白色の自己主張

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白色の自己主張
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Photo:Another chance By:FUMIGRAPHIK_Photographist
Photo:Another chance By FUMIGRAPHIK_Photographist



You are the reason why I write. あなたがいる、それがわたしの書く理由。
Donna Jo Napori (ドナ・ジョー・ナポリ)http://www.donnajonapoli.com/about.html



     白色の自己主張 ~ 何色にも染まるたおやかさ 染まらない凛凛しさ ~



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                  439通目



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今年に入ってから、国内外の友人たちから、過分な歓待を受けている。

ドキュメンタリー番組『ガイアの夜明け』が株式会社ZOZO(旧社名スタートトゥデイ)社長 前澤友作(まえざわ ゆうさく)さんに密着した折、鞄も財布も持たず、スマートフォンだけを持ち、ラフな格好(と言ってもアパレルのオンラインショッピングサイトZOZOTOWNを運営するだけあってオシャレ)で出社する様子が映っていたが、まさにあんな感じで来てくださいと言われ、『ちょっとそこのコンビニ行ってくるわ』くらいの感覚で、本当に手ぶらで出掛けた。

往復の旅費から宿泊費から外食費から着るものに至るまで、滞在期間中なにからなにまで招いてくれた友人が持ってくれた。現地へのお出迎えや移動もすべて友人や彼が依頼したサービスによって担われ、国賓級の扱いだった。


はじまりは、今から10年以上も前のこと。
『君は、日本人というだけで恵まれているんだ』この言葉だった。



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当時30代だったぼくは契約社員として、とある中堅の自動車部品メーカーで働いていた。時給制で、スタートは1,400円とまずまず。部品を順々に組み付けていくライン作業で、外国人のスタッフさんも数多く働いていた。全体の半分くらいは居たと思う。

ただ、彼らは日本語がまだ充分ではなく、現場を仕切るライン長との間で仕事を教える新任教育期間には必ずと言っていいほど摩擦があり、その後独り立ちしてからも班長呼び出しボタンが何度も押され、ラインが度々止まることで生産計画に影響が出てしまうことにライン長はいつもイライラしていた。

自分の責任になるからだ。


ぼくが入社して数ヶ月経ち、比較的余裕が出てきた頃。隣で仕事をしていたフィリピンの方がまごついていたので手伝っていたら、社長がたまたまラインの様子を見に来ていて、その場に出くわした。

社長から聞かれた。

『ヒロ、英語できんの?』
『はい。タガログ語もですけど』

『じゃあ、通訳しちゃってよ』
『いいですよ』

その日からぼくはラインを外れ、タガログ語、時に共通語である英語で、フィリピン人スタッフさんたちに仕事を教える役目を担うことになった。


別の日。今度は中国人のスタッフさんが別のラインでまごついていて、手伝っていたら、社長がたまたまラインの様子を見に来ていて、その場に出くわした。

社長から聞かれた。

『ヒロ、中国語もできんの?』
『はい』

『じゃあ、通訳しちゃってよ』
『いいですよ』

その日からぼくは中国語で、中国人スタッフさんたちに仕事を教える役目を担うことになった。


また別の日。今度はブラジル人のスタッフさんが別のラインでまごついていて、手伝っていたら、社長がたまたまラインの様子を見に来ていて、その場に出くわした。

社長から聞かれた。

『ヒロ、ポルトガル語もできんの?』
『はい』

『じゃあ、通訳しちゃってよ』
『いいですよ』

その日からぼくはポルトガル語で、ブラジル人スタッフさんたちに仕事を教える役目を担うことになった。


また別の日。今度はベトナム人のスタッフさんが別のラインでまごついていて、手伝っていたら、社長がたまたまラインの様子を見に来ていて、その場に出くわした。

社長から聞かれた。

『ヒロ、ベトナム語もできんの?』
『はい』

『じゃあ、通訳しちゃってよ』
『いいですよ』

その日からぼくはベトナム語で、ベトナム人スタッフさんたちに仕事を教える役目を担うことになった。



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20代の頃。幼い時から絵本が大好きで、日本の絵本はすべて読み尽くしたから、今度は世界の絵本を読み尽くしたいと、寮費も水道光熱費も食費も無料の期間工などの仕事に就いてはお金をドケチ生活でせっせと貯め、まとまった資金になったら海外に出掛けて、絵本と語学を架け橋に、訪れた国で絵本を愛する人たちと語らうことを楽しみにしてきた。

こうした自由気ままな生活は、一度レールを外れると本線に戻ることを許さない日本の勤め人社会ではまったくもって活かされないが、こんな形で役に立つ機会が来ようとは思いもしなかった。


通常こうした語学ができる人に対しては、月額で通訳手当などの名称で別途支給されるが、社長は太っ腹で、給与明細を見た時になにかの間違いだろうと、真っ青になって事務所へと駆け込んだのを今でもよく憶えている。

桁が違っていたからだ。
見たことのない金額だった。

ぼくが通訳し、外国人スタッフのみなさんが今までなんとなくしかわからなかった仕事そのもののこと、効率化や体に負担が掛からないコツなどを知った途端、俄然ミスが減り、不良品率も下がり、なによりラインが止まることがなくなったことに対して、社長が月給ではなく時間給に通訳手当を上乗せしてくれたために、水商売の世界や風俗の世界で働く人並みになっていたのだった。

社長が冗談か本気かはわからなかったけれど、『俺より貰ってるな』と笑っていた。



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外国人スタッフを雇用する理由は、綺麗事を抜きにすれば安く使えることだろうと見ていて思う。実際彼らは最低時給か、それに雀の涙程度上乗せされた時給で働いているし、昇給だって無しか、あっても一年働いて1円とか5円。恵まれていても10円だった。昇進昇格はない、というか、ありえない。

文句を言ってすぐに辞める人も居たけれど、待遇や職場環境などは入社する際に判っていたこと。多くの人は背負うものがあるから、日本人以上によく働く。日本人が嫌がる仕事も率先して引き受ける。残業もするし、夜勤だって厭わない。頭が下がる想いだった。


いつだったか、通訳をするようになったある日。
不平不満を爆発させて辞めたベトナム人スタッフさんに言われた。

『君は、日本人というだけで恵まれているんだ』

彼らは何人であれ、『外国人』というだけで働くことは狭き門。運良く働けても、待遇は満足のいくものではなかったりする。対してぼくら日本人は、『日本人』というだけで特段苦労することなく、求人誌を見たり、求人サイトを見たり、ハローワークへ行ったりなどして当たり前のように応募できるし、選り好みせずにいればなにかしらの仕事に就くことは難しくない。

『働かない』ではなく『働けない』でない限り、まず食いっぱぐれない。


考えたこともなかった。
言われるまで気付きもしなかった。

自分だけがこんな恩恵を受けてていいんだろうかと思った。
外国人スタッフさんが居るお陰で、過分な手当を受け取っているのだから。


そこから彼らに対して貢献度に応じた待遇改善を社長に申し出たり、今まではラインごとにバラバラな国籍のスタッフさんが配属されていたのを国籍ごとにまとまってもらって団結力を高めてもらったり、日本の企業風土も教えていった。

日本人スタッフさんに対してもどうやって彼らと向き合えばいいのか。文化的背景を元にした教え方などをレクチャーしたりして双方の架け橋となると、業績はぐんぐん上がっていった。

外国人スタッフさんのお給料も、本当に頑張っている人には1,400円クラスにまで引き上げられていった。ライン長の代理を引き受ける人も出てきて、日本人だとか何人だとかいう垣根を越えて自然に教え合う風土ができた。職場の雰囲気は、ぼくが入社した当初とは別会社のように変わっていた。

外国人スタッフさんたちから食事に誘われることも多くなり、彼らの生活レベルが上がっているのを感じられた。その席で、『どうしてヒロさんは、ぼくらにこんなにもよくしてくれるんですか』と聞かれた。

ぼくは、こう答えた。


以前派遣社員としてとある企業で働いていた時、正社員、契約社員、直接雇用のアルバイト・パート、派遣社員、そんなランク付けがされていて、派遣社員は最下層。名前で呼ばれないこともあった。致し方ないことなのだと半分諦めていた。それは、ぼく自身の中にも派遣社員を見下している意識があったから。

でも、ある日。人事異動により直属の上司となった方が、そうした区別などくだらないと、人柄と仕事ぶりのみで判断し、ぼくを引き立ててくれた。

信じ難いことで、尋ねた。
『なぜですか』と。

上司は『自分も以前新人の頃、こうして引き立たててもらった』と言い、『まぁ、僕にできることはちょびっとだけどね』左手の指で『C』の形を作って照れていた。

だからぼくも同じようにしたいんだと、でも『ちょびっとだけどね』左手の指で『C』の形を作って照れた。



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お世話になった数年の間でありえないほどの貯金ができたぼくは、社長から正社員のお声掛けがありながらも、定年まで自分に合わない勤め人をつづけるつもりはなく、遠回しにお断りして退職した。

働いていた外国人スタッフさんたちとは仲良くなって、その後も連絡をとっていた。みんな時期はずれたがそれぞれの想いを持って退職し、日本に残った人もいれば、祖国に帰った人もいた。


今年に入ってから、国内外の友人たちから、過分な歓待を受けている。ただ、みんなとは連絡こそ取っていたものの、退職してからずっと会っていなかった。『なぜこのタイミングで?』と思った。まるで歓待ラッシュだったから。

共通していたのは勤勉さと、貪欲に物事を吸収する姿勢。

外国人スタッフさん専門の派遣会社を起業した人、別分野で起業した人、工場など外国人スタッフさんを雇用している会社へ語学が堪能なジョブコーチを派遣する会社を起業した人、転職して国内外の会社で幹部にまで上り詰めた人、通訳になった人、様々だったけれど、報われることを知った皆は、苦節を経て成功していた。


この時期だったのだろうと思った。
ただ、それにしても過分だろうと思った。

その問いかけに、先日招いてくれた日本に住む中国人の友人は言った。
『ちょびっとだけどね』、照れながら。


左手の指には、あの『C』の形があった。



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photo credit:marcoverch via Flickr (license)

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