れてた。何度もありましたよ、そういうことは。死のうとする母を止めたこと。そろそろ来るなと思ったら、先回りして包丁隠した。それでふつうに宿題やって寝た。どっちが保護者なんだか。健気でしたよ。健気で、馬鹿だった。

(語りながら水無月も想いが募る)

水無月:

あなた、罪滅ぼしのために医者になったって言ってましたよね。
言うなれば、母のお陰で医者になれたってわけだ。

海老沢:そういうことになるね。

水無月:

僕もそうです。母のお陰で写真家になれた。祖父が死んで、祖母が死んで。母とふたり取り残されて、なんとしてもこっから逃げなきゃって。そうやって逃げた先に、今のこの仕事があった。でも、もう逃げる必要はなくなったんだ。僕はもうごまかしはやめようと思います。あなたに会ってその答えが出た。

海老沢:

写真の仕事を辞めるってこと?
・・・私は続けるよ。
これまでしてきたことを明日も続ける。

水無月:無駄ですよ、いくらやっても。
海老沢:そんなことはない。

水無月:

じゃあ聞くけど、あなたは医者になって誰かを救えたって言えますか。母のように生きづらさを抱える子どもたちをたくさん見てきた。その中のたったひとりでも救うことができたって言えますか。・・・言えないよね。自分の家族も愛せないのに、人のことなんか救えるわけがない。

(席を立つ水無月を追いかける海老沢)

海老沢:

君を・・・君を失望させたことは済まなく思ってる。
でも、これだけは言わせてほしい。
君やおかあさんのことを思わなかった日は一日もなかった。

水無月:一度も会いに来なかったくせによく言うよ。
海老沢:進・・

水無月:

呼ぶな!俺の名前を。
いいか、あんたは俺を捨てたんだ。
俺をあの母の元へ置き去りにして、自分だけ逃げたんだよ。
遅いんだよ、今更なに言っても。



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立ち去る水無月。
溝は深まりばかりだった。
海老沢の想いとは裏腹に。



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実らぬ想いを抱えた海老沢をトラブルが見舞った。

母親が不安定で電気もガスも止められ、『行くところがない』と海老沢に泣きついてきたクロだったが、自宅に泊めるわけにはいかない。相談しても埒が明かない海老沢に、クロがしてほしいことではなく自身がしたいことを押しつける海老沢に見切りをつけ、クリニックを飛び出し、クロは食住を提供すると甘く囁くJKビジネスへ足を踏み入れてしまう。

だが、鬱陶しいと突き放しながらもなんやかんやと気に掛けてくれる海老沢の顔が浮かび、売春させられそうになったところをメールで助けを求めた海老沢に間一髪助けられた。

老骨に鞭打ち売春を強要するヤクザと一戦交えたことで仕返しに来るのではと怯えるクロをこのまま帰すわけにはいかないと一晩だけ自宅に泊めたところ、捜索願を出していた母親から誘拐扱いされ、警察に逮捕されてしまったのだ。

幸いクロが証言してくれ、あとは弁護士任せとなり、休診の張り紙をしたり着替えを届けたりするため、海老沢の世話を焼くあすなろハウスの春日と共に海老沢の自宅を訪れた水無月。春日から、海老沢が眠れぬ夜に観ているという一本のビデオを手渡された。


春日が張り紙をしに出ていった後、ひとりビデオに見入る水無月。
そこには、禍々しい存在とばかりに疎んでいた亡き母と幼き頃の自分の仲睦まじい様子が映っていた。

父はなにを思ったのだろう。
涙と共に母に愛されていたという想いが溢れた。



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誤解が解け無罪放免となった海老沢を、今度は水無月が『会いたい』と声を掛けた。そして、母の故郷三重県尾鷲市に一緒に行ってくれないかと思い切って提案。快諾する海老沢と共に、母の遺骨と共に母の故郷を訪れた。



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表札の名は、『岸部』。
尾鷲の海が一望できる家で亡くなった。

部屋で海老沢が水無月が出版した写真集『木曜の午後のアマリリス』(水無月と再会後海老沢自身も購入している)と、一緒にあったスクラップブックを手に取った。スクラップブックを開くと、どのページにも息子 進のことが報じられた記事が所狭しと貼られていた。

無心になって繰っていた。
手が止まった。


なにもなかった。


止まった手を見て、水無月がつぶやいた。



今更言っても遅いけど、たとえどんな姿でも会うべきだったのかなって。



その足で水無月の家に届いた葉書、母が入院していた病院のソーシャルワーカーが知らせてくれた母の遺品に関することを聞くために病院を訪ねた。

入院のことは息子に知らせないでほしいと言われていたため伝えられず申し訳なかったと詫びた後、入院中お見舞いに来てくれた人がふたりいて、『小山さん』という親子だと教えてくれた。母が働いていたデイサービスの利用者で、ずっと預かっているものがあり、連絡を取ってもらえないかと依頼されたのだという。

ソーシャルワーカーから受け取った住所を頼りに、一路小山さんの息子が営む喫茶店へと向かう。



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知られざる母の姿が浮かびつつあった。



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小山さんの母にとって岸部は、ヘルパーさんというよりちぎり絵の先生だったという。

岸部が居ないならデイサービスへ行かないというほどに岸部はお気に入りの存在。駄々をこねる母のために病院を見舞い、なんとか岸部を元気づけたくて、『退院したら是非大作を』とお願いした。

この言葉にふたりははっとする。

店内に飾られた一際目を引く作品があった。
ふたりがお店に入ってきた時に目が留まった作品。

退院して半年が過ぎ、もう頼んだことさえも忘れかけていた頃。
わざわざ岸部がお店まで届けてくれたという。

亡くなったのはそのすぐ後のことだ。

きっと、なんとしてもという想いで完成させたのだろう。
大好きな尾鷲の海を見つめながら。


作品の前に立った。

ある日のプラネタリウム
岸部幸子

とあった。


いつかに親子3人で見上げた、あの夜空だった。


独り亡くなったと聞いて『押しかけたりしてでも訪ねていれば』と悔やむ息子さんに、『充分よくしてもらいました』そう伝えるだけで水無月も、海老沢も胸一杯だった。


母の遺品、預かっているものとはまさにこれで、わざわざ尾鷲まで来てくれたふたりのために取り外し包もうとする息子さんに水無月は、『このままで』とお願いした。

ここに、この作品はあってほしい。
ここにあることで、また母に逢いに来られるのだから。



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(散骨の舟を待つ間防波堤から母が好きだった尾鷲の海を眺めるふたり)

淳(海老沢):なに考えてる?

進(水無月):

いろいろ。人って、知らないまま終わっちゃうことってどれぐらいあるのかなぁとか。あの絵のこと知らなかったら、僕は母のこと、ただ孤独のうちに死んだ不幸な人って決めつけてた。あの人のこと、なんにもわかっちゃいなかったんだなぁ。

でもそれを言えば向こうも、僕が今あなたとこうしてることなんか知るわけもないし。
ほんとにもう、なんにも伝えられないんだなって。
あっちも、こっちも。

(父を見つめる水無月)

あの人には気にかけてくれる人がいた。
あの人自身も、人になにかを与えられる人だった。
でも、それを知ったことで救われた気になるのはなんか違うんじゃないかなって。

淳:進・・

進:

はぁ・・・他人ってすごいよね。
家族にはできないこと、できちゃうんだから。
俺なんてなんにもできなかったのにさぁ。

淳:

私は感謝してるよ。
進が私に会いに来てくれて、進とこうして会える日が来るとは思わなかった。
おかあさんが私たちを引き合わせてくれた。
そう思っちゃいけないか。

(この言葉に父を見つめる進)

おかあさんは精一杯生きて、独りで死んだ。
苦しい人生だったけど、最期は自分の生を全うした。
私は彼女を哀れまないよ。

勝手なのはわかってる。
この先なにをしても、悔いは付いて回るだろう。
それでも言いたい。
これは、バッドエンドじゃない。

進:(おおきく息を吸い込んで)バッドエンドじゃない・・・か。
淳:うん。



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視線を合わせ、微笑み合うふたりを、舟の汽笛が呼んだ。
散骨へと向かうふたりの表情は、穏やかだった。
散骨へと向かうふたりの表情は、親子だった。



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進へ

随分長いこと会っていないけど元気でやっていますか
わたしはだいぶ弱ってきました
もういつ死んでもおかしくありません

そこでお願いがあるのですが
わたしが死んだら散骨をしてもらえないでしょうか

場所は尾鷲の海がいいです
よく晴れた暖かい日に
遠く沖の方へ撒いてくれませんか

舟は漁師さんにお礼をすれば出してくれます

あなたには最後まで面倒かけるけど
他に頼める人がいません
どうかよろしくお願いします


追伸

いろんなことがあったけど
今は不思議と安らかな気持ちです





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進の台詞


人って、知らないまま終わっちゃうことってどれぐらいあるのかなぁとか。


を思う。


ぼくは両親のこれまでの人生になんて興味がなかった。どんな人生を歩んできたのだとしてもこれからのぼくには関係ないことだし、虐待を振るう親なんて早く死ねばいいと思っていたから。

だからもっぱらの関心事は、高校卒業までこの強制収容所(https://ippunkan.blog.fc2.com/blog-entry-443.html)のような家を生き抜いて、就職して家を出て、親を屈服させられるほどの圧倒的な経済力を保持した後に、自分が今まで受けてきたのと同じ仕打ちを両親に食らわしてやろうという復讐。それだけが生きる希望であり、児童虐待を生き抜く原動力だった。

ところがある日、母に末期がんでの余命宣告が告げられた。ざまぁみろという悪魔のような気持ちが心を覆ったあとぼくの心の水面に浮かび上がってきたのは、『こんな最期を遂げるために産まれてきたわけじゃないんだよな、きっと』だった。名前に『幸』という字を授けてもらっているのに。


どんな人生を歩んできたんだろう。
母の人生を知りたいと思った。


家族の歴史を紐解く私家版ファミリーヒストリーを創るため、母が辿ってきた人生を訪ね歩いたことで母の知られざる想いを知った。

戦時中に産まれ、戦禍で自身の両親が亡くなることがあってもひとりで生きていけるようにと、女性であっても手を上げてでも厳しく躾けられ、育てられた。そうしたこども時代を生きてきたから、いざ自分が親となった時に子育てのモデルとなるのは自分の親。他に子育ての方法を知らなかった。相談できる人も居なかったという。

そうして虐待に至ってしまった人間の弱さ、厳しい躾をせざるを得なかった事情に心を寄せることができたことで(今も虐待はあってはならないという想いに変わりはないが)、ぼくの中で熾き火のようにあった激烈な復讐心が雪解けした。想いは変化するのだと知った。

後に父も同じ境遇で育ったのだと知った。


虐待で死んでいたら、知ることはなかった。
復讐心に取り憑かれ、両親を殺して少年院や刑務所に入っていたら、知ることはなかった。
虐待の後遺症で心を病んだ末の自殺が成功していたら、知ることはなかった。
知った先に、進のように、赦す赦さないいずれも選ばない生きかたを知ることもなかった。


待て、而して希望せよ。
永遠にも等しい問いへの答えはこれだったのだと、今は思っている。