白色の自己主張

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再会

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Photo by Denis Oliveira

ガールフレンドが聞かせてくれた、世界の片隅のささやかな奇蹟から。


高校卒業まで、祖父母のもとで暮らしていた彼女。仏間の近くに自身の部屋があったことから、祖父母の焚くお線香の匂いやお香の匂いが充満し、服に匂いが染みついて、学校で『お葬式』などと陰口をたたかれるのが嫌だった。

よく祖父母とケンカになるのは、雨の日に洗濯物をふすまの上の木のでっぱりに引っ掛けて乾かしておいたり、祖父母が乾いて取り込んでくれた洗濯物を、彼女があとで自分で畳むために引っ掛けておいてくれたときに、そのままお線香やお香を焚いてしまうものだから、煙によって洗濯物が燻され、燻製みたいになってしまうことだった。何度言ってもつい忘れてしまうようで、毎回腹が立って仕方がなかった。

そんなある日のことだった。

その日は、口うるさく言った甲斐あってふすまを閉めておいてくれて、おひさまの香りがするくらいに乾いた洗濯物はベッドの上に置いていてくれたこともあってか、イライラすることがなかった。すると、気持ちがやさしくなったからか、今まで『臭い』『煙たい』としか思わなかったお線香やお香の匂いに、いつもとは違う香りを感じた。

祖父母に聴いてみると、日によってだったり、
誕生日や命日だったり、どんな気持ちで手を合わせるかだったり、どんな想いで話しかけるかだったりで香りを変えていると教えてくれた。

『ジジくさい』
『ババくさい』
匂いなんて、どれも同じで臭いだけ。

正直そんなふうにしか思っていなかったお線香やお香に腰を抜かすほどの種類があることを知ったり、奥行きや長く深い歴史、世界観、ひとつひとつに物語があることを知って、『もっと知りたい』『もっと香りにふれたい』心がときめいた。

オレのおうちへ遊びに来たときにみつけたインセンス(お香)の lisn(リスン)や、ガラス製ホルダー『リンゴエル』に目を輝かせたり、パートナーが勧めた香道をはじめたり、香りについて書かれた本や Web を渉猟したり、自分で探して、手紙を書いて、アポイントメントを取って調香師さんに逢いに行ったり、パルファム ソムリエール(香りのソムリエ)に逢いに行ったり、アロマセラピストに逢いに行ったり、アロマキャンドルの職人さんや工房を訪ねたり、ワークショップで作ってみたり、お線香やお香の会社を訪ねたり。

いつしか彼女の日々は、香り一色に染まっていた。

気がつけば、誰に言われるでもなく、『好き』なんて言葉だったり想いが頭や心の中に浮かぶまでもなく、気がついたらやっているくらい、時間が経つのも忘れてしまうくらい夢中になれるものをみつけていた。

地元の大学で新設される香りを専攻できる大学にも興味関心が湧き、迷わず進学した。


高校卒業と同時に祖父母の家を出て、一人暮らしを始めてしばらくした頃だった。祖父が認知症になり、人が変わったように暴言を吐き、暴れるようになった。祖母には手に負えず、方方へ相談して施設でお世話になることになった。

高校生時代いろいろあったとはいえ、大好きな祖父が変わり果てている。心を痛めた彼女は、以前オレの親父が緩和ケア病棟で過ごした時のことを思い出した。

最期の時をその人らしく過ごせるようにと、緩和ケア病棟は、他の病棟とは違ってルールがゆるい。個室は長い時間を過ごした自宅をそのまま再現してよく、みなさん自宅から思い出の品や愛着あるものを持ち込んだり、飾り付けたりしていた。オレも実家からあれこれ持ち込み、親父の部屋まるごと引っ越したかのようにしていた。

その甲斐あってか、緩和ケア病棟へと転院する前、『余命は、持ってあと2週間』と言われていたのが4週間近くまで伸び、名残りなく逢いたかった人に逢ったり、話したり、触れたりして逝った。

彼女も祖父のためにと個室へあれこれ持ち込んだりしたが、症状は変わらなかった。

ふと思った。
香りを再現したらどうだろう。

施設の方とも相談し、了承を得て、愛用していたお線香やお香を焚いた。香りを学んだ知識や技術で、祖父母宅の匂いもできるかぎり再現してみた。

祖父は、深呼吸。
何度も、深呼吸。

眉間の皺がなくなった。
暴言も、暴れることもなくなった。

認知症が劇的に回復したわけではない。
でも、あの頃の祖父が、今ここに居る。

『おかえりなさい』

『今度は、わたしから』
ガールフレンドは、話していた。

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  • posted by コウノトリの噛み痕